復興した国
空を見上げた。
大粒の水滴が突き刺すように顔へと降り注ぐ。激しく、痛く―――。
とっくに夜が明けてもう昼になる時間にも関わらず、覆い隠すように延々と広がる黒雲は日光を遮断して、薄暗く不気味な世界を作り上げていた。折々閃光が穿っては轟音を発し、周りに立ち込める騒めきをかき消す。夥しい量の冷たい雫が顔に降り注ぎ、頬を伝っては流れ落ちていった。衣服の吸収は飽和して、着心地は言うまでもなく最悪である。
雨は止むことがない。
最初の山を降りてからもう一週間経つものの、一向に雨の止む気配のないまま、登っては降ってとその繰り返しを重ねる。前の国で、あの山の向こうは雨が多いと話に聞いていたが、「多い」と言うより「しか」と表現した方が正しいのではないだろうか。たまに勢いが弱くなる程度で決して途切れることはない。そのせいもあって道は良くて泥濘、悪いと膝が没するほど水嵩をはる。目指している国は山々に囲まれた平地にあると聞いていたが、未だにたどり着かない。商人が使用している道は長い雨で泥濘み、僕らのモーターサイクルでは進むのが困難だ。いっそ馬か牛にでも乗れば早いのだろうが、生憎そんなものはない。この悪条件の中、足枷になってしまったモーターサイクルと荷台に積んでいる必要最低限にも関わらず重量のある荷物を押しながら、自分の足のみでひたすら歩き続けている。
予想以上の雨量に進行が阻まれ、備蓄した携帯食料も残りわずか。いつも多めに用意しているものの、3日で到着すると思われた旅がこうも長くなると、どうすることでもできない。あと僅かでそこを尽きてしまう。いつもなら足りない分を採取なり狩猟なりで調達するのだが、山奥にも関わらず大木の下に水辺にしか生えない草や、藻のように足にしがみつく水生植物があったりなど、この独特の気候によるものなのか、普通なら生息しないような種や見たことのない固有種が多く分布していたため、安易な判断だけで食べようと思わなかったし、だから無用な殺生はしなかった。食べられるかわからないものを採取や狩猟したところで無駄な体力を消耗するだけである。進みながらも周囲に気を配ってめぼしい物がないか探していたが、今まで僕らが見てきた食用のものはおろか、どこへ行っても生えているような雑草でさえこの土地にはいないようだった。脛まで水嵩が張っているため何度か魚の姿を見たが、あたり一面が雨水に浸かっているので向こうに軍配が上がることだろう。それにこっちはモーターサイクルを手押ししているので自由が利かないし、食べられる魚類とも限らなかった。調達のない旅が長くなるにつれ、残りの食料は減っていく。
3週間水だけで生活したという男の話を聞いたことがあるが、彼の場合おそらく必要以上に体を動かさなかったに違いない。しかし僕らの場合、山を降りて登るという行為を休まず続けなければならないため、食料が尽きれば1日と持たないだろう。今日か明日に着かなければ行き倒れになるに違いない。いや、たとえ十分な食料を準備していたとしても、またこれから運が巡って確保できたとしても、雨で暖や休息を満足に取れないまま6日間、ひたすら「山を越えてはまた次の山を」の繰り返しで溜まりに溜まった疲労は限界に達しかけている。濡れた衣服の嫌悪感も未だに慣れないまま、足丈10cmを水に浸かっての歩行は精神的にも肉体的にも過酷であった。旅に必要最低限の荷物も、今は使い物にならないモーターサイクルも、日が経つほどにより強力な足枷へと変貌し、また山を登るときは上から地面を経て流れてくる雨水を掻き分けて、降りる時はこちらを押し出す泥水の流れに飲み込まれぬよう、さらに体力と集中力を振り絞らなければならなかった。流れてくる石や瓦礫、比較的緩やかな場所や平坦な所は水嵩が増しているので細心の注意を払い、気も足も休むことのできない移動が続く。
今更引き返すこともできないので一刻も早く目的地に着く必要があったが、大自然はそんな僕らをあざ笑うように勢いを増すばかりだった。雷は遠くにいったものの、雨は衰えることを知らない。
「レオ、これくらいでへたばってるようじゃ、まだまだだな」
「兄さんこそ、もうヘトヘトなんじゃないの。なんなら僕が背負ってあげようか」
「弟にそんなことされたら兄の面目ねーよ」
「僕の方が喧嘩強い時点で面目もなにもないけどね」
「根性と頭脳と気合は勝ってるけどな」
「あと減らず口もだね」
そんないつものやり取りでお互いを励ます。こうでもしないと身体よりも精神の方が一足先に限界に達しそうだった。意地を張りながら歩き続ける。
以前訪れた熱帯の国のように、激しい音と共に夥しい量の水滴が降り注ぐ。スコールと言っていたが、あれはこんなに長続きしなかった。嵐のように突然やって来ては去っていく。それに比べ、ここの雨は収まる気配がない。
嵐のような激しさを物語る音が鳴り響いている。驚くことにそれは風が吹いているのではなく、ただ単純に降り注ぐ雨粒が草木に当たることで発せられていた。風なしに嵐の如くざわめきをもたらす雨は、夥しい量の降水で木を揺さぶり、その枝を激しくなびかせ、草を踊り狂わせる。
一様に言い表し難いほどの激しい雨だが、不幸中の幸いで風が吹いてないだけでもありがたかった。もっとも、山奥で周りには樹齢500年を超えると思われる巨大な大木が比較的多いこともあり、風の影響で進行に支障が来す心配は元々なかったのだが、それでも風がないということは本当にラッキーなことである。風というものはなかなか厄介なもので、砂漠だと砂嵐に熱風、雪山だと吹雪、海辺では航海の延期や中断など、旅をする上で無視できない自然現象なのだ。それがないというのは進行を大きく妨げる障害が1つないのと一緒である。これまでの旅でも風のせいで入国を延期したことや逆になかったおかげで予定より早く到着したことなど、風にまつわる旅のエピソードは一気に語りきれないほど多い。
もしもこの土地がこの雨加えさらに風が吹き荒れるようであったなら、今頃僕らの旅は終わっていたことだろう。雨水に浸かり足を取られながら、乾かすこともできずにずぶ濡れの服を着続け、荷物を携えて山の中を移動していき、日に日に減っていく食料を眺め、雨を凌ぐこともできないまま眠りにつき、また休みのない移動を繰り返す―――そんな生活の繰り返しの中に風というさらなる追い打ちが加わったら、きっと身体的にも精神的にも止めを刺されていたに違いない。もうすでに風がなくとも限界が近づいているのだから、あったらひとたまりもなかっただろう。
いや、けどそしたら、目指している国には行かずに遠回りをして別の国へ向かったかもしれない…ような気がする。これまでも風の影響で入国を諦めた国があったし、そもそも風はないって話から今目指している国へ行こうと決めたんだよね、確か。
そう考えると風があったほうが、この危機的な状況を生まずに済んだのではないだろうか。うーん…。
そんな誰に文句を言ったらいいのか分からない疑問を思い返しながら、僕らの旅は続いた。