ダンデライオンにおかえりを。
ふと、黄色い花の間に混じる白い綿毛が目について。しゃがみ込んではそれを見つめて。
不思議なんだ。
初めて訪れたこの場所で。いつだったか、誰かといたような気がしたんだ。
それは明け方の夢のように曖昧で、不確実で、ふとした拍子に消えてしまいそうなくらいに淡い淡い感覚で。
ずっとずっと、誰かといたような気がするんだ。
「こんなに綺麗な色なのに。花なのに。付けられた言葉は別離、なんだ」
脳裏にふっと浮かんだそれは、誰の言葉だっただろう。
「悲しいよね。初めから、別れを知っているなんて、さ」
記憶の彼方に沈んだような。奥の奥の底の方から、泡のように浮かんできては儚く消えてしまうような。不確かな言葉を口にした、あれは一体誰だっけ。
いつかどこかで聞いたこと、の、ような気がするのだけれど。
ごめんね。
一緒にいられなかったこと。
ごめんね。
別れがあったこと。
ごめんね。
淋しい思いをさせたこと。
不意に、誰かに謝りたくなって。誰に。何を。どうして。
わからない。わからない。わからない、けれど。
この場所はただ、静かで。春の光は燦燦と。ただ暖かくて、心地が良くて。悲しいくらいに優しくて。
風が吹いて、軟らかな綿毛が空に舞い上がった。
そのときだった。不意に、誰かの足音が聞こえた。
驚いて振り向いて。そこに立つ一人の青年に気が付いた。
日の光に赤みを帯びる黒の髪。それほど高くない背と、どこか困惑した表情。軟らかい素材のシャツがふわりと揺れて目に映る。
「あの、ごめんなさい。勝手に入ったりして」
慌てて立ち上がると目の前の男は口元を緩め、いえ、とだけ呟いた。茶に近い色合いの目がどこかぼんやりしたような、優しい印象に変わった。
「綿毛が…」
急に大きな手が伸びて、私の髪に付いていた小さな種を掬い上げる。鼓動が一つ、大きく鳴った。ちょうど流れ始めた風が、小さな綿毛をさらっていった。どこか遠くへ。
「たんぽぽは…」
飛んでいく先を目で追うように、彼は空へと目を向けて。そうして静かに言葉を続けた。
「悲しい、ですね。一度舞い上がったら、どこかへ行ってしまうんだ」
どこか、遠くへ。 誰の言葉だったのだろう。同じように呟く彼は、本当に悲しそうな顔をする。悲しまなくてもいいのだと。そう、言ってあげたくて。ただ、教えてあげたくて。
「そんなこと、ないですよ」
風の行き先はわからないけど。
「もしかしたら、また風に乗って戻ってくるかもしれないじゃないですか」
そう言って笑いかけると目の前の青年は、私の言葉を噛み締めるように何度も何度も頷いて。
「君は、とても優しい考え方をするね」
そう言って、穏やかな笑顔を私に返した。
「あぁ。そうだと、嬉しいなぁ」
どこまで行っても。遠くへ行っても。必ず、また。何度でも。
「ねぇ。会ったばかりでこんなことを言うのはどうかと思うんだけれど。僕の自宅がすぐそこなんだ。よかったら、お茶でも飲みながら君の話を聞きたいんだ」
言葉とともに差し出された手を、気がつけば握り返していた。 ゆっくりと歩き出した彼は、変な人だと思わないでほしいけど、と前置きをして優しい声で私に言った。
「ずっと、ずっと。この場所で誰かを待ってた気がするんだよ」
作品名:ダンデライオンにおかえりを。 作家名:依織