消失 1
遥達の通う天王寺学院は、幼稚舎から大学まで一式揃っている中堅の私立学校だ。その中でも、高等部校長の始業式の話は半ば伝説(レジェンド)になるほど長い。ずいぶんとお年を召した校長だが、話をしている時間―――というより何かを喋っている時間よりも空白や「えー」だの「それで」だのと唸っている時間の方が長い。
寝坊してもなお睡眠時間が足りない遥は、寝そうになる度に隣の玲音に小突かれつつ、なんとかその長い話をやり過ごして現在ホームルーム中の教室でだれている次第である。大学仕様の階段教室なので、後ろの方に座っている限りほぼ100%居眠りがバレないのは実証済みだ。
「うー、眠い・・・・・」
「さっさと寝ればよかっただろ、昨日」
「今日が始業式ってわかってたならさっさと寝てたっつぅの」
ぐだ~と遥は机に突っ伏した。その様子を見て玲音が呆れたように溜息をつく。ちなみに玲音は昨夜10時には就寝している。
退屈な担任の話は無視しつつ、もうちょっと早く寝ろよ、だって仕方無いだろ、と意味の無い応酬をひたすら繰り返していると、不意に隣に人が座った。
「なんやぁ遥、またお前徹夜してん?いい加減にせえへんと体調崩すで」
愛想よく声を掛けてきたのは、兄との共通の友人である倉田大地だった。中学まで関西に住んでいたらしく、からっとした性格が性別問わず人気である。ただ、少々模範生徒とは言い難く、髪は明るい茶色で耳にはピアスをつけている。あり得ない身体能力とその性格のおかげで先生からは注意程度で済んでいるらしいが、とりあえず本人には治す気は無いようだ。
鞄を持ってご登場の大地はどうやら今学校に来たらしい。倉田どうした、と担任から声が掛かると、ポチ公前で野宿してたんやけど、時計忘れてもうたんで寝過しました、と教室を沸かせた。担任も怒る気力が失せたようで、さっさと座れ、と言うと話を再開した。
奇妙な友人のこの特技に圧倒されつつ、遥は身を起こした。
「お前なぁ・・・・。始業式だってこと忘れて前日に徹夜でPSPやってた俺よりひでぇぞ」
朝から二人も説教をしたくない、と言わんばかりに玲音はぶすっと押し黙っている。
「そんなん元より承知や。・・・あ、玲音がいじけとる」
「いじけてないッ!」
大地のからかいについ大声を出してしまったらしく、軽く教師がこちらを睨む。玲音は慌てて黙った。
「どうした?」
「あ、いえ、なんでも・・・」
髪は少々長めで茶色がかかっているが授業態度はピカイチ、という兄玲音だが、普段は優等生ぶっている玲音からしてみると、教師から睨まれる、と言うのはさほど慣れたことではないらしい。あまりにもその様子が面白いので、遥は大地と顔を見合わせてくすくすと笑った。ここは一応助けてあげなければ。
「あ、すいません。俺がからかっただけでーす」
「やっぱり遥か・・・。もう少し玲音を見習え」
「はーい」
軽く教師の小言をかわし、玲音と同時に席に着いた。
「ナイスフォローっしょ」
「バカ」
つん、とそっぽを向かれてしまった。クーデレキャラで通したらこいつ相当クラブで稼げるぞ、などと思いつつあくびを噛み殺すと、丁度いいタイミングでチャイムが鳴り響いた。
「・・・ということだ。後輩もいることだし、いつまでも一年生気分で遊ばれては困る。きちんと真面目に生活するように」
毎年変わらない新学期の話が、また今年も終わった。
変わらない、平凡な毎日。これからもずっと繰り返される、日常。
友達とバカやって笑い合って。普通の高校生なら、当たり前に通過する点。
幸せで平和な日常が覆されるのは、その数時間後だった。