プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】
第二十六話 ロックローズ兄妹と海賊の島
三隻の黒い帆船は、岩礁だらけの海域を悠々と走っていきました。
私は船長室に通され、ベスト一丁の頭領と二人きりとなりました。
部屋は想像していた感じとちがい、書斎と応接間がセットになっただけの地味なものでした。
机に向かい海図を見ていた頭領は、私に長ソファに座るよう促しました。
「きらびやかな部屋で、酒ばっか飲んでると思ったか?」
頭領は横顔のまま言いました。
「えっ?」
男は顔を上げ、私を見つめました。
「それは大戦前、北や南の海で暴れていた連中のことさ。俺はロックローズ三世、ヘイゼルの総統だ」
総統……その肩書きに私は疑問を覚えました。総統とは、国政軍事を一手にする一国の主のことです。
「あの、私の記憶が正しければですけど、ヘイゼル諸島は二百年前の大戦後、ウォールズ国に併合されて……」
「言うな! 俺たちはそんなもん認めてねぇ。実際、ウォールズの腰抜けどもは、とっくに諦めてるしな」
ロックローズさんの話によると、併合の話は戦勝国のカスターランド王が勝手に決めたことなのだとか。一方、ヘイゼル側は、船の墓場ともいえる岩礁群を活かして激しく抵抗したため、一度も上陸を許していません。ただ、彼らに世間の認識を覆すだけの力はなく、名目上はウォールズ国ヘイゼル自治区となっていたのでした。
「自警隊はやってこないのですか? 海賊被害の訴えを無視できるとは思えませんが」
「親父……ロックローズ二世の頃は、たまに戦を仕掛けてきたらしいがな。ウスノロどもは最近ようやく、自分のマヌケっぷりがわかったらしい」
意訳すると『ウォールズ隊は最近ようやく、自前の戦力で平定するには地理的条件が悪すぎることを理解したらしい』だと思います。
現状では、ヘイゼル諸島は独立した地域と見ていいようです。
海賊たちが定期船マレイン号から持ち出したのは、食品、生活用品、医薬品、それに治療のできる人材——つまり船医の身代わりとなった私——です。金目の物にはほとんど手を出していません。
実用重視の船室といい、軽装の男たちといい、彼らは好きでこの仕事をしているとは、私には思えませんでした。
ロックローズさんは肘かけに寄りかかって、私を見つめました。
「なんか、不満そうだな」
「事情はあるのでしょうが、それは問わないことにします。私は私の仕事をするだけです」
「人の命を救う人間が、人殺しを助けていいのかよ」
「人を殺すかどうかは、私の問題ではありません」
「へぇ、言うじゃねぇか」男は真顔から一転、ニヤけた顔で言いました。「ま、これから死ぬまでよろしく頼むぜ、先生」
「私を島から出さないつもりですか?」
総統は女っぽい目つきをして、私の口真似をしました。
「事情はあるのでしょうがぁ、それは問わないことにしますぅ」
「……」
島の事情について、私の予感が正しければ、彼の言う通りになるかもしれません。
私の人生を賭けた旅は、志半ばで終わってしまうのでしょうか。
夕方、三隻の黒い帆船はロック島の東港に到着しました。
篝火をたいて待っていた島民は、木箱を満載した船を見て、歓声を上げました。
渡し板が下ろされると、ロックローズさんは私を連れて、岩を四角く削った天然の波止場に降り立ちました。
総統は群衆に向かって声を張りました。
「紹介する。極東の島エルダーからやってきた、癒師のプラム先生だ!」
辺りは一瞬にして静かになりました。
海鳥たちが、上空で旋回しながらにゃあにゃあ笑っています。
人々はひそひそ声で相談をはじめました。
「言いてぇことはわかる。だが、先生は大陸の医者以上の存在だと、俺は確信している」
「理由を聞かせてもらおうか」
群衆の端にいる、総統によく似た初老の男は言いました。
「毒も呪いも効かねえこの俺が、動けなかった。先生がその気なら、俺は死んでいた」
「なるほど。信用しよう」
男は別の船が止まっている方へ去っていきました。
人々のささやきが聞こえてきます。
「シニアさんが……」「二世が……」「ローズ島の長が……」「親父さんが……」
二人の間柄はなんとなくわかりました。それにしても、さっきのピリピリした空気は一体なんだったのでしょう。
総統は言いました。
「獲物を分けるのは明日だ。今夜は存分にやってくれ!」
島民が盛り上がる中、ロックローズさんは私と近習の者たちを連れて、暗くなってきた坂道を上っていきました。
人の姿がまばらになると、ロックローズさんは色のない表情でつぶやきました。
「気にするな。王座に長くいた奴ってのは、何かと面倒くせぇのさ」
ヘイゼル諸島の中心、ロック島に渡った翌日の朝。
