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白い部屋

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それまで見ていた夢の通り、手足には痺れがあった。夢で見たとおり枕元に手を伸ばして携帯電話を探し、ライトをつけようとスイッチを回す。起き上がって電気スタンドをつける……。やはり明かりはつかず、彼女は部屋を出て両親の寝室に向かった。ドアを開け、中を覗くが誰もいない。一階にいるのかもしれないと思い、彼女は階段の手すりを掴んだ。そして目覚める。目を覚ますと、彼女は夢でみたとおりに携帯電話を探し、ライトのスイッチを回し、スタンをつけようと試み、部屋を出て壁を伝いながら歩く。そして今度は、階下にたどり着いたところで目が覚める。再び携帯電話を探して…………。何度も目覚め同じ行動を繰り返しながら、彼女は段々と腹が立ってきた。恐ろしさよりも、わけの分からないものに負けるのは癪だという対抗意識のほうが勝っていた。
 目覚めるたびに彼女は少しずつ、家の中を見て回ることができた。人の気配のない居間も、一粒の水滴も落ちていない台所も、冷えきったバスルームもトイレも。その結果、彼女はある結論に達した。それはこの家には自分以外に誰もいないということ。
物音ひとつしない、生き物の気配のない青白い家の中で、彼女はひとりだった。
――そしてまた、彼女は目を覚ました。
 心臓が激しく鼓動しているのが耳に響いている。暗い天井を見つめたまま、彼女はゆっくりと右手の指を動かした。指は彼女の思い通りに動いた。妙な痺れもない。しかし、彼女の中にはまだ夢の中にいるのではないかという考えが渦巻いていた。左手の指も動かしてみる。意外にも彼女が思う通り滞りなく指は動いた。恐る恐る頭を動かすと、枕元で目覚まし時計の蛍光盤がほのかな光を放っているのが見えた。そのまま目線を動かして、携帯電話を探す。
そして思い出した。枕元に携帯電話はあるはずがないのだ。疲れて部屋に帰ってきて、鞄の中に入れたままだったのだから。
 彼女はそろそろと腕を動かして、枕もとに置いた電気スタンドのスイッチを回した。カチリ、と音がして、オレンジ色のやわらかな光が部屋を照らし出す。ベッドから体を起こして、彼女はギクリと体を硬くした。部屋の壁に、丸く黒いものがへばりついていたのだ。ちょうど海坊主のような姿で、じっとしたまま動かない。数分の間それを凝視し、どうやらそれが自分の頭の影らしいことに気付いて、彼女はやっと力を抜いて息をした。今度こそ、目が覚めたのだ。



「それから私は、部屋の電気をつけるために立ち上がったの。今度はちゃんとまっすぐ立てたわ。床は冷たくて、しかも放り出していた雑誌とか服とか本とかで足の踏み場なんてなかった。机の上にも服が置いてあったし。灯りをつけてもまだ少し怖かったからラジオをつけたの。名前は分からないけれど、けっこう明るいピアノの曲が聞こえたわ。それを聴きながら化粧を落として、そうしてやっと、これが夢じゃないっていう実感が湧いた」 
「……あなたが話してくれた中で、一番怖い気がする」
「でしょう。この夢を見てから私、ホラー映画も心霊番組も怖くなくなっちゃったの。『あの時に比べれば』って思うとね」
 彼女がにっこりと笑ったので、私も応えて笑い返した。








 彼女がシャワーを使う音が、雨音のように聞こえてくる。 
時計を見上げれば、とっくに日付が変っていた。私はひとりで落花生の殻を割り、赤茶色の薄皮をはがして口に運んだ。目の前には彼女が飲み干した缶酎ハイ三本が、ピラミッド型に積み重ねてある。
私はあくびをしながら落花生の殻を割り続けた。一回ぐらい彼女が割ったように良い音がしないかと思ったが、無駄なことだった。何度繰り返しても虫を潰している音にしか聞こえない。
 いつの間にか雨音が止んでいた。
 もうすぐ出てくるのだろうと、私は自分のスウェットを引き寄せた。
 十五分ほどじっと待ったが、ユニットバスのドアは少しも動かない。あまりの静けさに、もしや酒の飲みすぎで倒れているのではないかと心配になる。ドアをノックしてみるが、返事はない。ドアノブを回してみると鍵はかかっておらず、私はそっとドアを開けた。
 ユニットバスの中は暗く静まりかえっていた。
 ビニール製のカーテンは開けられており、バスタブは乾いている。洗面台さえ乾いていて、水を使った跡はない。彼女に貸した私のスウェットが一着、備え付けの棚に置かれていた。彼女の姿は、どこにもない。
 狭いユニットバスの中には人が隠れることができる場所はない。私は慌てて玄関に向かったが、鍵の閉まった扉にはチェーンがきちんとかけられていた。タイル張りの床に私の靴が一そろいだけ、並んでいる。部屋へ戻り、一つしかない窓のカーテンを開けると、鍵はしっかり閉めてある。
 部屋を振り返ったが、クローゼットなどというものさえ無い狭い室内に、隠れることのできる場所などあるはずもなかった。
 先ほどまで二人で座っていたはずの炬燵の上には落花生の殻が山を作っている。半分ほど烏龍茶を入れたコップの対角線上に空き缶がピラミッド型に積まれ、缶の飲み口には赤い口紅の跡がまだ残っていた。
「怖がらせないでよ」
 そう声に出して言ってはみたものの、答える声はなかった。私以外、部屋の中には誰もいない。
 硝子窓の外に、明るい室内とは対照的な真っ黒い夜が見えた。
 

 ――この部屋は白すぎる。私は唐突にそう思った。
 壁はもちろん天井もカーテンも炬燵の天板も。
 そして静か過ぎる。


 夢の中じゃあるまいし。



  終  

作品名:白い部屋 作家名:スエト