廻る夏と彼女と紅茶、または自転車
(廻る夏と彼女と紅茶、または自転車)
昼休みに開けて、あまりの甘さに飲みきることのできないままぬるくなったミルクティーの紙パックをバッグと一緒に自転車の籠に放り込み、僕は彼女の家を目指して愛車を走らせた。ところどころ錆びついてギシギシときしむ車体は、かれこれ8年物のヴィンテージだ。従妹より譲り受けて以来、一度すり減ったタイヤを交換しただけでいまだ現役である。校門を出て、住宅街に複数ある坂道を三回超えた場所に彼女の家は存在する。茂りっ放しの垣根の終わりを曲がって自転車を降りると、案の定彼女は鼻歌交じりに庭に置かれたバスタブに水を張っているところだった。引きずられたせいでところどころ土に汚れているホースは、いつものようにジョボジョボと水を垂れ流している。カタン、と音を立てて自転車を止めれば、彼女は僕に気が付いてニッと笑った。
「や。今日は早かったね」
「ああ、うん。今日は5限で終わりだったから」
「そっかそっか。あれ、それ」
自転車の籠を指さして、彼女は一瞬きょとんとした後いたずらっこのような顔で言った。
「おそろい!」
彼女が掲げてみせるのは2Lのペットボトルに入ったミルクティー。底面には草や土がついていて、冷蔵庫から出して間もないのかツツ、と水滴がボトルを流れて行った。僕も飲みかけの紙パックを掲げて言う。
「そうだね、お揃い」
「うんうん、これ甘くて美味しいよね。あ、あとさコンビニ連れてってよ」
「いいけど、なんで」
僕の素朴な疑問に、彼女はペットボトルを揺らし簡素に答えた。
「ミルクティー、これで買い溜めといた分終わりなんだ」
うまい具合にバスタブの淵にホースを引っかけて、彼女はこちらへと歩いてきた。すれ違いざま、僕の手にある紙パックを自然な動作でするりと抜き取りストローに口を付けた。いつのまに飲んだのか、ペットボトルの中身は空っぽになっていて、彼女はそれを縁側に放り投げた。鈍い音が庭に響いて、水滴と付着していた土と草とが日の光にキラキラと宙に舞う様子に僕は目を奪われる。
「美味しいけど、ぬるい」
その声に、僕は我に返った。紙パックを持ったまま、彼女は顔をしかめていた。僕が苦笑をして、昼休みに開けたやつだから、と言うと、もっと早く言え、とでも言うように彼女は僕をにらむ。そして彼女は思い出したように手を伸ばして蛇口を閉めると、バスタブに引っかけてあったホースはゴボッと内部に溜まっていた水を吐いて地面へと落ちた。むき出しの土が濃い色に染まっていく。生ぬるい風が吹いて、手入れのされていない草木が揺れる。
「ねえ。コンビニ、早く行こうよ」
気が付けば彼女は僕の自転車の荷台にまたがって、そのスラリと伸びた脚でザリザリと地面を引っ掻いていた。慌てて僕がサドルにまたがれば、彼女が自転車のスタンドを蹴る。ゆっくりと漕ぎ出した先はゆるやかな坂道。決して鍛えているわけでもなく体力も人並みの僕は、ゼエゼエと呼吸を荒げながら坂を上る。彼女は頑張れ、と僕に声をかけるも降りる気配は一向に見せない。代わりに右側からニュッと紙パックを持った手を差し出して、僕の口にストローを持ってきた。なんだというのだ、これは。
「水分補給。熱中症で倒れられちゃたまんない」
そう思うんだったら降りてくれ、などと言えるわけもなく、必死の形相で僕はストローにかじりつき、中身を一気に吸い上げた。甘ったるい。ひどく甘ったるくて、のどが焼けるようだ。おまけにぬるい。中身が無くなって、ジュウジュウとストローが音を立て始めたとき、後ろで彼女が笑っているのが分かった。いったい、何がそんなにおかしいのか。
「あのさ、これってさ。…関節キスだね」
アスファルトの照り返しと、酸欠とでクラクラする頭に更なるとどめだ。すんでのところで踏みとどまり、坂道の頂上までなんとか登りきる。いったん道路の隅に停車すると、一気に汗が噴き出してきた。バッグからタオルと弁当箱と一緒に入れておいた保冷剤を取り出し、首に押し当てる。彼女は相変わらずケラケラ笑っていた。クールダウンして、坂道を下っていけば、生ぬるい空気を僕らの体が裂いていく。色鮮やかなコンビニの看板が見えてくると、彼女は笑いをこらえるようにしながら呟いたのだった。
「夏、終わらなきゃいいのになあ」
今まで止まっていた蝉の鳴き声が、再び住宅街に響きだす。
見上げれば、山の向こうには入道雲が湧いていた。
作品名:廻る夏と彼女と紅茶、または自転車 作家名:ripo