アーク2-3
「俺たちは今、先に進むべきだろうが! そんなことやってる場合か! 土地の収穫はその土地の人間と、その土地の天使たちにまかせておけばいいだろうが。それは今、俺たちがやるべき事じゃない! 俺たちはもっと重要な使命を――」
不意に、アークは言葉を切った。
ベルがアークを引っぱたいたからだ。
「……何をする!」
怒りと驚きと多少の戸惑いが、アークの瞳の中にあった。
「目の前で子供が汗水たらして働いているのよ。あんたが天使だっていうなら、少しは手伝いなさい」
アークは唖然としていた。人間に辛辣な言葉を投げかけられたことが無かったのだろう。額に眉して、目を瞬かせていた。
言いたいことを言ったあと、ベルは落穂拾いに戻った。
状況の分からない少年は、おろおろとするばかりだ。
実際のところ、ベルは怒っていた訳ではない。失望していたわけでもない。ただ、……。
「おまえなぁっ、今オレが言ってるのはそういうことじゃないだろうが! 分担とか分業とか、お前には分からないのか? 頭悪いんじゃないのか、ホントに文明人かお前は」
我を取り戻したアークは、ベルを口汚く罵ってはいたが、
「まったく、めんどくせぇなぁ! オラ、クソ坊主、手伝ってやる、どこだ!」
素直に少年を手伝うことにしたようだ。
「おーおー、よく見てろ、クソ坊主。このオレにかかれば、こんな畑なんざ一発だぞ」
アークがその丸い右腕を大きく頭上で旋回させると、稲田の間にいくつもの光の輪が走った。
いくつも浮かんだ光の輪は、地面の少し上で糸輪を絞るように次第に小さくなると、稲を根元から焼き切っていった。
刈り取られた稲は、淡い閃光に包まれながら、いくつもの塊ごとに空中に浮かび上がった。ベルの持っていた落穂も、光の塊に吸い込まれていった。
「おーっ、すっげー!」
少年は歯抜けの口を半開きにして、光の乱舞に見入っている。
空中で糸を結ぶような仕草をすると、地面に落ちた枯稲の茎が巻きついて、稲穂の塊がまとめられてゆく。
「仕上げだ」
アークが指差した地点に稲の塊が積み上げられていき、稲杭掛けの列が出来た。
「すげー、さっすが天使さまだぁ!」少年は再び頭を垂れて祈りをささげた。「ありがとう、カエルの天使さま!」
「竜だっての」
一方のアークは、耳がうなだれ、明らかに疲労していた。
「なによ、情けないわねぇ」
「この広い畑を、オレ一人で収穫したんだぞ」
声にも心なしか元気が無い。
「魔法使ったんだから楽勝でしょう」
「使うエネルギーは手でやるのと変わらん。同じ作業をするんだ、当然だろ」けだるそうに肩を回すアーク。「こういう細かい作業のほうが神経使うし、できるなら最初から全部の天使が農業やってら」
その胸元に、小さな銅色のプレートが付いていることに、今更ながら気付いた。
「それ、ペンダント?」
プレートの表面に円と棒線が描かれているのが見えたが、その図柄は欠けてしまっていた。プレート自体が欠けていたのだ。
「なんでもいいだろ」
アークは身をよじって、ペンダントを隠した。
「なによ」
その仕草がなんだか面白くて、ベルは少し笑った。
「何が可笑しいんだ、気持ち悪い奴だな」
アークはそれを嫌ったのか、耳を羽ばたかせて空へ上った。
「ねえちゃん。ねえちゃんの落し物って、これかぁ?」
麦わらの少年が差し出した手の中に、白紺青の時計があった。
「そうそう、これよ、これ! ありがとう、見つけてくれて。一割はあげないけど」
しゃがみこんで少年の顔を覗き込むと、少年は少し照れくさそうに笑った。
「へへっ」
顔を真っ赤にした少年から、時計を受け取った。
そのとき、ふと気付いた。
時計の裏に、傷にまぎれて、文字が彫ってあったことに。
目を凝らして、時計の裏側を覗き込んでみた。
「ねえちゃん、どうしたぁ?」
少年が怪訝そうに尋ねた。
かすれ、歪み、傷にまぎれて、かなり判別が難しかったが、なんとか読みとることが出来た。
それには、こう刻まれていた。
「親友に捧ぐ、アイネアス……ねぇ」