私は重大な事実を知らされました。
薄々感づいていた通り、この島は無医村だったのです。最大の島でさえそうなのですから、北にあるローズ島や、他の島々も同じことでした。
私は癒師の掟に従い、はじめは病人がいる家を渡り歩くつもりでいました。しかし、それでは急患や他島の人々には対応できません。
東港の近くに空き家が一軒あり、そこを下宿兼診療所として使わせていただくことになりました。
施術用ベッドさえあればすぐにでも開業できるのですが、ロックローズさんの話によれば、藁葺き屋根に穴があいていたり、部屋が荒れ放題だったりと問題が多く、掃除や改修などで少し時間がかかりそうだとのこと。
力仕事は男の方にお任せして、私は島を歩いて一回りしてみることにしました。
ロック島は高い崖に囲まれた天然の要害で、船がつけられる港は東西に一つずつしかありません。それでも島民は漁業を中心に生計を立てていました。海賊船の荒くれ者たちも、普段は漁師をしています。
内陸の方は、中心に低い山が一つあって、麓のなだらかな場所のほとんどが農地になっていました。赤みがかった土は痩せていて、採れる作物は限られていました。
島には貨幣が存在せず、物々交換が成り立っていました。宝石や金塊などはどこにもありません。
海賊の島といっても、実際は吹けば飛びそうな老朽化した家ばかりの、時代に取り残された土地でした。
私は島をまわってみて確信しました。彼らが『ときどき』海賊をやる理由はただ一つ。あと一歩のところで自給自足ができないからです。島人は結束が強く、人口が大陸へ流出するなどあり得ないとのこと。そうかといって、全島民を養ってくれるだけの天の恵みはありません。ウォールズ国と和平を交わし、貿易を行うのが得策なのでしょうが、被災地でのウォールズ自警隊の態度を見てきた私としては、その道も険しいように思いました。
二日がかりでゆっくり島を一周し、明日から診療所となる家に帰ってきました。
私は暮れかかった日を背に、深いため息をつきました。
「私、この島から逃げられないかもしれない」
「あ、帰ってきた」
子供っぽい声を耳にして、私は顔を上げました。
改修が終わった平屋の家の前に、女の子が一人立っています。
「えっと……」
私は首を傾げました。
おとといの晩、島のどこかで見た気がするのですが、疲れていたせいか記憶が曖昧です。
「あれー、忘れちゃったの? ひどいなぁ」
三隻の黒い帆船は、岩礁だらけの海域を悠々と走っていきました。
私は船長室に通され、ベスト一丁の頭領と二人きりとなりました。
部屋は想像していた感じとちがい、書斎と応接間がセットになっただけの地味なものでした。
机に向かい海図を見ていた頭領は、私に長ソファに座るよう促しました。
「きらびやかな部屋で、酒ばっか飲んでると思ったか?」
頭領は横顔のまま言いました。
「えっ?」
男は顔を上げ、私を見つめました。
「それは大戦前、北や南の海で暴れていた連中のことさ。俺はロックローズ三世、ヘイゼルの総統だ」
総統……その肩書きに私は疑問を覚えました。総統とは、国政軍事を一手にする一国の主のことです。
「あの、私の記憶が正しければですけど、ヘイゼル諸島は二百年前の大戦後、ウォールズ国に併合されて……」
「言うな! 俺たちはそんなもん認めてねぇ。実際、ウォールズの腰抜けどもは、とっくに諦めてるしな」
ロックローズさんの話によると、併合の話は戦勝国のカスターランド王が勝手に決めたことなのだとか。一方、ヘイゼル側は、船の墓場ともいえる岩礁群を活かして激しく抵抗したため、一度も上陸を許していません。ただ、彼らに世間の認識を覆すだけの力はなく、名目上はウォールズ国ヘイゼル自治区となっていたのでした。
「自警隊はやってこないのですか? 海賊被害の訴えを無視できるとは思えませんが」
「親父……ロックローズ二世の頃は、たまに戦を仕掛けてきたらしいがな。ウスノロどもは最近ようやく、自分のマヌケっぷりがわかったらしい」
意訳すると『ウォールズ隊は最近ようやく、自前の戦力で平定するには地理的条件が悪すぎることを理解したらしい』だと思います。
現状では、ヘイゼル諸島は独立した地域と見ていいようです。
海賊たちが定期船マレイン号から持ち出したのは、食品、生活用品、医薬品、それに治療のできる人材——つまり船医の身代わりとなった私——です。金目の物にはほとんど手を出していません。
実用重視の船室といい、軽装の男たちといい、彼らは好きでこの仕事をしているとは、私には思えませんでした。
ロックローズさんは肘かけに寄りかかって、私を見つめました。
「なんか、不満そうだな」
「事情はあるのでしょうが、それは問わないことにします。私は私の仕事をするだけです」
