フラスコの中の言葉
はい、お静かに。
えー、冒頭述べましたように、名言とは、書いた人のためではなく、読む人のためのものなんです。読んだ人が心安らかになる、勇気づけられる、あるいは傷んだ心が和らげられる。それが名言というものです。奉仕の精神が必要なんです。もっと言えば、間違いなく最初の読者である自分自身、あなた自身のためのものでもあるのです。『いち行でひとを殺すことば』など論外です。はぁ? てなもんです。
ええと、まず。
『愛犬家とは、畸形愛玩者の別名である』
あのね。冒頭述べましたようにですね、名言とは、読んだ人の心の栄養になるのが、本当の名言なんですね。バーナード・ショーだってこんなこと言ってませんよ。いきなりこれでは先が思いやられます。これを踏まえて、『愛犬家とは、他者との共通点を尊ぶ人のことである』とするのはどうですか、はい。ついでですが、『愛猫家とは、他者との相異点を尊ぶ人のことである』も入れときましょう。犬好きの気持ち、猫好きの気持ち、ね。はい。
それから……。
『名言は作るというより、探すものである』
いけませんなあ、こういうの。先生を騙そうたって、そうはいきません。当然書いたご本人は自覚していらっしゃるんでしょうね。『名言は作るというより、盗むものである』なんて誰が言いましたか? 先生悲しいです。
えと、次。
『きょうが退屈でしかないのなら、残りの人生でも知れたものだ』
んん? グーグルで出ますか? 出ませんね。だいじょうぶですね。
これは最後の『知れたものだ』がミソでした。うまい逃げです。『きょうが退屈でしかないのなら、君は残りの人生をもそう呼ぶだろう』なんて具体的にやったら、反証はいくらでも出ますからね。知れたものだ、と相手の解釈に委ねるんですな。なかなかいい態度です。名言というものは、ピタリと中っているより、いくらか輪郭のずれているほうが味わいがあるというものです。いや、褒めて差し上げているんですよ。
次──。
『きょうが何であるのかわからないのに、あしたのことがわかるはずがない』
うーん、そう。ま、そのとおりともいえますね。まんまですね。まあ、『きょうが何であるのかわからない』に含みを持たせてはありますがね。いいですよ。
でもね、たとえば、『人間ではないのなら、哲学者であるはずがない』よりも、『哲学者ではないのなら、人間であるはずがない』のほうがインパクトとしては強いでしょ。
そうなんです。名言なんて、所詮インパクトです。はったり半分ですから、ここはひとつ、『きょうのことはわからないというのに、あしたのことなら多くの者が口にする』とでもしましょうか。逆につまらんですか?
えー、次。あ、これは、お食事中の方は、読むの避けてくださいね。と言っても、いまそんな方はいませんよね。
『こんにゃくは、歯さえ立てなければ永久に食べられる』
ほう、こんにゃくですか。いろいろ出ますね。なかなか深いです。出てきたものを洗って味噌を付けてまた食べる。やや尾籠な想像を要しますが、食うこと、生きることの意味を考えさせられますね。考えさせられませんか? 人間とは、ミソとクソの差で成り立っている……か。もっともだいぶん差はあります。
ここで『歯を立てる』とは何でしょうか。妙な想像をした方はいませんか、はい。わたしは『希望を抱く』とか解釈したのですが、みなさんはいかがですか。作者さんはどうですか? 『希望を抱く者だけが死ぬ。そうでない者はすでに死んでいる』とか、ですね。どうです? 言葉がクサいですか。
じつは、これに近い話は、わたしも三五年くらい前に友人から聞いておるわけですが、当時すでに受け売りだったのかもしれません。ろくな友達がおりませんな。
やつがいうには、インドの修行僧は、長い長い紐をどんどん飲み込んでいって、出てきた端を洗って飲み込む前の端とつなげて環状にする。それをどんどん回していって、紐で消化管内を清拭するんだそうな。紐のところどころに結び目を作ってやると特にいいんだとか。どういう僧たちなんでしょう。脳内の洗浄の方を先にやったりすると、こういう行いは防止できるんでしょうね。困った人たちです。
そういえば昔、黒鉄ヒロシさんの漫画の中で、絶対に落ちない綱渡りみたいに描いてあるコマがありました。オチが恐ろしくてネタバレできません。
はぁ、さて次──。
次……。
『 』
……これはやめておきます。これは聞いてはなりません。言葉をこんなふうに使ってはいけません。こういうふうに書く人がいたとは驚きです。だれ、誰ですか。わたしは先生で、先生だから読んでしまいました。ちくしょう。苦しい……苦し、何かが詰まる。あなたがた、生徒でよかったですね。生徒でよかったですね! でも誰だ、誰ですかこれ書いたの! 出て……出てこ……い、いや……出てくるな。
了