暁の女神-Goddess bless you-
日暮れ特有の、ぼやけたような朱の陽光が大きなガラス窓から差し込んでいる。眼下に広がる街は、茜色に燃えていた。向かい側には尖がった屋根の大聖堂、商店が連なる小路、画一的な家々の群れ。これが、自分たちが必死こいて守ろうとしているものたちなのか。
守る、ね。どこまで上から目線なんだ俺は。
高い所に立っていると、なんだか自分が偉くなったような気分になるからいけない。
「なに、とは。また漠然とした質問をするものですね」
「回りくどい言い方、お前は好きだろ? 俺は大っ嫌いだけどな」
「では、無理をして私に合わせる必要などありません。良くも悪くもまっすぐなのが君の良いところです。士官候補生の頃からの、長い付き合いになる友人としては、その美点をいつまでも持っていてほしい、と思っているのですよ」
例によって例のごとく。
ジェラード=カーライルは人の良さそうな笑みを武器にカスティエルに刃を向ける。年を重ねるにつれて嫌味に磨きがかかった友人の、やわらかいだけじゃない面を『キャス』は知っていた。
隣国カリエスとの境界戦争。あの多くの死者を出した戦い以来、彼は変わった。腹の中に色々と溜めこむ奴だとは思っていたが、一切の弱音を吐かなくなった。
積み重なった負の感情は毒のように、友人を蝕んでいる。
気付きながらなにひとつ出来ない自分を、歯がゆく思う。
「……じゃあ、言わせてもらうとする。俺はお前のやり方が気に入らねーんだよ! 一体どうしちまったんだ? 昔のお前なら、何十人もの兵士を盾にして、あちらさんの注意がそっちに向いている隙に裏から叩くなんて卑怯な真似はしなかったはずだ。この前の、捕虜に対する仕打ちはどうだ? 拷問なんて人間のすることじゃない。そう教官に言い放ったのはジェラード、お前だったよな?」
「―――命は尊いものです」
はあ? と、我ながら間抜けな声が出る。氷のような双眸には漣ひとつ見えない。完全に、静止した冬の色だ。
「争いには勝ち負けが有る。犠牲を最も少なくするには、早く終わらせるのが一番。…私の言っていることは間違っていますか?」
「だからって……」
「私は誰も殺さない。自分の手ですくいあげられるものはすべて、私は守ると決めたんです」
「…お前の言っていることは、無茶苦茶だ」
「そうでしょうね、私も知っています。言い訳にしか聞こえないと思いますが、この戦争を終わらせるために君たちの力を借りたい、そう頭を下げてみたところ、特攻を申し出たのは彼らの方でした。確かに拷問の方は、気が進みませんでしたけれど」
事もなげに言ったジェラードに思わず掴みかかっていた。
「――ジェラード=カーライル!」
それでも眉ひとつ動かさない男を睨みつける。と、不意に唇が綻んだ。優しく人を落ち着かせようとしているわけでもない、楽しんでいるわけでもない。
それは、すべてを諦めた表情だった。
醒めたような目。
カスティエルは拳を強く握り込む。
「どんなに己の手を汚してもいい、そう思えるなにかのために力を尽くす私を、祝福してはくれませんか。…いえ、貴方が憎むのならばそれもいい。誰にわかってもらおうとも思ってはいませんから」
「馬鹿野郎だよ、お前は」
よく知っていますよ、と呟いた男を気が付いた瞬間には殴りつけていた。
ひりつく頬を押さえながら、ジェラードはふかふかの椅子に身を沈めた。こんなことが公になれば、キャスは処分を受けるだろう。いくら友人であるといえども、上官に暴力を振るうなんて許されるものではない。
せめて目立たなければ、と思ったがどうやらそんな生易しい傷ではないらしかった。そっと手のひらをあてがうと、頬に熱を感じた。きっと赤く腫れあがっているのだろう。
「私は、皆の英雄になりたいわけじゃない。ただもう一度逢いたいだけなんです」
消え入りそうな声で、ジェラードは言う。
「ねえ、貴女の期待に私は応えられていますか」
紅く染まった部屋の中が徐々に色を失っていく。夜の冷たさが忍び寄る部屋で、男はひとりきりだった。
「遅かったですねえ」
「そうか…って、お前、ディキンソン? どうしてまだ此処にいる」
口をぱくぱくさせると、不思議そうにカレン=ディキンソンは首を傾げた。薄汚れた軍服に少しは見栄えのするコートを羽織ると、さすがに浮浪者と間違えられることはなかろう。だが渋みのある栗色の髪は相変わらず、乱れに乱れている。
「ジョーンズ少佐が、ぼっこぼこにやられて帰ってくるのを待ってました~」
「誰がやられるかよ! むしろ俺が奴に目にもの見せてやった…」
言葉を遮るようにして、とん、とやわらかく胸の辺りを押された。探るような視線を送れば、んーっと、少しだけ考えるような間を置いてから、
「でも、ここらへんから、痛いよ痛いよって声がします」
と、言った。
「―――カレン」
「はやく、お家に帰りましょうよー」
ぐいぐい服を引っ張ってきやがるこの無茶苦茶な女は、ほんのちょっとだけ、こちらの感情に敏い。当の本人が気付いていないような気持ち―――おそらくそういうのは、自分では認めたくないような想いなんだろうが―――でも読みとってしまう。
なにかをやろうとしているのは、理解る。だが。
どうして、俺に相談しない。
なんで何もかもひとりでやろうとする?
(……俺は、そんなに頼りないか?)
吐く息は悔しさと、ぶつける当てもない怒りにまみれている。
「…そうだよ、お前の言う通り。すっげえの喰らった気分」
「ふ、ざまあみやがれ、です」
「少しは見直したかと思えば…あ、そだ。今日はお前がメシ作る番だからな」
「うへえ、なーんでですかぁ、確か先週作ったばかりですよ!」
「ばっか、今週は俺が毎日作ってたんだよ! そろそろ代われや」
隣にいるどうしようもない馬鹿女とくだらない話をしながら家路を急ぐ。山積みの仕事は…まあいい、明日やることにしよう。
今夜は、ひどく寒いから。
はやくかえらなければ凍えてしまいそうだった。
(なあ、ジェラード)
俺は一体、どうすれば良かったんだろう?
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ありふれた夕暮れだった。
薄汚れた上空を窮屈そうに飛びまわる雲雀、パン屋のおやじの陽気な鼻歌。何もかもがいつも通りで、変わらない。手にした新聞を振り、少年は声を張り上げる(夕刊だよ!)。
「深紅の貴人」、ついに処刑
広場に響き渡る歓声と、悲痛な叫び
帝都メイス、夕刻の北の広場に大勢の人が集まっている。ある者は酒瓶を。ある者は、祈りを捧げるための教典を片手に。固唾を呑んで、綱を引かれて壇上に上がる男を見守っていた。
ジェラード=カーライル元陸軍大佐。その優美な立ち居ふるまい、そして戦場で敵味方問わず流させた兵士たちのおびただしい量の血から「深紅の貴人」と呼ばれた彼が、昨日、公開処刑された。
軍部の話では、近頃の彼の独断専行は目に余るものだったという。自軍の勝利のためとはいえ、多くの優秀な部下たちを非人道的なやりかたで使い捨てたという事実は許されるものではない。
作品名:暁の女神-Goddess bless you- 作家名:鷹峰