「人の命を救う人間が、人殺しを助けていいのかよ」
「人を殺すかどうかは、私の問題ではありません」
「へぇ、言うじゃねぇか」男は真顔から一転、ニヤけた顔で言いました。「ま、これから死ぬまでよろしく頼むぜ、先生」
「私を島から出さないつもりですか?」
総統は女っぽい目つきをして、私の口真似をしました。
「事情はあるのでしょうがぁ、それは問わないことにしますぅ」
「……」
島の事情について、私の予感が正しければ、彼の言う通りになるかもしれません。
私の人生を賭けた旅は、志半ばで終わってしまうのでしょうか。
夕方、三隻の黒い帆船はロック島の東港に到着しました。
篝火をたいて待っていた島民は、木箱を満載した船を見て、歓声を上げました。
渡し板が下ろされると、ロックローズさんは私を連れて、岩を四角く削った天然の波止場に降り立ちました。
総統は群衆に向かって声を張りました。
「紹介する。極東の島エルダーからやってきた、癒師のプラム先生だ!」
辺りは一瞬にして静かになりました。
海鳥たちが、上空で旋回しながらにゃあにゃあ笑っています。
人々はひそひそ声で相談をはじめました。
「言いてぇことはわかる。だが、先生は大陸の医者以上の存在だと、俺は確信している」
「理由を聞かせてもらおうか」
群衆の端にいる、総統によく似た初老の男は言いました。
「毒も呪いも効かねえこの俺が、動けなかった。先生がその気なら、俺は死んでいた」
「なるほど。信用しよう」
男は別の船が止まっている方へ去っていきました。
人々のささやきが聞こえてきます。
「シニアさんが……」「二世が……」「ローズ島の長が……」「親父さんが……」
二人の間柄はなんとなくわかりました。それにしても、さっきのピリピリした空気は一体なんだったのでしょう。
総統は言いました。
「獲物を分けるのは明日だ。今夜は存分にやってくれ!」
島民が盛り上がる中、ロックローズさんは私と近習の者たちを連れて、暗くなってきた坂道を上っていきました。
人の姿がまばらになると、ロックローズさんは色のない表情でつぶやきました。
「気にするな。王座に長くいた奴ってのは、何かと面倒くせぇのさ」
ヘイゼル諸島の中心、ロック島に渡った翌日の朝。
私は重大な事実を知らされました。
薄々感づいていた通り、この島は無医村だったのです。最大の島でさえそうなのですから、北にあるローズ島や、他の島々も同じことでした。
私は癒師の掟に従い、はじめは病人がいる家を渡り歩くつもりでいました。しかし、それでは急患や他島の人々には対応できません。
東港の近くに空き家が一軒あり、そこを下宿兼診療所として使わせていただくことになりました。
施術用ベッドさえあればすぐにでも開業できるのですが、ロックローズさんの話によれば、藁葺き屋根に穴があいていたり、部屋が荒れ放題だったりと問題が多く、掃除や改修などで少し時間がかかりそうだとのこと。
力仕事は男の方にお任せして、私は島を歩いて一回りしてみることにしました。
ロック島は高い崖に囲まれた天然の要害で、船がつけられる港は東西に一つずつしかありません。それでも島民は漁業を中心に生計を立てていました。海賊船の荒くれ者たちも、普段は漁師をしています。
内陸の方は、中心に低い山が一つあって、麓のなだらかな場所のほとんどが農地になっていました。赤みがかった土は痩せていて、採れる作物は限られていました。
島には貨幣が存在せず、物々交換が成り立っていました。宝石や金塊などはどこにもありません。
海賊の島といっても、実際は吹けば飛びそうな老朽化した家ばかりの、時代に取り残された土地でした。
私は島をまわってみて確信しました。彼らが『ときどき』海賊をやる理由はただ一つ。あと一歩のところで自給自足ができないからです。島人は結束が強く、人口が大陸へ流出するなどあり得ないとのこと。そうかといって、全島民を養ってくれるだけの天の恵みはありません。ウォールズ国と和平を交わし、貿易を行うのが得策なのでしょうが、被災地でのウォールズ自警隊の態度を見てきた私としては、その道も険しいように思いました。
二日がかりでゆっくり島を一周し、明日から診療所となる家に帰ってきました。
私は暮れかかった日を背に、深いため息をつきました。
「私、この島から逃げられないかもしれない」
「あ、帰ってきた」
子供っぽい声を耳にして、私は顔を上げました。
改修が終わった平屋の家の前に、女の子が一人立っています。
「えっと……」
私は首を傾げました。
おとといの晩、島のどこかで見た気がするのですが、疲れていたせいか記憶が曖昧です。
「あれー、忘れちゃったの? ひどいなぁ」
作品名:プラムズ・フィールド 〜黒衣の癒師〜 【第三章(後)】 作家名:あずまや