在ル、ソラ
俺の中には何も無い。
衣、食、住。
無機質に、されど時間は無情に刻々と過ぎていく毎日。
特に学校が憂鬱なわけではない。足が重いわけでも、軽いわけでもない。
授業を終えると特に用事が無い俺は真っ先に下校し、寄り道も無く家に帰る。
同じ下校時刻に近所を他生徒が歩いていないと知ったのは、母親が小言を言わずにはいられない程に息子の学校生活に疑問を持っているのだと気付いた頃だ。
必要の無い気苦労を親にかけるのもなんだか効率が悪いように感じた俺は、時々無理に寄り道をしては家に帰るようになった。
母親は小言を言わなくなり、寄り道をして帰った日は、どこか温かみのある「おかえり」を向けられる気がする。
いつも通る公園、近所の公園。
夕刻にはちょうど遊びに遊んだ子供たちが散々に遊んだ汚れ具合いで帰っていく。
また明日なー、なんてまだまだ元気余る声で走りながら手を振る子供たちを見るのは嫌いじゃない。また明日も来るのだと。それを必然に思う現代の子供たちが微笑ましい。現代の日本の平和を再認識する光景だと、何も無い俺の心が安らぐ。
しかし、今日は少し違った。
子供たちが手を振り走り去っていく公園は、誰もいなくなり夜を迎える。
けれど今日は子供たちの背景にひとり、俺と同じ歳くらいの青年がブランコに座っていた。座っている…というより、うずくまっていた。
俺がブランコの柵の外まで近づいても気づく素振りがなかった。
大丈夫だろうか。生きている…よな?とりあえずは声を…
「おい」
反応は全く無かった。
おいおい。
「どうした。大丈夫か」
少し、声を張り上げたつもりだったのだが。
触れたら倒れたり、しないだろうな。
恐る恐る彼の肩をたたく。
「ん…」
良かった。
顔をあげた彼は、すぐ近くに俺がいるのに気づき、物凄く驚いてブランコから立ち上がり離れた。
「な、なんだっ」
動揺と警戒心が入り混じった敵意むき出しの目で俺を睨んだ。
色がひどく白く、瞳は光の関係なのか緑色に光って見えた。
なんだか特徴的な顔をしている青年だった。日本人…ではないのだろう。
「あ、…悪い。声を掛けても反応が無いから大丈夫かと」
「ねむっていたんだ。いいゆめをみていた」
「そうか。…悪い」
予想外な展開に、心配し行動に至った自分の良心に後悔する。
すると今度は青年の腹の虫がわりと長い尺で鳴った。
「眠ったあとは腹が鳴るって…」
子供か。
「うるさいねむれば、はらがへる」
そう言うと、青年は俺のカバンをじっと見つめる。
「…悪いけど食べ物なんて入ってない」
「チッ…」
舌打ち…。本当に、子供だな。
「どうせ家、近所だろう。さっさと家に帰って夕飯を食えばいい」
拍子抜けし、なんだか気疲れた俺は、公園を出ようと彼に背を向けた。
だが、青年はブランコの脇から動かず、じっとこちらを見て立ち竦んでいた。
家に帰った俺は、夕飯を食べながら青年のことを思い返していた。
何故か去り際に見た俺をまっすぐ見据える瞳が印象的で、消えなかった。
翌日の下校途中、公園を脇見ると、手を振り別れる子供たちの背景にやはり彼はいた。
「………」
今日もうずくまってんなぁ。
どうせまた眠っているのだろう。俺は隣のブランコに座った。
ブランコに乗るのなんて何年ぶりだろう。
両足を振り、少し漕ぎ出すと、急激に感覚がよみがえった。
でもこんなに揺れるっけか。なんだか意外と地面すれすれなんだな。
昔は立ち漕ぎで180度までいけそうな気がして必死に漕いでたっけ。
今思うと立ち漕ぎなんてよくやったな。そういえば一度手を離して背中から落ちたこともあったなぁ。
うわ、ここまで漕ぐとさすがに…怖え…というか酔ってきたな。確実に歳とってんなぁ俺。
「…なにしてんの」
「うわっ」
驚いて、ブランコの描く弧が乱れて、俺は左右に揺られながら地面に落ち着いた。
「…びっくりさせんな」
くそ…、見られた。
「ふわあ〜っ」
青年はブランコから立ち上がりおもいきり伸びをすると、またブランコに座った。
そして、腹が鳴った。
「……子供みたいだな、お前」
「なんだと。ぼくはりっぱなせいじんだ」
やや声を張り、胸を張り、威張るかの如く顔をあげる青年。
いやいやいや、それはさすがに無理があるぞ青年よ。
「食うか」
もしかしたら…と思い俺は学校の売店で売れ残りのパンを買ってきた。
パンを見るなり青年の緑の瞳が大きくなり輝いた。
前のめりに顔をパンに近づけると、「もらう」と言った。
夢中でパンをほおばっている。かと思うと「米がよかった」などと漏らす。
「おまえ、」
「なんだ」
振り向いた彼の顔は白く、大きな薄緑色の瞳は暗闇の中で輝いていた。
パンを食べ終えると満足げに笑い、何故かブランコに座る俺の正面に座った。
「ケツ、汚れるぞ」
真正面から俺を見据えるその瞳は確かに輝いているのに、何故か頼りない光に思えて、俺は言葉を失った。言葉の続きを紡ぐべきではないと悟った。
今日もやっぱり、公園を去る俺の背中を見て、青年はじっと立ち竦んでいた。
そして俺はやっぱりその光景を、家に帰っても何度も思い出していた。