プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第八章】
【第八章 パスク地方】
第五十六話 風土病
パスク地方の山は九座あります。すべての山の頂か中腹に集落が一つずつあり、扇の要に位置する〇番地を軸として、一番地から八番地までスライダー用のロープでそれぞれつながっていました。
マーロウさんの実家がある『八番地』は、高い山の中腹にありました。土地は狭く、集落の規模は〇番地の半分しかありません。
私はマーロウさんについていき、狭い畑地を囲んでいる石小屋の一つに入りました。
小屋の中は仕切りがなく、目につくものは暖炉と竃が一つになったような暖房器具と、壁にかかっている農具や猟具だけでした。
部屋の奥にはハンモックが吊ってあり、壮年の婦人が一人横になっていました。
マーロウさんは言いました。
「母のヒースは、筋力がどんどん落ちてしまって、今ではもう一人では動けないし、声も出せないんです」
「お医者様は何と言っていましたか?」
「お決まりのセリフですよ。現代の医学では……というやつです」
私は熟睡している婦人に寄り添うと、瞑想をはじめました。
ヒースさんの心はまばゆい光に包まれていました。彼女の心は満たされていて、人生に何一つ不満を持っていません。
私は焦りました。心の問題でもなく、伝染病でもなく、毒に侵された形跡もないのです。事前にマーロウさんに質問したところ、一族に共通した病気もないとのこと。
癒師の常識の中では、病気になる要素が一つもありません。現代の癒術では治せないのでしょうか?
私は首を激しくふりました。手を尽くす前から決めつけてしまってはいけません。
「何か不足を感じていることはありませんか?」
私はヒースさんの魂に呼びかけました。
(いいえ。私は幸せです)
「でも、あなたの体は異常を訴えています」
(おかしいですね。私の暮らしは他の人とそう変わりありませんよ)
「どんなに細かいことでもいいです。違いを感じることがあるなら、言ってください」
(そうですね……強いて言えば、人の倍、水を飲む代わりに、食事は半分、というところでしょうか)
ヒースさんは痩せてはいるものの、危険と思えるほどではありません。体を維持するだけの栄養は摂っているようです。
(うっ……)
「どうしました?」
(先祖の魂が天の方から何か言っています。土を……土を調べろと)
「どこの土ですか?」
(……行ってしまいました。これ以上交信したら、私の体が長く保たないそうです)
「そうですか……とにかく、土を調べてみましょう」
六日ぶりに霧が晴れた朝。
マーロウさんは八番地の男手を集めると、畑の土の一部を掘り返して、何か変わったことがないか調べはじめました。
結果は「見ただけでは何もわからない」とのことでした。
農夫たちが仕事に戻っていく中、マーロウさんは未練のある顔で一人土をすくっていました。
「パスクには、あなたのような天の遣いも、学のある人間もいない」
私は言いました。
「でも、ヒースさんの魂は幸せだと言っていました」
「母の『体』は、そうは言ってませんよ?」
「そうですね……ヒースさんは精神性が高い反面、肉体について無頓着だったかもしれません」
「もし、本当に土に原因があるなら、同じ畑の作物を食べている他の村人だって、いつかああなるかもしれない。パスクにはそれを証明できる人物がいないんです」
マーロウさんの一言で、私の脳裏に、ある人の姿が思い浮かびました。
「土について詳しい人に心当たりがあります。五日ほど、お時間をいただけませんか?」
私は来た道を引き返すかたちで、山麓のカイエンへ下り、さらに鉄道を使ってヤーバまで行きました。
目的地はヤーバ大学です。
私は大学の構内に駆けこむと、アルパイさんを探しました。
コーカスの無限階段で指を数本失った熊髭の男は、小さな教室で地学の講義をしていました。
廊下で待っていると、やがて授業が終わり、学生たちの後から彼が出てきました。
「プラム先生? パスクへ行ってたんじゃ……」
「詳しいことは後で話します。私と一緒にすぐ来てください」
「まあ、落ち着いて。俺だって暇じゃないんだ。事と次第によるよ」
「そ、そうでした……」
私はヒースさんの症状とパスクの土の関係について話しました。
