映し身人形
「また失敗だ……」
ドアを開けるなり、酷く失望したようにつぶやいた彼は、四十ほどの歳だろう。
連れ添っている女性に向けられた顔の眉間には、深いしわが寄っていた。
「納得いかなかった、と……? 有島様」
室内にいたもう一人の男が彼に聞いた。
「いちいち言わせるな。すぐに改良に移るぞ」
有島と呼ばれた男は、部屋の中の、白く、人一人寝転ぶのがやっとの台に、彼女を寝かせた。
あたかも物を扱うかのように、乱暴に、激しい音がするくらいに、だ。
それでも、彼女は顔色一つ変えない。あまりにも無表情。生気のかけらもない。
もう一人の男は、有島の暴挙にお構いなく、近場にあったコンピュータのキーを叩き始めた。慣れた光景らしい。
有島は何回か肩で息をすると、その手で、そっと、彼女の前髪をかきあげた。
「美由紀……。いつになったら私はお前に会えるのだ?」
彼女は何も答えなかった。
「父さんは?」
有島重工本社の自動ドアをくぐった成章は、受付の女性に聞いた。
「はい……どちら様でしょうか?」
意外な答えに成章は少々とまどった。普段は顔パスで通れるはずなのだが……。
「あ、君、ひょっとして新人さん? 見ない顔だと思ったら」
ますますわけがわからないといった表情をしていた女性は、もう一人の仕事仲間に「ちょっと、バカ!」などと耳打ちされると、みるみるうちに顔を青ざめさせていった。
「も、申し訳ございません、ご子息様! 会長は最上階におられます」
「いつも通り、ね……。まあ、気にしてないから」
そう言い残すと、成章はエレベーターへと向かっていった。
その付近に群がっていた社員たちは、一様に彼のために道を開ける。目的の階のボタンを押そうとしていた者は、はっと手を止めて会釈をする。
こんなつい最近高校生になったばかりのガキに……と、成章自身が思うのだった。
本社ビルの最上階は、まるまる会長――有島辰信のプライベート用ということになっており、会長本人やその側近を始め、限られた人物のみが出入りを許されている。
会長の息子、いわゆる御曹司の有島成章もその一人である。
そして、この最上階で、とある計画が進められていることを知っているのも、その限られた人々のみなのだ。
「父さん……」
成章が、大きな一室に備え付けられている網膜認証装置を覗くと、部屋のドアが自動で開いた。
「会長、ご子息様が……」
そう言ったのは辰信の右腕の黒岳だ。
「成章か……、何の用だ?」
コンピュータに向かっていた辰信は、いかにも大儀そうに成章を横目で見た。
息子が親父に会うのにいちいち理由がいるのか、と成章は毒づきたくなる。
「今度、授業参観があるんだけど……、やっぱり来れないよね」
「当たり前だろう」
「なら、このプリントにサインしてくれない? 出欠席届けに」
辰信は仕方なしにペン立てのボールペンを手に取った。
別に授業参観うんぬんのサインくらい、父の筆跡を真似して書けばいいのだろうが、成章はこんな些細な触れ合いにすら飢えていたのだった。
生まれてこのかた、家族というものを身近に感じていない。
「すまんな、成章」
「え……?」
プリントを返した父の、突然の謝罪。
「あと、もう少し……、あと、一息なんだ。そうしたら、今までの分、三人で楽しく暮らそう」
連日の激務に憔悴しきった顔で、久々にそのようなことを言われたものだから、成章はたじろいだ。彼に父親らしさがほんの少しでも残っていたことに驚く。
それにしても……。
「そうしたら、か……。母さんが生き返ったら……」
成章は父から目を離して、辺りを見渡した。
部屋には何台ものスーパーコンピュータが置かれており、辰信の他、数人が個人用のコンピュータと格闘している。
そして、部屋の中心に置かれた台に横たわる女性。
成章は彼女に近づいた。
「この人が、俺の、母さん……」
彼女は、十五年以上前の写真に写る母、そのものの顔立ちをしていた。
成章は、自分の知りえている事の次第を思い返した。
辰信の妻、つまり、成章の母、美由紀は、成章を産んですぐに交通事故で亡くなった。
辰信の悲しみは相当なものだったが、じきに、ある考えに至った。
数多くの子会社を傘下に持ち、世界各国への進出を果たした、国際的に有名な大企業の有島重工が、前々から開発していた二足歩行ロボット――そのプロジェクトを利用し、美由紀を人造人間、すなわちアンドロイドとして蘇らせようと。
辰信は躍起になって取り組んだ。
そして、あっさりと完成直前にまでこぎつけた。
有島重工の技術力と資金力、何よりも辰信の執念は、たった十年ほどで、人間とほぼ遜色なく立ち、歩き、行動するロボットを作り上げたのだった。
