向こうへの切手
少年から手渡されたハンコは一見普通のハンコとなんら変わりない。だが大きく違うところがひとつあった。本来なら字が彫られているところが何もなく、まっ平らになっていたことだ。これでハンコとして使えるのだろうか?
そこで、ふと少年をみるともじもじと体を動かしている。
「ちょっとトイレに行ってくるよ。パフェ食べ過ぎたみたい」
「え? ああ。いってらっしゃい」
少年はそそくさと喫茶店内のトイレへと駆け込んでいった。
この切手とハンコがあれば、憧れの世界へと行くことができる。どう言って少年を説得しよう。あの様子だと戻ってくるまで時間がかかるだろうから、それまでになんと言うか考えておこう。――ん?
そこで、ふと頭によからぬ考えが湧いた。手元には切手とハンコ。目の前には少年の姿はない。俺はその考えを振り払おうとしたが、あっという間に頭が満たされてしまった。
そこからの俺の行動は早かった。切手とハンコを鞄につっこみ、会計を済ませ、急いで店を出て、そこから全速力で走った。
そして一息つき、後ろを振り返ったが当然ながら付いてきている様子はない。全身をどくどくと血が駆け巡っていたが、なんとか落ち着かせる。大丈夫だ。所詮子どもだ。
人気のない道に入り、切手とハンコを取り出す。周りに人がいないことを確かめると、さっそく切手を舐め、手の甲に貼り付けた。
あとはこのハンコを押せば、いままで夢見ていた世界へと行ける。俺は溢れる期待を胸にゆっくりとハンコを押した。
人気のない道を少年が歩く。
「つまんない人。予想通りの行動しかしないんだから」
少年は落ちていたハンコを拾い上げ、ポケットにしまいこんだ。
「バカだなー。大人一人がこの金額の切手で足りるわけないのに」
てくてくと男のもとへと近づいていく。
「見られたときはどうしようかと思ったけど、これでなんとかなったかな」
歩くたびにぴちゃぴちゃと音が響く。
「かわいそうなことしたかな? でも、ある意味望み通りか」
少年は子ども一人分体が引きちぎれた男を見下ろし、にっこりと笑った。
「パフェ、ごちそうさまでした」