プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第五章】
「お悩みのようですけど、何かあったんですか?」
「……」
メガネの奥の瞳が、ギロッと私のほうを向きました。
「す、すみません。出過ぎた真似でした」
「今月の私は運勢が悪いのかしら。今この界隈にいる癒師が、私とあなたの二人だけなんてね」
こ、これはもしや……誘っているのでは?
私はもじもじしながら言いました。
「あ、あの……そこのカフェでちょっと話しませんか?」
ユーカさんは長い金髪をかきあげると言いました。
「フン、たまには劣等生の逆武勇伝でも聞いてあげようかしら」
私とユーカさんは近くのカフェに入ると、一番奥の薄暗い席まで行き、向かい合って座りました。
私はまず、旅先であったこれぞという失敗談を並べたて、ユーカさんを笑わせることに専念しました。
やがて話が途切れると、ユーカさんは例の患者のことを語りはじめました。
名前はビット、三十一歳。彼女は若い頃から拒食症になりがちで、治療のために市内の病院に通っていました。体力がなくてあまり働けないビットさんは、途中でお金が払えなくなり、今年の春に通院をやめてしまいました。困っていたところに、アイブライト峠から下りてきたユーカさんが現れた、というわけでした。
施術をはじめると、ビットさんは日に日に回復していき、食事も三度きちんと摂れるようになりました。自力で回復できると判断したユーカさんは、彼女のもとを去ろうとしました。すると、また症状が悪くなり、施術再開。今度こそ治ったと思って去ろうとしたらまた悪化、再々施術。そんなことの繰り返しでした。
「あの女、はじめっから治す気なんかないんだわ」
ユーカさんは言いました。
「まあまあ、抑えて……」
私は苦笑を見せるのが精一杯でした。癒術学校の関係者に聞かれたら大問題です。
「私、こんなところでつまずいてる場合じゃないの。オピアムで三百人癒したら、さっさとカレンデュラをまわって、来年の春には学校で盛大なパーティーよ」
後半を意訳すると『来年の春には故郷へ帰り、本試験を優秀な成績で受かることまちがいなく、癒術界の期待に見事応えた自分に対して、学校関係者は盛大に祝ってくれるでしょう』だと思います。ちなみに、カレンデュラは大陸四カ国の一つで、ウォールズやカスターランドの南に広がる熱帯の国です。
「さ、三百人も……ですか」
「大癒師になるつもりなら、そのくらい最低限のノルマよ。それが、あの女のせいで、まだ三十人にも達してないなんて……」
一度施術を引き受けてしまったら、癒師の方から断ることは許されません。ユーカさんが焦る気持ちは、わからなくもないです。
「私なんて……一ヶ月余りでまだ一人だけです。それもまだ途中だし……」
「それでも癒師を名乗れるなんて、うらやましいわ」
「はぅ……」
でも、地方ではちょっとだけ活躍したんですよ。
と言い返したいところを、ぐっとこらえ、意見に変えました。
「あの、患者さんも人間ですから、数字で計るべきじゃないと、私は思うんです」
「あなたはまだそんな甘いことを言ってるの? 一人一人が多くの患者を治せるなら、目が届かずに死なせてしまう人なんていなくなるでしょ」
「それは、そうですけど……」
たしかに彼女の言うことも正論の一つです。でも、患者を大量生産の工業製品のように扱う医師が増えている現状を知る私としては、ユーカさんの考え方にはどうしても賛成できません。
とはいえ、口のまわるユーカさんを説き伏せるつもりは、私にはありません。その代わりに、彼女のプライドを満たすためのアイデアを一つ出しました。
「もし、ユーカさんさえよろしければ、ビットさんの治療を、私に引き継がせていただけませんか?」
ユーカさんは、すすっていた紅茶を吹き出しました。
「な、なんですって?」
「そうすれば、ユーカさんは先に行けますよ? 癒師同士の引き継ぎなら、掟にも抵触しませんし」
「……」
ユーカさんは汚れたテーブルをナプキンでふくと、黙りこくってしまいました。
重い沈黙の後、ユーカさんは低く言いました。
「この私が持て余した患者なのよ。あなたに治せるわけないじゃない」
「では、私のダメっぷりを笑って気分転換する、というのはどうでしょう?」
ユーカさんは意地悪そうな微笑みを浮かべました。
「フン、おもしろそうね。なら一週間だけ、あのヒステリー女をあなたに貸してあげるわ」
「あ、ありがとうございます」
過激な発言にドキドキしながら、私は冷えた紅茶を飲み干しました。
ビットさんの家を訪ねた私は、事情を話して癒師の臨時交代を告げました。
ユーカさんは体調不良で寝込んでいることにしてあります。今は私の様子を陰から見張っているはずです。
今日の私はいつもの黒衣姿。凶悪癒師の噂はまだ消えていませんが、チャラチャラした先輩の私服では説得力がありませんので。
テラスの白木イスに座ったビットさんは、不満げな顔で言いました。
「癒師が違えば、治療の効果も違うのかしら?」
「そうですね。能力の差は多少あると思います」
私は丸いテーブルをはさんで患者の向かいに座りました。
「あなたは、あの生意気な女より優秀なの?」
いきなりの暴言に、私は息が詰まりそうでした。今頃ユーカさんは、どんな顔しているんでしょう。
「いいえ、私なんて……」
同僚の怒りを抑えるために、自分をなるべく低くアピールしようとして、私は思いとどまりました。
「……じゃなくて、その、癒師それぞれ個性がありますので、一概には優劣はつけられません」
ああ、これでユーカさんには完全に嫌われてしまったでしょう。それでも私は、患者の前では、プロの癒し手として大きく構えていなくてはなりません。
「そうなの。まあ、いいわ。じゃあ、はじめてくれる? ベッドに寝る必要はあるかしら?」
「そのままで結構です」
「……」
「……」
「何してるの? 施術をやりに来たんでしょう?」
「はい。もうはじめてます」
「すまして座ってるだけじゃない」
「お話をしています」
「話なんていらないわ。ちゃんと施術をして」
「正規の施術なら、ユーカ癒師の方がずっと優秀です。ただ、私は別のやり方のほうが上手くいくと確信しています」
「……」
「ビットさんのことをすべてわかったわけではありませんが、事情を聞いた上で、少なくとも私から言えるのは……」
私は間をためてから言葉を継ぎました。
「あなたは誰かを失いたくない。その人の気を引きたくて、あえて病んだ自分に戻ってはいませんか?」
ビットさんは強ばった顔で言いました。
「な、なにを根拠にそんなことを……」
「少しだけあなたのことを調べました。ビットさんは五人きょうだいの長女で、あなただけ自立していて、弟さんや妹さんはまだ実家で暮らしている」
「……そうよ」
「ご両親は、あなたが病気をしたときに限って、様子を見にきてくれた。違いますか?」
「実家に行ったのね!」
「興奮しないでください。あなたの病気は結果です。原因を取り除くために、必要な質問だったんです」
「……」
「結論を言いましょう。あなたが失いたくないのは……」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第五章】 作家名:あずまや