北京2005
この声調の違いを習得することが最も重要だと言われる。声調が違うと意味が全然変わってくる。これを聞き分け且つ話し分けないと全く意志の疎通ができない。例えば、「マー」という発音を取ってみても、第一声だとそれは「年上の女性」という意味で第二声だと「しびれる」を意味して第三声だと「馬」 を意味し第四声だと「ののしる」という意味になる。ほんの一つの字の読み方が意味をがらりと変えてしまう。
老師の発声に続いて、雅夫は繰り返し発声した。間違えると老師は指摘して、やり直す。挨拶と声調。一時間毎に休憩を十分ほど取り、昼食には一時間という具合で、その日五時間の授業は終わった。
だが、王老師は、雅夫に自室に戻り、練習をやり直すように指示した。
雅夫は、自室に戻った途端、その日の衝撃的な出会いを振り返った。彼女の唇を何度となく思い出した。美しい唇だった。白い肌に赤い唇。モデルか女優のように美しい顔。授業には集中していたが、ずっとその美しさにも見とれていた。
こんなことまで考えてしまった。いっそのこと彼女に結婚を申し込もうか。彼女を日本に連れてきて、いや、彼女とこの北京で暮らしてもいい。そうだ。そして家庭を築くんだ。子供も作るんだ。そんな人生プランまで思いついてしまい、その日は一晩中、王老師とまさかの結婚生活に思いを巡らした。
練習そっちのけになりそうだったが、雅夫は真面目にもなり、そんな夢が実現した場合のためにも彼女の言葉で会話ができるよう中国語をしっかり習得しようと発声練習に専念した。
翌日の授業は、午前中は前日の続きで発声練習と挨拶だった。昨日よりうまくなったと褒められた。
午後は、新しい会話の練習となった。昨日習った「イ尓好ニーハオ(こんにちは)」「謝謝シェイシェイ(ありがとう)」「再見ツァイチェン(さようなら)」という挨拶より踏み込んだ会話の常用句だ。
よく使う言葉として「有(ヨウ)」という動詞を教えられた。これは日本語と同様に、「ある」とか「持っている」「所有する」という意味がある。それの否定形として「ない」「持っていない」という場合は「没有(メイヨウ)」という言葉を使う。例えば「私はノートを持っている」は中国語で「我有本子」という。持っていなければ「我没有本子」である。また、相手がノートを持っているかいないかを訊く場合は「イ尓有没有本子?」と言う。買い物ではよく使う表現だ。二人でキャッチボールのように「何々ありますか」「はい、あります」「いいえ、ありません」という会話の練習を対象となるものの言葉を変えながら繰り返した。
日本語は中国から数々の漢字を採り入れたため、日本語と共通の意味を持つ字もあれば、同じ語句なのに、意味が微妙に違うものもある。その違いに驚きを感じざる得ないものもある。それは家族関係を表す言葉を学ぶ時に知った。「愛人(アイレン)」という言葉だ。
日本語では、とてもどぎつい意味が込められている。つまりは、結婚している男性が妻以外に関係を持っている女性。別の言い方をすると「情婦」だ。
だが、中国語ではこれは配偶者を意味する。つまりは女性にとっては「夫」、男性にとっては「妻」だ。これはとても驚きであった。同時に使うのが何だか恥ずかしくも思えた。しかし中国人は普通に「夫・妻」として使っているのだ。
雅夫は、言葉と会話の練習をしながらふと思った。まだ会って二日目の彼女に対し、彼女の個人的なことを訊くのは失礼ではないか。特にここは中国だ。男女関係の礼節は、日本以上にわきまえないといけない。その上、先生と生徒の間柄、明らかに彼女の方が若いが、敬意を示して接しなければいけない相手だ。そのことを考えると訊きにくい。彼女から話す気配もないから、訊かない限り、彼女自身のことを何も知らず日々を過ごしてしまうかもしれない。それでは何だかもったいない。これからずっと二人だけでいれるのに。
そう考えながら、どうしても訊いておきたいことを中国語で訊こうと考えた。昨日の授業が終わってからずっと最も気になっていたことだ。会話の練習の振りをして訊くのだ。
雅夫は、王老師の顔を見つめながら真剣な面持ちで言った。
「イ尓有没有愛人?」
王老師はさっと答えた。
「我有愛人」
雅夫の夢は、一瞬にして崩れさった。
その日はずっとぼけっとした状態であった。午前中の授業で王老師に夫がいる、結婚しているという話しを聞かされ、昼休みは食事を取らず、そのショックから立ち直ることに時間を費やした。そもそも、そんなことを目的で北京に来たわけじゃないと自分に言い聞かせた。彼女は単なる教師でしかない。教師と生徒との関係を超えることを考えていた自分が忌まわしかった。
午後は何とかショックから立ち直り、正常に授業を受けたが、できるだけ彼女の顔を見ないように努めた。王老師も雅夫のそんな内心の葛藤に気付かず平然と授業を続ける。雅夫は自分がとても恥ずかしかった。
その日、午後の授業が終わった後、雅夫は同じ寮にいる日本人学生と交流を持った。雅夫より十歳ぐらい若い学生で、日本の大学の中国語学科に籍を置きながらも生の中国語を学ぼうとこの学院に交換留学している学生達だ。雅夫と違い数人ぐらいのグループ・レッスンを受けている。皆、日常会話を話せるほどの語学力は身につけており、すでに滞在が半年以上にもなりすっかり生活に慣れた感じだ。その中に里美という名の女学生がいた。皆に中国語読みのリーメイと呼ばれていた。彼女とはすぐに打ち解けられた。歳は二十一歳で美人というより可愛らしい感じのする女性だった。何でも父親は大企業の社長でかなりのお金持ちらしい。シャネルやエルメスなどのブランドものの服を身につけていて、いかにも上流階級という様相を呈していた。
彼女に生活していて不便はないかと聞いた。里美は中国人は皆、自分に良くしてくれるという。最初中国に来た時はホームステイをしていて、その時は中国人一家にとても親切にして貰ったと、数ヶ月前にホストファミリーのお祖母ちゃんが病気がちになり、そのことで寮に移るようになったが、中国での生活で日本人だから困るようなことは何一つ感じないと。北京はすっかり近代化され、生活に関しても日本とは違いを感じないほど便利で暮らしやすいと語った。
お近づきをきっかけに一緒に食事に行くことにした。学院の外に出て食事をするというのは実際不安であった。言葉も分からず、どのように振る舞えばいいのか全く知らない。でも、これから三週間、暮らしていかなければならないのだ。手始めに、生活慣れした日本人と一緒にとは好都合であった。
とあるレストランに入った。
「雅夫さん、ここならいいわよ。おいしいし、日本人でも合う味だから」
と里美の勧めるままに中にはいる。席に座りメニューを読む。中華料理店のメニューを読むようだ。すぐにウェイトレスが来た。何を頼んでいいのか分からないが、「炒飯」という文字のあるものを手で差して選んだ。
里美は中国語で、「これとこれを」と伝える。里美とウェートレスは顔見知りのようだ。ウェートレスは、すぐに雅夫に何かを言う。何を言っているのか分からない。すると里美は通訳するように雅夫に伝えた。