梨華姫
「既に他人事か、知らぬ存ぜぬを通す気かこの役人め! 俺の仕事を増やしているのも疲れさせているのもお前の所為だろうがっ」
はあはあと肩で息をしながら反論すると、にたりと同僚は笑う。
「檸爍はすぐ熱くなるから遊び甲斐があるよ」
どさり、と書類を檸爍の元から自分の机案に移動させる。だいたい半分ぐらい動かしたせいで、山はなだらかな丘陵ほどの規模に変わっていた。
残された書類は当初置かれていた分量より、遥かに少ない。
「遼李」
「ん、さっさと終わらせようぜ」
じいんと思いもがけない友情に感動していた檸爍である。黙々と過去の青雷節の資料を洗い、申請された出しものに必要な経費、人員などを確認。実現可能かどうかを考える。新たに懸案すべき事項を書きだして、礼部内で話し合いをする用意を整えた。
書類仕事の大体の目途が立ったところで日はとっぷりと暮れていた。
久しぶりに本家に顔を出しに行こうか。ぼうっと遠くを見つめながら、考えていると。ぽむ、と。
肩に手を置かれた。
途方もなく、嫌な予感がする、けれども。このまま振りきって逃げ出すことが至難の業であることは、檸爍は重々承知していた。
「うんうん、いい心がけだね檸爍。どうせ君のことだから、私が君の仕事を手伝ったという恩義を感じて抵抗してくれないだろう。そう、信じていたよ」
「ああ…一瞬のこととはいえ、どうしてすぐに気付かなかったあの時の俺? 遼李が何の見返りもなく俺を手伝うわけがないのに」
「心外だな、純粋な友情からだよ? 友が困っていたら手を差し伸べるのが当然じゃないか」
「白々しい台詞をぬけぬけと……。そもそも、お前が自分の仕事を押し付けようとしていたのだろう」
「ふふ、君は古くなって不味いと思っていた梨が意外と美味しく頂けちゃったら嬉しく思わないかい? いや、これじゃあ私の印象が悪いな。こういうのはどうだろう、悪いと思っていた奴が意外と良い奴だった。そんな単純な筋書きに君は心動かされたりはしないかな?」
(そこも計算だったか…)
がっくりと肩を落とし項垂れる檸爍に遼李は追い打ちをかける。
「とまあ、ご推察の通り私は君にお願い事が有るんだが聞き届けてもらえるだろうか。いや、聞いてもらえないのなら私の労力がなんだったんだという話になってしまうから、是が非でも応じてもらわねばならないんだが」
つ、と不意に遼李は言葉を切った。そこに織り込まれた不穏な気配を敏感に感じ取る。それは、ありとあらゆる厄介事を吸引する檸爍の体質に見合うよう、誰かから授けられた一種の防衛本能とも言えた。
彼の声に確かに存在する、張り詰めたような独特の雰囲気。それを打ち消すかの如く、きゅっと結ばれた唇が開き、紡ぎだされたのは、
「…君は『梨華姫』という噂を知っているかな」
偶然にも檸爍が再度、耳にすることになってしまった、
いかにも胡散くさい、その名前。