眠れる薔薇
喜怒哀楽すべてが抜け落ちてしまった男の顔からは、何を想い、何を願い、何を求めているか察することができなかった。
いや、彼はそういった感情からは無縁であるのかもしれない。
「まほうつかいは、心の中をのぞけるのですか?」
望んでいることをぴたりと言い当てた男に、まだ少年という呼び名の方がしっくりくる年頃の、今回のクライアントが驚きに満ちた声を上げた。
何を言い出すかと思えば。「まほうつかい」は苦笑した。
「さあて、どうだろうね」
言葉を濁したのは、自分でもわかっていないからだ。
訊かなくてもわかるのを、読心と呼ぶのならそうなのかもしれない。
しかし、あの少年の場合は特殊であるように思う。
こたえが簡単すぎて、推測するというのもたいした意味を持たない。
屋敷の片隅に忘れられたようにある、この庭。訪れるものはもう、誰ひとりとしていない。それなのに、ただよう芳香はかぐわしく、甘く。
狂ったように咲く紅は、朽ちることなく永遠の美を謳う。
あいらしい薔薇の蕾は、まるで少年が、惜しむことなく愛をそそいでいた主そのものだ。すこしずつ花開いていく、過程にある。
彼のあるじはつめたいつちのなかに。
彼女の父親の父や、母、その一族たちが眠っているのと同じ霊園の一区画に埋められて、もう二度と出てくることのないように綺麗な白い石で蓋をされた。
声を上げて泣く妻の肩を支えるようにして、娘を亡くした男は唇を噛みしめていたけれど、心のどこかで後継ぎである息子ではなかったことに安堵している。
一歩下がったところで見ていた少年はそっと呟いた。
ねえ旦那さま。
ここにはお嬢さまはいらっしゃいませんよ、と。
彼女の心は、いつもあの紅い薔薇の咲く庭園に在り続けていたのだから。
あたたかい日差しの下で、顔を綻ばせながら花の手入れをしている時も。
柔らかいベッドの上でこんこんと眠り、砂糖菓子の夢をみている時も。
ゆっくりと、彼女の柩に土がかけられていく時も。
少年は大きな花をつけた株の隣に黒い石を置いて、毎日それを眺めた。石は笑いもしなければ、生意気な口をきくこともない。ただ滑らかな手触りをくれるだけだった。
彼にとってこの石はあかしだった。
彼女は、まだ、この場所にいるということの。
それを知っているのは自分だけだという優越の。
僕は彼女がしあわせなら、それで構わないんです。
少年は心からの笑顔をまほうつかいに向けた。
うっとりと、恍惚とした表情を浮かべている彼を見て、無言のまま杖を振るう。
「ねえ、本当に君はそれで満足? ……そう、それは良かったね」
よくわからない、と男は思った。
何を求めているかを察して願いをかなえるのが仕事だが、彼がまほうを使ってもハッピーエンドは滅多に訪れない。同僚たちは、おとぎ話に登場する連中のように、笑顔を量産していると聞く。それは、自分の腕が悪いからなのか…そう考えると、ちょっと落ち込む。
今回もしあわせな結末と言えるのか。
まったく疑問だ。
手にした杖で、まほうつかいは真新しく掘り返された形跡のある地面をつつく。それはちょうど彼の座っている石のあたりだった。
細くて白い何かが、散った薔薇の花びらの隙間からのぞいていたが、舞い降りる紅で完全に見えなくなった。
了