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月も朧に

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〈05〉 若手花形歌舞伎



やはり理解が出来なかった。

永之助は本当に女なのだろうか。

彼女は化粧前も、着替えも、風呂も、すべて男と一緒だった。
一度たりとて、素性を疑ったことなどなかった。

「兄さん?」

舞台上でも良く通る声。
太過ぎず細すぎない声。
しかし、決して女の子の声ではない。

「なんや?」

「兄さん、不味かったですか? 私の作った味噌汁……」

 いつしか、永之助の顔を見ていて箸が止まっていたようだ。
心配そうな顔でそう言われ、佐吉は慌てて首を降った。

「ちゃう! 美味い! ボーっとしてただけや」

「そうですか? ならよかった」

 にこっとした永之助。
その笑顔に癒された佐吉は今後深く考えないでおこうと決心した。
 永之助は永之助である。

 佐吉は藤屋の家族という扱いを受けることとなった。
同じ家に住み、一室を与えられ、朝夕は一緒に食事を取る。
 一方、兄弟子の三太は他の弟子たちと同じように、近所の長屋で生活することになった。

「……いくら見ても、女のお永は出てこんぞ」

 藤翁は茶をすすりながら面白そうに呟いた。
藤五郎も便乗して口出しした。

「お永、一度くらい戻ってやらないか? な?」

 本当の名前で呼ばれた永之助は父をキッと睨んだ。

「絶対嫌です」

 藤五郎は芝居の時は強い父だが、それ以外は年頃の娘の扱いが分からない弱い父だった。
 永之助も姿はともかく、今は父親をうとましく思う反抗期の娘そのものだった。

 彼女は表情を和らげると、佐吉に謝った。

「兄さん、ごめんなさい。どうしても戻りたくないんです」

「ええよ。嫌なら無理して戻らんでも」

「ありがとうございます」

 娘に睨まれ意気消沈の藤五郎だったが、二人の仲が良好な事に満足していた。
そして、仕事の話は真面目にした。

「昨日も話したが、今日は巽屋の又蔵と唐屋の利蔵が来る」

 又蔵。芸名、大川虎三郎。
皆が口を揃えて『親父より良い役者になる』と言っている若手役者だった。
 佐吉も以前挨拶に行ったので面識はあった。

 一方の利蔵。芸名、井上竜五郎。
佐吉は初めて耳にする名前だった。
 井上の家に挨拶に行った時、そのような人物に引き合わされていなかったからだ。

「こいつは説明するのに時間がかかるやつでな」

 そういいながらも藤五郎は佐吉に語って聞かせた。

「利蔵はお前さん以上に悪い環境で育った。父親が兄弟喧嘩の末に廃業してな。そのあとすぐ父親を亡くした。守ってくれていたお爺様も亡くなって…… 一人残った利蔵を一族全員が目の敵にした」

 佐吉は思った。
御曹司として生まれながらも、辛い境遇を味わった者が江戸にも居る。
 その人物なら、自分の苦悩を理解してくれるのではないかと。
兄弟子、三太はよく気遣ってくれるが、彼は外の者。
 家の者特有の苦悩、辛さは解ってもらえない。

「だれにも教えてもらえなかった。そのせいか、大層な形破りでな。本人は『形無し』って言っているがな」

 それは佐吉も同じだった。
これと言った形を学んでいない。
 我流ではないが、様々な家の方がごちゃ混ぜになっている。

 まだ見ぬ役者に親近感が沸いて来たが、一つ引っかかるものがあった。

「……せやったら、なんで、婿にせんかったんです?」

 藤五郎の口ぶりからして、彼に好感を抱いている。
だったらなぜ、彼をお永の相手にしなかったのか……

「……あれにはもう居るんだよ。嫁と子供がね」

「えっ」

「嫁さんは呉服屋の一人娘。旦那さんが利蔵のお父さんを贔屓にしてくれててねその御縁で結婚したんだ」

「へぇ……」

「だから、利蔵は若旦那と役者。二足のわらじを履いている」

 不思議な役者。
 ますます佐吉は彼に早く会って話がしたくなっていた。




 朝食後、稽古場に場所を移すと、藤五郎はお藤を交え、三太も呼び出し、大事な話をした。

 藤五郎はお藤こと藤右衛門と共に数年前から『若手花形歌舞伎』を立ち上げていた。
それは三十代手前の若手を集めた勉強会のような物だった。
 しかし、勉強会とは名ばかり。 
 二月に一度だったが、一月丸々公演をし、木戸銭もしっかり取る通常とほとんど変わらない公演だった。
 舞台に立たない熟練の役者が主となって、若手の指導を徹底的にするので、質も良かった。

 藤五郎は自信に満ちた表情で、『若手花形歌舞伎』について話した。
佐吉と三太は眼を輝かせてその話を聞いていた。

「さて、そろそろ来ると思うんだが…… 遅いな」

 約束の時間から大分経っていた。
しかし、来るはずの人物は現れない。

「しかたない。永之助、ちょっと見てきてくれ」

「はい」

 永之助が立ちあがったとたん、稽古場に若い男二人が飛び込んできた。

「申し訳ありません! このバカがまた寝坊しました! 謝れ!」

 背が高い方の男がそう言い、もう一人の男の頭を床に押し付けた。

「坊主が夜泣きしたもんで。毎度恒例の寝坊です。申し訳ありません!」

 頭を押し付けられながら、謝ってはいるが、声に反省の色が見えなかった。

 そんな彼を藤五郎は笑って窘めた。

「まあいい。今日は許してやろう。うちの佐吉だ。よろしく頼むよ」

「佐吉です。よろしくお願いします」

 頭を下げると、背が高い方の男、又蔵は同じように頭を下げた。

「こちらこそよろしくお願いします」

 一方、もう一人の男、利蔵。

「はじめまして。なんて呼べばいい?」

「え」

 緊張する性質の佐吉はいきなりの展開に固まった。

「こいつは又やんだ。佐吉だから…… 吉ちゃんでいいかい?」

「あ、はい……」

「そんなに緊張するなって」

「お前がずうずうしいんだって」

 若者三人を眺めていた藤五郎が思い出したように言った。

「そういえば、利、又、お前たちおない年だったよな。今年でいくつになる?」

「十八です」

「あれ? 佐吉も十八だよな? そうか、三人一緒か」

 何かひらめいたと言える藤五郎。
又蔵と利蔵はニヤッとした。

「お父さん、また何か考えてます?」

「同い年の立ち役三人組でなにか出来ないかなとね」

「車引どうでしょう?」

「いいねぇ。車引。俺松王でお願いします」

「よし。考えておこう。私の番はまだ先だ。今回の指導は、鳴海屋さんだ。失礼のないように」




 同い年御曹司三人組は稽古場で挨拶がてら、話をした。
お互いの話しを主にしていたが、そのうち『若手花形歌舞伎』の話しになった。
 佐吉は経験者の二人からいろいろと細かいことを聞いた。

「なかなか大変だよ。前半は役替わりだから」

 又蔵が少し億劫そうに言った。

「役替わり?」

「例えば…… 『三人吉三』を掛けるとするだろ。最初は『お坊吉三』次は『和尚吉三』最後に『お嬢吉三』全部やらないといけない」

「大変やな……」

 主役自体ほとんど張った事無い佐吉には、その大変さは想像が付かなかった。

「でも、月の後半は一つの役に専念できる」

 利蔵が言葉を継いだ。

「客から誰がどの役をやったらいいかって意見を聞くんだ。入れ札で。それで決められた配役で、残りの半月をやる」

「へぇ」
作品名:月も朧に 作家名:喜世