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飛騨の狐

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小説:飛騨の狐
                   佐武 寛        
 
                (1)
 飛騨の草深い山中をスタスタと歩く渡世人風の男がいる。この男、江戸に妻子を残して一人旅である。だが、やくざ渡世が身についたというようでもない。旅先で賭場に出入りすることはあっても、土地のやくざと仁義を結ぶこともない。幕府の鉱脈探索方で諸国を廻っているが、この度は老中・但馬守から高山藩取り潰しの工作を命じられている。
 
 宿場の旅籠に投宿したある日、行灯の灯を入れに来た女に、
「この宿場は、えらく栄えているが、どうしてだ」と尋ねた。
 すると女は、口ごもって、何も言おうとしなかった。
「名はなんと言う」
 男は、こう聞いて、しまったと思った。侍言葉が出てしまったのだ。
「お武家さんだね」
 女にこういわれて、男は、
「そうざんすか、ありがたいことで」
と、きりかえしたが、女の顔は笑っていた。
「わたしの名は、お富だよ」
 女は、行灯の灯を入れると、さっさと部屋を出て行った。その背中に、
「俺の名は・・」
と、この男が言いかけたとき、
「わかってるよ、宿帳に弥助ってあったからね」
 お富が振り返りながらにやりと笑った。

 お富はこの宿場ではコンコン狐の別名を持っている。旅籠近くの竹薮に出没する狐が、コンコンと鳴くと、お富が藪に向かって、「コンコン」と呼び返し、その翌朝に、小判がお富の部屋においてあるという。宿場役人にこのことが伝わって、役人が狐狩りをしたが、狐は一度も見つかっていない。当然ながら、お富は役人の厳しい詮議を受けた。
 狐にもらった小判は、お富が大切にしまっていたので、詮議の時に、役人に差し出した。その小判が本物であったので、役人は、お富を入牢させて、狐を呼び寄せようとした。しかし、狐は一向にあらわれなかった。そこで今度は、お富を解き放って、藪に追いやることにした。そのときに、旅籠の主人が、
「投宿人の中に、弥助と申す渡世人が居ますが、この男、山歩きが得意とかで、しばしば山に入っております。何でも、この地が気に入ったとかで、長逗留していますよ。部屋の係りはお富にさせていますが、二人は気が合っているようで、時々、ひそかに話し合っているのをほかの女中が見ています。そんなわけで、お富に、弥助を付けて山へ入れられると役に立つやも知れませんぞ」と進言した。
「よかろう」
 役人は、手がかりは何でも欲しいと即座に承知した。
 お富は、大の酒好きだったから、酒三升を、六つの瓢箪に分けて弥助に担がせた。手甲脚絆に合羽姿で瓢箪の紐を肩に架けた弥助と鳥追い姿のお富が連れ立って宿を出る。旅籠の主人のたっての願いで役人はつけないことになった。弥助とお富は、飛騨の渓流を望む山中の道に分け入っている。
「狐の棲家は何処だ」
 ひと休止で岩に腰をかけたときに、弥助が突然尋ねた。
「狐って、私のことでござんすかえ」
 お富は、気を許していたのか、江戸言葉をしゃべった。
「おぬしは・・・」
 弥助が、聞き咎めた。
「おらは、狐じゃねえべえ」
 お富が、慌てて言い直したが、正体はばれてしまったも同然だった。二人は顔を見合わせて笑った。
「狐は、月夜が好きだ。今夜あたり出てくるかも知れんぞ」
 弥助も、もう、言葉使いに気をとられていなかった。
「山から山へ狐を飛ばして、つなぎをとっているだろう。小判の狐は、何処に居る
のだ」
「それは、わたしにもわからないね、時々、つなぎに来たが、一言も言わずに、小判を置いて、直ぐ消えたからね」
「なぜ、小判なのだ」
 弥助は、その秘密を知ろうとした。
「それを解くのが弥助さんの務めだろう」
 お富は突っぱねた。
「なぜ、明かさぬ」
 弥助が、むっとした。
「隠し金山を探しに来たのじゃないのかね」
 お富が、弥助の顔色を窺った。
「おぬしは、何処まで知っているのだ」
 弥助は、それを聞き出したかった。
「聞きたければ、帰って旅籠のあるじに尋ねるといいよ」
 お富が、とんでもないことを言った。
「旅籠のあるじだと」
 弥助が驚いた。
「あのあるじは、父祖代々の里隠れだよ」
 弥助は、自分の不覚に気付いた。
「わたしたちは、江戸から送られてきた女狐だよ」
 お富が、仲間のいることを明かした。

 この夜、弥助は、六人の女間者に囲まれていた。いずれも肉付きはよく締まってい
て、足腰は強そうで、顔立ちには剽悍さがあった。小屋の壁には、狐の皮で作った装束が架けてある。
 女たちは、車座になって、弥助の担いできた瓢箪をひとつずつ取った。
「今夜は、酒三升の宴だよ、猪の肉を肴に腹ごしらえしてから、この男と極楽三
昧といこう」
 頭(かしら)と見える女が嬉しそうに言った。お富は、ちらと、弥助を見る。この女たちの狙っている本当の肴は弥助だった。夜が明けた頃、弥助が目覚めると、女は一人も居なかった。弥助は昨夜のことが信じられない。何がおきたのかわからなかった。
(狐に騙されたか)
 弥助の頭は朦朧といていた。
 お富もいなくなったので、弥助は旅籠に戻ることをあきらめた。一人で戻れば、役人の詮議を受けるのは必定だから、このままこの地を立ち去ろうと思ったが役目が頭をかすって、思い直している。
(なんとしても、お富を探して、連れ戻さねば)
と、弥助は、お富を探して、その後のことは、それから思案しようと決心した。
(お富は、なぜ、薬草を必死になって探していたのか)
 弥助は、お富探しの糸口を発見しようとしている。
(もしや、お富は、幕府薬荘園の隠密では)
と、弥助に疑問が湧いた。
 幕府では、諸国の薬草をことごとく調べ上げるために、諸国の大名や知行領主にお触れを出して、「薬草調ベ書き」を提出するように命じているが、何かと抵抗があってはかどっていない。弥助は、渡世人の装束を布に包み山小屋に隠すと、山男に変装して、薬草の生えていそうな処を探して歩き出し、お富が薬草探しをしていたときのことを思い浮かべている。
 この頃、宿場では、捕り物騒ぎが起きていた。お富の残した小判に、不思議な符号がついていることを、再吟味した役人が発見し、上役に諮ったところ、隠密の使う符牒金であることが判明したのである。それをきっかけに、旅籠を捜索し、主人・清兵衛の素性を探り当てたのである。
 清兵衛は、捕縛される直前に逃亡し、行方をくらましたので宿場は、まさかのことに大騒動となった。父祖代々の旅籠屋で町の世話役までしていたので、町の人々の驚きは尋常でない。
「清兵衛さんが、隠密だったとは、怖いことだ」
と、一人が言えば、
「お城の先々代さまの頃から住み着いていなさった」
と、言う者もいたし、
「将軍さまもひどいことをするものだ」
と、つぶやく者もいた。
 この城下町の木戸はことごとく閉ざされていて時々、騎馬の侍が激しく走り去り、徒歩の捕り方が騒々しく動きまわっていた。町人たちは不安な顔をしながら、旅籠を遠巻きにして見いる。そのなかに、侍に変装したお富が居た。
作品名:飛騨の狐 作家名:佐武寛