When I Sing a Song
G・フォーレのレクイエムOp.48の6曲目は、バリトン・ソロから始まる『リベラ・メ』
――あ、橋中…
列の中から前に出て来たのは、その一群の誰よりも若く、紅潮した頬に少年の面差しを残す橋中倫人(はしなか・みちと)だった。眠気でほとんど撃沈しかけていた杉浦祥吾(しょうご)は、思わず座り直す。幼馴染である彼がソロをするから、まったく興味のないクラシックを聴きにきたのだ。これを逃しては、意味がない。
倫人が進んだ高校が音大系であることを、今日、初めて意識した。引っ込み思案でおとなしい彼が、市民オーケストラの付属合唱団に入っていたことにも驚いたが、その演奏会で諸先輩を押しのけてソロを獲ったことには、尚更に驚いた。声は倫人にとってトラウマだと、祥吾はずっと思っていたからだ。
倫人は小学五年生の初夏に、クラスの誰よりも早く声変わりが始まった。
内気で、もともと自分から進んで話かけることのない性格だったが、そのことでますます無口になり、放っておくと「うん」とか「はい」とかで一日が終わってしまうこともあった。それは一番仲が良かった祥吾との会話でも同様だった。
授業中に指されて、久しぶりに聞く倫人の『話す声』に、クラスメートは子供ならではの無邪気な残酷さで、「大人みたい」とか、「もっと喋れよ」と囃したてる。祥吾はよくそれを蹴散らして回った。
六年生を半分も過ぎると、男子は次々変声期を迎え、もう誰も彼をからかう者はいなくなったが、話すことを躊躇うことは癖となって残り、中学になっても変わらなかった。
別々の高校に進学し、すっかり間遠くなった。時折、通学途中の駅で出会うので、一言、二言、あいさつ程度に言葉を交わす。倫人は低く美しい声で話したが、相変わらずおとなしかった。だから音大付属の高校だと聞いてはいたが、そこで声楽を学んでいるとは、想像もしなかったのである。
その倫人がまさか人前で――それもオーケストラの伴奏で歌うほどになっていたとは。
短い前奏の後、倫人が歌い始めた。
話すより何十倍も美しく魅力的な声が、ホールに響く。よどみなく歌われる外国語の、歌詞の意味はわからなくても祥吾の耳は拒絶しなかった。
作品名:When I Sing a Song 作家名:紙森けい