アルパイさんはあご髭をぼりぼりかくと、ニッと歯を見せました。
「パスクはしばらく登ってなかったんだ。これで大義名分ができた」
「あんな目に遭って、まだ登るつもりなんですか?」
「じゃあ君は、癒しの施術が自分の命を削ると言われたら、癒師を引退するかい?」
頭を金槌で殴られたような錯覚に襲われました。
私はうつむき、小さく言いました。
「失言でした」
それをせずにいられないのが、その人の人生の目的なのです。私の仕事だって、他の人から見れば、バカバカしかったり、狂っているように見えるのかもしれません。
「そんな話をしている場合じゃない。すぐに出よう」
私とアルパイさんはパスクの頂へ急ぎました。
天空の庭に帰ってきた私は、すぐにマーロウさんを呼び出し、二人で学者の調査を見守りました。
アルパイさんはトランクからガラス瓶を取り出すと、八番地の畑の土を入れて水に溶かしました。少し待ってから上澄み液をパレットに分け、数種類の試薬をたらしていきました。水はさまざまな色に染まりましたが、素人には何のことかわかりません。
アルパイさんは色の変化を見て、うなずきました。
「なるほど、そういうことか」
マーロウさんは、ヤーバの地学者に近寄って言いました。
「やはり土が悪いんですか?」
「他の地域に比べて、金属成分が足りないね」
「金属? 土と鉄の棒に何の関係が?」
アルパイさんは笑いました。
「金属がみんな鉄塔みたいな塊だと思ったら、大間違いだよ」
ヤーバの地学者は、地中に含まれる無機物について、理科に疎い若者二人に講義をはじめました。微量とはいえ金属をはじめとする特定の無機物が不足すると、人間は重い病気にかかるのだそうです。
マーロウさんは言いました。
「パスクの土の成分が原因なのはわかりました。でも、なぜ僕の母だけが病気なのか、という答えにはなってませんよ?」
「残る問題は、そこなんだが……」
髭の先生は首を傾げました。
私はヒースさんの食生活を思い出し、二人に言いました。
「アルパイさんの講義のおかげで、わかったことがあるんですが……」
男たちは顔を見合わせると、私につづきを促しました。
「ヒースさんは水を人の二倍飲むそうですが、まずそのせいで無機物が体から汗や尿としてどんどん出ています。それから、ただでさえ金属成分の少ない土から採れた作物を、人の半分しか食べない。その結果、単純計算ですけど、他の人の四倍はリスクが高いのではないかと……」
アルパイさんはパチンと指をならしました。
「その勘はきっと正しいぞ」
私たちは畑を後にすると、ヒースさんの下へ向かい、食生活を改めるよう説得しました。
いつものようにハンモックで横になるヒースさんは、困った表情を浮かべていました。声を出すための筋肉が弱っていて、話すことはできません。
マーロウさんは言いました。
第五十六話 風土病
パスク地方の山は九座あります。すべての山の頂か中腹に集落が一つずつあり、扇の要に位置する〇番地を軸として、一番地から八番地までスライダー用のロープでそれぞれつながっていました。
マーロウさんの実家がある『八番地』は、高い山の中腹にありました。土地は狭く、集落の規模は〇番地の半分しかありません。
私はマーロウさんについていき、狭い畑地を囲んでいる石小屋の一つに入りました。
小屋の中は仕切りがなく、目につくものは暖炉と竃が一つになったような暖房器具と、壁にかかっている農具や猟具だけでした。
部屋の奥にはハンモックが吊ってあり、壮年の婦人が一人横になっていました。
マーロウさんは言いました。
「母のヒースは、筋力がどんどん落ちてしまって、今ではもう一人では動けないし、声も出せないんです」
「お医者様は何と言っていましたか?」
「お決まりのセリフですよ。現代の医学では……というやつです」
私は熟睡している婦人に寄り添うと、瞑想をはじめました。
ヒースさんの心はまばゆい光に包まれていました。彼女の心は満たされていて、人生に何一つ不満を持っていません。
私は焦りました。心の問題でもなく、伝染病でもなく、毒に侵された形跡もないのです。事前にマーロウさんに質問したところ、一族に共通した病気もないとのこと。
癒師の常識の中では、病気になる要素が一つもありません。現代の癒術では治せないのでしょうか?
