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グッド・センス・ネクタイ

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そんな彼女に想像できるだんなさまといえば、先入観が邪魔をして、高市主任が浮かんでしまう。想像を追い払うため頭を振ったら、彼女に不信がられてしまった。

「でも、この前のネクタイは、部下の子にも褒められたそうです。他の人にも良く言われたみたいで、あたし、彼に褒められました」

当然!「ネクタイ片思い道」に審美眼を磨かれたあたし、里見さんならではよ!

「今日、『見里』さんが選んでくれた象のプリントのネクタイも、彼、喜ぶと思います。ありがとう」

どういたしまして。

あたしは、その日眠れなかった。

明日、高市主任はどんなネクタイをしてくるだろう。

それで全てがはっきりするのだ。

そして翌日、高市主任がしてきたネクタイはといえば。

象さんたちが、ネクタイの面積いっぱい、パオーンと鼻を高々上げていたのだった。


給料日が過ぎた頃、そろそろかなと思ってネクタイ売り場に出向くと、ずばりビンゴだった。

「高市さん!」

あたしが手を振ると、彼女――高市主任の奥さんは、あたしに一度も名乗っていなかったことも気づかずに、ニコッと微笑んだ。

「仲が良いんですね」

バッグからはみ出るネクタイの袋を指してあたしが言うと、彼女は苦笑いした。

「普通ですよ」

「一生懸命選んでいるから。よっぽどご主人のこと、好きなんですね」

「でも、また『見里』さんに選んでもらっちゃった。この前のネクタイも評判良かったらしいんですよ。今日も見里さんがいてくれて良かった」

無邪気な人だな。あたしだったら、好きな男が身に着けるものを他の女に選ばせたりしないのに。

「普通ですよ」か。あたしには、それが何より羨ましい。

「結婚」に絶対の自信を持った余裕の発言。安心しきっている。

鼻につく。

「ところで、見里さんも、誰かに買っているんでしょう?」

満面の笑顔で一番訊いてほしくないことをつっこんできた。さすが関西人のつっこみは厳しい。

「見里さん、センスいいから、贈られる人もきっと嬉しいよね」

あたしは、高市主任の自慢気な顔を思い出し、ほろりとしてしまった。今日のあたしが選んだネクタイも、気に入ってくれるかな。

「やっぱり彼氏?」

何も知らずに屈託なく聞いてくる彼女に、こう言ってやりたかった――てめーのだんなだよ。

でも、その代わりに、ちょっと意地悪を含んであたしは言った。

「あたし、好きな人がいるんです。ネクタイをあげたいんだけど、軽々と渡せる事情じゃなくて…。だから、買いあぐねているというか」

「ネクタイをあげて、思いを伝えれば良いのよ。見里さん、魅力的だもの。相手の人も悪い気はしないと思うけど」

そう。悪い気はしないと思う。誰だって、好かれるのは嬉しい。

でも、困らせてしまう。

あたしの気持ちに戸惑う彼を、見るのが怖い。きみはかわいい部下だけど、気持ちには応えられない、なんて言われたくない。

何よりも、「妻がいるから」で拒絶されるのが、耐えられない。

何で奥さんがいるだけで、諦めなくてはいけないんだろう。あたしの気持ちは本物なのに。

結婚なんて、早いもの勝ちの結果にすぎないよ。高市主任、まだ若いのに何でさっさと人のものになってしまったの?

「高市さんは恋愛結婚なんでしょう?いいなあ、好きな人と、この先ずっと一緒にいられて」

すると、彼女は少し困ったような顔をして言った。

「うーん…でも、ずっと一緒というわけにはいかないの。彼、仕事が忙しいから」

それでも、帰るのは、あなたのところだ。

残業で帰りが一緒になったとき、駅で別れる瞬間、高市主任は、主任ではなく、一人の家庭人として背を向けてしまう。

人混みにまぎれるその背中を見つめるあたしのせつない気持ちに比べれば、専業主婦のあなたの淋しさなんて、くだらない。

「彼もあたしも、出身は関西なの。彼の転勤でこっちに来たんだけど、あたし、生まれてこのかた関西から出たことがなかったから知り合いもいなくて。だから、自然と彼だけを待つ生活に」

あたしはそれを知っていた。実は、昨日、高市主任に聞いたばかりだったから。

奥さんが、日中、ずっと独りのこと。実家に帰りたいと騒いでいること。「ずっとそばにいてくれないなら、夫としての意味がない」なんて言っていること。

あたしには、愛する男を自由にできる立場の、わがままに思える。

でも、高市主任は悩んでいるよ。どうすればあなたを幸福にできるか、ずっと考えているよ。部下のあたしみたいな女の子に相談しちゃうほど、真剣だ。

あたしは、どうにか二人の間に割って入れないかな、なんて考えてしまう。もっともめてくれればいいのに。疲れた心で、あたしに傾いてくれればいいのに。

誘うのは、簡単。今なら落ちる、という瞬間が何度もあった。遊びだったら、あたしだっていけたかもしれない。

でも、本気で好き。

ただの好奇心や興味のうちなら、どんな軽口だって言えたのに。思いが深くなるほど、あたしは無口になっていった。

好きになればなるほど、思い知らされることがあったから。

あたしの男ではない、ということ。

たかが紙切れ一枚でつながれた、他の女のものだ。

自由にしていい男ではない。大事にすることも、傷つけることも、できやしない。

ネクタイにしたって、いくらセンスが良くても、他の女の選んだものを公然と締めることはできない。奥さんが選んだ無粋なネクタイがあるから。

ネクタイ一つ関わることすら、あたしには許されない。

彼に関する一切の権限は自動的に奥さんのものだ。結婚て、すごいな。

あたしは、意地悪ではなく、本心から呟いた。

「好きな人って、実は会社の上司なんです。既婚者でも好きなんです。あたしも、彼にネクタイ渡したいなあ」

返答に困って、奥さんは憐れむようにしかあたしのことを見られないでいた。

そんな彼女を見て、あたしは思った。

負けない――。

あんたのセンスのないネクタイなんかに負けない。あんたの男、あたしのセンスでせいぜい飾らせてもらうから。妻の座に安心しきって、あぐらをかいていれば良いんだ。

これは、チャンスだ。自由にしてはいけない男。彼女も彼も知らない部分で、あたしの自由にしちゃおっと!


高市主任の奥さんは、毎月一本以上ネクタイを購入するんだと、決意をみなぎらしていた。

そのたびに、あたしは彼女に呼び出された。結果、あたしは高市主任の専属スタイリストになってしまった。

奥さんとしては、自分のセンスに自信がないというよりも、ようやく東京でできた友人を手放したくないがために、あたしをネクタイ選びに担ぎ出していたのだ。

連絡は携帯電話で取っている。あたしは、本名の「里見」をひっくり返して「見里」なんて偽名をあいかわらず使っている。

新しい友達が夫の部下で、しかも彼に熱烈に恋しちゃっている女だとは、奥さんは夢にも思っていない。当然だろう。

あたしだって、こんな偶然、本当は信じられない。

同じ男を好きになるだけあって、あたしたちは、けっこう気が合っていた。高市主任のことがなかったら、いい友人になれたかもしれない。
作品名:グッド・センス・ネクタイ 作家名:銀子