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水面に浮かぶもの ―A POND―

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【体験者:柏木司(かしわぎ・つかさ)】





 薄霧が出ていたある日のことである。
 学院の裏庭の池で、ツカサ少年は何とも妙な光景に遭遇した。



(おかしい……)

 ぶくぶく。

 決してマグマのように茹っているわけではない。しかし、水面がうごめいているのだ。魚、ではない。その池では何も飼われていなかったし、万が一魚だったとしても、やはりおかしくはないだろうか。

 もこりもこり。

 水面のそこらかしこが、絶え間なくでこぼこに盛り上がっている。その下に白い何かの姿がぼんやりと見える。ぱしゃんと沈んでは、そうしてまた同じくらいに盛り上がっていく。その繰り返しだ。
 まるで、水の中に潜むたくさんの何かがひたすら外に出ようとしているような、そんな不気味な光景の広がる池にツカサは近付いていく。彼はその自分の行動に驚愕し、止めようとしたのだが、何故だか足は止まらずに池に向かって進んでいく。
 彼の身体はいつの間にか、彼の意思で動かなくなっていた。

(身体が勝手に動く!?)

 不可思議な現状に戸惑いつつ、ツカサはちっとも制御が効かない身体をどうにか自分の意思で動かそうとするのだが、やはり動かない。それでどうやら自分が池の中にいる何かに引き寄せられていると分かるのだが、それを止められる者は彼も含めていなかった。
 そうして池の淵に立ち止まった少年の身体は、その場に膝をつく。池の一面に広がっていたでこぼこはさらにその動きを激化させて、彼のしゃがむ池の淵を中心に集まっていた。
 荒れた動きに水が服や頬に跳ねるのも気にせず、ツカサの両手は池の中に入っていく。

(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……)

 本人の意思とは関係無いその行動にも関わらず、餌を奪い合う魚のように水は彼の手に向かって次次と押し寄せていく。その時、ツカサには水の中にいるものなどの姿が嫌でも見えてしまった。

(うわぁっ!)

 真っ白い、拳ほどの大きさの小さな人の頭部を……。
 それは半分溶けているように見え、はっきりとした形を成していなかったが、その顔は紛れも無く人である。どれもが目をぎらぎら光らせていた。老若男女、様様な顔形をしたそれらがこぞって器をかたどるツカサの手の中に入ってこようとしているのだ。

(なんだ、これは?)

 混乱するのも束の間、自身の手が持ち上がっていくのを感じて意識を手に向ければ、ツカサはさらに驚愕した。一つの頭が水と共に掬い上げられて、その目がジィッとこちらをさも嬉しそうに見ているのだ。
 嫌な予感がふつふつ湧いてくるのを感じながら、手はだんだん口元に近づけられていく。

(まさか)

 ツカサの嫌な予感は、残念ながら当たった。首が、少しばかり上向きになる。

(これを、飲ませる気なのか!?)

 ぞくぞくと、嫌悪感が一気に背筋をはい上がる。捨てようとするが、まだ身体は言うことをきかない。

(これはなんなんだ、もし飲んじまったら)

 乗っ取られるんじゃないか――そう直感した時には、手は既に口元に添えられていた。

(嫌だ!)

 手が、傾く。何かが入った怪しい液体を口に入れた時、ツカサはただ冷たい水の味だけを感じた。完全に嚥下した時、がくりと急に身体の力が抜けて横に倒れたが意識は鮮明である。

(あれ?)

 力の入らぬ身体をそのままに視線だけを前に向ければ、やはり変わらず、ざばざば。水面は恨めしそうにうごめいている。
 いくら経っても嘔吐だとか意識が誰かに乗っ取られるだとか、そんな怖ろしい気配も様子も無く、彼は内心で首を傾げた。

(なにも起こらない……)

 それにかすかに安堵を覚えた時、次に脳裏に浮かんでくるのは疑問である。

(なんで、こんなことさせたんだろう。というか、あれはなんなんだ)

 そうしてゆっくりと身体を起こしていけば、水面が眼下に移動する。
 池の中の顔は揃いも揃って叫ぶように口を開けて、何かを訴えかけるような視線で自分を見つめている。苦痛からの救いを請うようなそれらの表情を見ていると、一つの推測が浮かんだ。

(そこから、出たいのか)

 この状況にしっくり馴染むような気がしないでも無い。
 相変わらずバシャバシャと五月蝿い水面を一瞥して、ツカサは立ち上がった。恐怖と不安はあったが、自由に動く身体が強張った心を安心させる。

(なにも、起こらなきゃいいんだけど……)

 不安を掻き消そうとするかのように、ツカサは四肢に力を篭めて今度こそ池から遠ざかっていく。
 水面は間もなくして静まっていった。