オシンドローム
日本でまだ高校生だったとき、「おしん」というテレビ番組が大人気でした。この番組は、二十世紀初頭から八十年代に至るまでの波乱の人生を生きぬいたおしんという名の女性が主人公の話です。彼女の辛抱強くどんな苦境にも絶え抜いて生きていく姿が人気の元でした。そして、巷には「若者よ、おしんを見習って辛抱強くなれ」という言葉が飛び交いました。日本人が揃って辛抱はすばらしいと唄い上げたのです。それはまるで、「おしん」という番組にちなみ「オシンドローム」とでも名付けたくなるような社会現象でした。
私は、その現象を白けて見ていました。私が当時いた高校では、アメリカでは考えられない髪型や服装や生活習慣に関する細かい規則がありました。日本の生徒たちは、そんな規則にがんじがらめになって学校生活を過ごしていたのです。つまり、辛抱を強いられてきていたのです。こんなに辛抱している自分たちが、これ以上辛抱する必要があるのかと疑問に思っていたのです。その疑問を解いてくれたのが、コウジでした。ある日、私が規則違反の長髪スタイルをしているからと私が嫌がるのにバリカンで無理矢理、髪を刈り取ろうとした教師がいました。コウジが、その教師を殴って止め私を救ってくれたのです。
その時に思いました。理不尽な辛抱はすべきでないと。間違った辛抱はすべきでないと。この世の中には、していい辛抱と、してはならない辛抱があるのだと。確かに、何か大事なことを成し遂げるためには辛抱が必要です。ですが、同時にマフィアのボスのような悪人になるためにも辛抱は必要になってくるのです。辛抱するなら、よい結果に結びつく納得のいく辛抱だけすべきです。私とコウジは、そういう信念のうえで生きてきました。だからこそ、今のような幸せな日々が実現したと考えるのです。辛抱はできればしたくないのです。せっかくの人生ですから楽しみたいですよね。
今、人生で最も楽しい一時を味わっている私から皆様に贈る言葉でした』
終わり