だが、そこから数年間、辰信は足踏みを続けている。
そのロボットには、感情がなかった。
成章は詳しくは知らないのだが、辰信がいつまでも満足しなかったことは確かだった。これは、辰信の思い出の中の美由紀では、断じてないと。
かくして、辰信は十数年間、家庭を顧みず研究に没頭しつづけている。歩くのもやっとのオモチャで世間の目を誤魔化しながら。
くだらない、と成章は家路に着きながら思う。
成章は母の顔を覚えていない。
思い出も何も持っていない。
今になって、機械として蘇った母と一緒に暮らすことになっても、違和感しか覚えないだろう。
そんなのは家族でもなんでもない。
父はそこのところを思い違えているのだ。
成章は自宅のドアを開けた。
住宅街にある、なんの変哲もない一戸建てだ。
幼い頃は、何人もの使用人と共に豪勢な邸宅に住んでいた。
だが、成章は使用人たちの世話を頑なに拒んだ。事あるごとに泣いてグズり、ついには全員を追い払って、一人暮らしを始めた。
別に孤独が好きだったわけではない。父のいない日常に慣れてしまうのが嫌だったのだ。
成章は、リビングの明かりをつけた。かばんをそのへんに放り投げ、ソファーに横になった成章は、無意識に棚へと視線を移した。移してしまった。
リビングに置かれている棚にはトロフィーの類がずらりと並んでいる。各種スポーツやピアノ、バイオリンをはじめ、ありとあらゆるトロフィーが、蛍光灯の光を受けて黄金色に輝いている。
さらに、壁には、英語検定準一級合格だの自画像コンクール大賞だのと書かれた賞状が入った額縁が、これまたずらりとかけられていた。
「あんなものがあったって……」
親父は振り向いてくれない。
成章はすぐにそっぽを向いた。
父の気を引くためなら勉強でもスポーツでもなんでもやった。努力に努力を重ね、この春、県で一番の進学校に入学した。
だが、それでもなお、父はお祝いのひとつもくれなかった。
どうあがいても父は自分に関心を持ってくれない。
成章は無駄な努力を続けている自分が馬鹿らしく思えているのだった。
「くそっ……くそっ……父さん……」
上等なソファーに点々と黒いシミがついていった。
ある日、閉館ぎりぎりまで図書館で自習していた成章は、足早に自宅へ向かっていた。
ドアを開けるなり、酷く失望したようにつぶやいた彼は、四十ほどの歳だろう。
連れ添っている女性に向けられた顔の眉間には、深いしわが寄っていた。
「納得いかなかった、と……? 有島様」
室内にいたもう一人の男が彼に聞いた。
「いちいち言わせるな。すぐに改良に移るぞ」
有島と呼ばれた男は、部屋の中の、白く、人一人寝転ぶのがやっとの台に、彼女を寝かせた。
あたかも物を扱うかのように、乱暴に、激しい音がするくらいに、だ。
それでも、彼女は顔色一つ変えない。あまりにも無表情。生気のかけらもない。
もう一人の男は、有島の暴挙にお構いなく、近場にあったコンピュータのキーを叩き始めた。慣れた光景らしい。
有島は何回か肩で息をすると、その手で、そっと、彼女の前髪をかきあげた。
「美由紀……。いつになったら私はお前に会えるのだ?」
彼女は何も答えなかった。
「父さんは?」
有島重工本社の自動ドアをくぐった成章は、受付の女性に聞いた。
「はい……どちら様でしょうか?」
意外な答えに成章は少々とまどった。普段は顔パスで通れるはずなのだが……。
「あ、君、ひょっとして新人さん? 見ない顔だと思ったら」
ますますわけがわからないといった表情をしていた女性は、もう一人の仕事仲間に「ちょっと、バカ!」などと耳打ちされると、みるみるうちに顔を青ざめさせていった。
「も、申し訳ございません、ご子息様! 会長は最上階におられます」
「いつも通り、ね……。まあ、気にしてないから」
そう言い残すと、成章はエレベーターへと向かっていった。
その付近に群がっていた社員たちは、一様に彼のために道を開ける。目的の階のボタンを押そうとしていた者は、はっと手を止めて会釈をする。
こんなつい最近高校生になったばかりのガキに……と、成章自身が思うのだった。
本社ビルの最上階は、まるまる会長――有島辰信のプライベート用ということになっており、会長本人やその側近を始め、限られた人物のみが出入りを許されている。
会長の息子、いわゆる御曹司の有島成章もその一人である。
そして、この最上階で、とある計画が進められていることを知っているのも、その限られた人々のみなのだ。
「父さん……」
成章が、大きな一室に備え付けられている網膜認証装置を覗くと、部屋のドアが自動で開いた。