私は首を激しくふりました。手を尽くす前から決めつけてしまってはいけません。
「何か不足を感じていることはありませんか?」
私はヒースさんの魂に呼びかけました。
(いいえ。私は幸せです)
「でも、あなたの体は異常を訴えています」
(おかしいですね。私の暮らしは他の人とそう変わりありませんよ)
「どんなに細かいことでもいいです。違いを感じることがあるなら、言ってください」
(そうですね……強いて言えば、人の倍、水を飲む代わりに、食事は半分、というところでしょうか)
ヒースさんは痩せてはいるものの、危険と思えるほどではありません。体を維持するだけの栄養は摂っているようです。
(うっ……)
「どうしました?」
(先祖の魂が天の方から何か言っています。土を……土を調べろと)
「どこの土ですか?」
(……行ってしまいました。これ以上交信したら、私の体が長く保たないそうです)
「そうですか……とにかく、土を調べてみましょう」
六日ぶりに霧が晴れた朝。
マーロウさんは八番地の男手を集めると、畑の土の一部を掘り返して、何か変わったことがないか調べはじめました。
結果は「見ただけでは何もわからない」とのことでした。
農夫たちが仕事に戻っていく中、マーロウさんは未練のある顔で一人土をすくっていました。
「パスクには、あなたのような天の遣いも、学のある人間もいない」
私は言いました。
「でも、ヒースさんの魂は幸せだと言っていました」
「母の『体』は、そうは言ってませんよ?」
「そうですね……ヒースさんは精神性が高い反面、肉体について無頓着だったかもしれません」
「もし、本当に土に原因があるなら、同じ畑の作物を食べている他の村人だって、いつかああなるかもしれない。パスクにはそれを証明できる人物がいないんです」
マーロウさんの一言で、私の脳裏に、ある人の姿が思い浮かびました。
「土について詳しい人に心当たりがあります。五日ほど、お時間をいただけませんか?」
私は来た道を引き返すかたちで、山麓のカイエンへ下り、さらに鉄道を使ってヤーバまで行きました。
目的地はヤーバ大学です。
私は大学の構内に駆けこむと、アルパイさんを探しました。
コーカスの無限階段で指を数本失った熊髭の男は、小さな教室で地学の講義をしていました。
廊下で待っていると、やがて授業が終わり、学生たちの後から彼が出てきました。
「プラム先生? パスクへ行ってたんじゃ……」
「詳しいことは後で話します。私と一緒にすぐ来てください」
「まあ、落ち着いて。俺だって暇じゃないんだ。事と次第によるよ」
「そ、そうでした……」
私はヒースさんの症状とパスクの土の関係について話しました。
アルパイさんはあご髭をぼりぼりかくと、ニッと歯を見せました。
「パスクはしばらく登ってなかったんだ。これで大義名分ができた」
「あんな目に遭って、まだ登るつもりなんですか?」
「じゃあ君は、癒しの施術が自分の命を削ると言われたら、癒師を引退するかい?」
頭を金槌で殴られたような錯覚に襲われました。
私はうつむき、小さく言いました。
「失言でした」
それをせずにいられないのが、その人の人生の目的なのです。私の仕事だって、他の人から見れば、バカバカしかったり、狂っているように見えるのかもしれません。
「そんな話をしている場合じゃない。すぐに出よう」
私とアルパイさんはパスクの頂へ急ぎました。
天空の庭に帰ってきた私は、すぐにマーロウさんを呼び出し、二人で学者の調査を見守りました。
アルパイさんはトランクからガラス瓶を取り出すと、八番地の畑の土を入れて水に溶かしました。少し待ってから上澄み液をパレットに分け、数種類の試薬をたらしていきました。水はさまざまな色に染まりましたが、素人には何のことかわかりません。
アルパイさんは色の変化を見て、うなずきました。
「なるほど、そういうことか」
マーロウさんは、ヤーバの地学者に近寄って言いました。
「やはり土が悪いんですか?」
「他の地域に比べて、金属成分が足りないね」
「金属? 土と鉄の棒に何の関係が?」
アルパイさんは笑いました。
「金属がみんな鉄塔みたいな塊だと思ったら、大間違いだよ」
ヤーバの地学者は、地中に含まれる無機物について、理科に疎い若者二人に講義をはじめました。微量とはいえ金属をはじめとする特定の無機物が不足すると、人間は重い病気にかかるのだそうです。
マーロウさんは言いました。
「パスクの土の成分が原因なのはわかりました。でも、なぜ僕の母だけが病気なのか、という答えにはなってませんよ?」
「残る問題は、そこなんだが……」
髭の先生は首を傾げました。
私はヒースさんの食生活を思い出し、二人に言いました。
「アルパイさんの講義のおかげで、わかったことがあるんですが……」
男たちは顔を見合わせると、私につづきを促しました。
「ヒースさんは水を人の二倍飲むそうですが、まずそのせいで無機物が体から汗や尿としてどんどん出ています。それから、ただでさえ金属成分の少ない土から採れた作物を、人の半分しか食べない。その結果、単純計算ですけど、他の人の四倍はリスクが高いのではないかと……」
アルパイさんはパチンと指をならしました。
「その勘はきっと正しいぞ」
私たちは畑を後にすると、ヒースさんの下へ向かい、食生活を改めるよう説得しました。
いつものようにハンモックで横になるヒースさんは、困った表情を浮かべていました。声を出すための筋肉が弱っていて、話すことはできません。
マーロウさんは言いました。
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第八章】 作家名:あずまや