「会長、ご子息様が……」
そう言ったのは辰信の右腕の黒岳だ。
「成章か……、何の用だ?」
コンピュータに向かっていた辰信は、いかにも大儀そうに成章を横目で見た。
息子が親父に会うのにいちいち理由がいるのか、と成章は毒づきたくなる。
「今度、授業参観があるんだけど……、やっぱり来れないよね」
「当たり前だろう」
「なら、このプリントにサインしてくれない? 出欠席届けに」
辰信は仕方なしにペン立てのボールペンを手に取った。
別に授業参観うんぬんのサインくらい、父の筆跡を真似して書けばいいのだろうが、成章はこんな些細な触れ合いにすら飢えていたのだった。
生まれてこのかた、家族というものを身近に感じていない。
「すまんな、成章」
「え……?」
プリントを返した父の、突然の謝罪。
「あと、もう少し……、あと、一息なんだ。そうしたら、今までの分、三人で楽しく暮らそう」
連日の激務に憔悴しきった顔で、久々にそのようなことを言われたものだから、成章はたじろいだ。彼に父親らしさがほんの少しでも残っていたことに驚く。
それにしても……。
「そうしたら、か……。母さんが生き返ったら……」
成章は父から目を離して、辺りを見渡した。
部屋には何台ものスーパーコンピュータが置かれており、辰信の他、数人が個人用のコンピュータと格闘している。
そして、部屋の中心に置かれた台に横たわる女性。
成章は彼女に近づいた。
「この人が、俺の、母さん……」
彼女は、十五年以上前の写真に写る母、そのものの顔立ちをしていた。
成章は、自分の知りえている事の次第を思い返した。
辰信の妻、つまり、成章の母、美由紀は、成章を産んですぐに交通事故で亡くなった。
辰信の悲しみは相当なものだったが、じきに、ある考えに至った。
数多くの子会社を傘下に持ち、世界各国への進出を果たした、国際的に有名な大企業の有島重工が、前々から開発していた二足歩行ロボット――そのプロジェクトを利用し、美由紀を人造人間、すなわちアンドロイドとして蘇らせようと。
辰信は躍起になって取り組んだ。
そして、あっさりと完成直前にまでこぎつけた。
有島重工の技術力と資金力、何よりも辰信の執念は、たった十年ほどで、人間とほぼ遜色なく立ち、歩き、行動するロボットを作り上げたのだった。
だが、そこから数年間、辰信は足踏みを続けている。
そのロボットには、感情がなかった。
成章は詳しくは知らないのだが、辰信がいつまでも満足しなかったことは確かだった。これは、辰信の思い出の中の美由紀では、断じてないと。
かくして、辰信は十数年間、家庭を顧みず研究に没頭しつづけている。歩くのもやっとのオモチャで世間の目を誤魔化しながら。
くだらない、と成章は家路に着きながら思う。
成章は母の顔を覚えていない。
思い出も何も持っていない。
今になって、機械として蘇った母と一緒に暮らすことになっても、違和感しか覚えないだろう。
そんなのは家族でもなんでもない。
父はそこのところを思い違えているのだ。
成章は自宅のドアを開けた。
住宅街にある、なんの変哲もない一戸建てだ。
幼い頃は、何人もの使用人と共に豪勢な邸宅に住んでいた。
だが、成章は使用人たちの世話を頑なに拒んだ。事あるごとに泣いてグズり、ついには全員を追い払って、一人暮らしを始めた。
別に孤独が好きだったわけではない。父のいない日常に慣れてしまうのが嫌だったのだ。
成章は、リビングの明かりをつけた。かばんをそのへんに放り投げ、ソファーに横になった成章は、無意識に棚へと視線を移した。移してしまった。
リビングに置かれている棚にはトロフィーの類がずらりと並んでいる。各種スポーツやピアノ、バイオリンをはじめ、ありとあらゆるトロフィーが、蛍光灯の光を受けて黄金色に輝いている。
さらに、壁には、英語検定準一級合格だの自画像コンクール大賞だのと書かれた賞状が入った額縁が、これまたずらりとかけられていた。
「あんなものがあったって……」
親父は振り向いてくれない。
成章はすぐにそっぽを向いた。
父の気を引くためなら勉強でもスポーツでもなんでもやった。努力に努力を重ね、この春、県で一番の進学校に入学した。
だが、それでもなお、父はお祝いのひとつもくれなかった。
どうあがいても父は自分に関心を持ってくれない。
成章は無駄な努力を続けている自分が馬鹿らしく思えているのだった。
「くそっ……くそっ……父さん……」
上等なソファーに点々と黒いシミがついていった。
ある日、閉館ぎりぎりまで図書館で自習していた成章は、足早に自宅へ向かっていた。