コチコチカッチン
可愛い歌声が聴こえてきた。
「あらぁ、アユちゃん。上手、上手! でもどうしてそんな歌知ってるの?」
「あのねぇママ、おじいちゃんがうたってくれたの」
「ふぅ~ん、おじいちゃんが? ――えぇっ! おじいちゃんがって、アユちゃんはおじいちゃんに会った事ないでしょ?! アユちゃんが生まれる前に死んじゃったんだし」
「ううん。おじいちゃん あそこにいるじゃん!」
アユちゃんが指差す方を見た智実の視線は、リビングルームの壁の一面に掛けたられた柱時計の下にある、少し低めの白いキャビネットの上に飾られたおじいちゃんの写真の上で留まった。確かに身長100センチあるかどうかのアユちゃんでも辛うじて見えるかもしれない。だがそれは、亡くなって既に10年以上も経ったおじいちゃんの写真なのだ。今4歳のアユちゃんがおじいちゃんに会える道理はない。おかしなことを言うなぁと智実は思った。
「うん、確かにあそこにいるけど……でも、お写真のおじいちゃんは歌を教えることはできないでしょう? 本当は誰に教わったの?」
「だからおじいちゃんだってばぁ!」
アユちゃんが可愛く口を尖らした。
「でもお写真の……」おじいちゃんがしゃべるはずないでしょ、と続けようとした言葉をアユちゃんが遮った。
「ちがうよ! おしゃしんじゃなくて、おじいちゃん、ちゃんとあそこにいるでしょ!」
再度指差すアユちゃんの指先をずっと追ってみると、どうやらそれは写真ではなくて、壁の時計を指しているようだった。
「ん? 時計?」
「そうだよ。とけいのすぐよこにおじいちゃんがわらってるよ」
智実はアユちゃんの言葉に唖然として、すぐには言葉が出なかった。
おじいちゃんがそこに居るのだろうか。それも笑ってる? 智実には見えないけどアユちゃんには見えるのだろうか。
思い起こせば10年前。智実が夫の高志と結婚して5年目のことだった。早く孫の顔を見せてくれと、会う度に言っていた父。智実も父の期待に応えたいとは思っていたが、そうは言ってもこればかりは神様からの授かりものだし。そう思っていた矢先、突然の心臓病に倒れ、それまではあんなに元気だったのに、あれよあれよという間に弱っていき、最後の時を迎えるのにそう時間は掛からなかった。普段から気丈な母は葬儀の間に涙を見せることはなかったが、全てが落ち着いてからぽつりと智実に言った。涙を浮かべながら。
「この時計、持って行きなさい。お父さんの想いがこもってるから」と。
それまで特別気にもせず毎日見ていた時計だったけど、母の話によると、智実が生まれた時の記念に、父が智実のこれからの人生が平安に刻々と過ぎるようにとの願いを込めて買い求めてきたそうだ。父は幼い頃に両親を亡くし、かなり苦労して大人になったらしい。そんな父だからこそ、平安でいられる幸せを何よりも素晴らしいことと知り、同時に娘にはそうあって欲しいと望んでいたのだろう。
ありふれた普通の掛け時計だけど、ただ普通ではないのは、その文字盤の針軸の両側にオリジナルで「智 実」と書かれていることだろうか。どうやらその文字も、書を嗜んでいた父が自分で書いたものらしい。何となく、自分の為に買ってくれたものだろう、くらいには認識していたが、まさかそんな父の想いが込められていたとは思ってもみなかった。
母の勧めに従ってその時計を自宅に持ち帰り、リビングの壁に掛けてみた。見ているとなぜか気分が落ち着いた。それから数ヵ月後、妊娠していることが分かった。父が生きていたら相好を崩して喜んでくれたろうにと思ったものだ。
しかしもしかしたら、父は今も時計と一緒にここに居るのだろうか。そして自分の幸せを見守ってくれているのだろうか。あんなに待ち望んでいた孫が生まれたことを喜び、その孫に歌まで教えてくれたのだろうか。目には見えないけどそうだったらどんなに嬉しいことだろう。改めて智実は父の深い愛に思い至った。
ふと視線をずらした先にカレンダーが。あっ、来週は父の命日だ。そうか――そうだ、母を誘って久しぶりに墓参りに行ってこよう。そう思った智実の耳に、またアユちゃんの可愛い声が。
「こどものはりと おとなのはりと こんにちは さようなら コチコチカッチン さようなら♪」
歌い終わるとアユちゃんがにっこり笑顔で智実を見た。
「アユちゃん、来週一緒におじいちゃんのとこに行こうか」
「えぇっ! でもおじいちゃんはそこにいるのにぃ~?」
「うん、そこにも居るかもしれないけど、おばあちゃんも誘って、お墓にも行こうよ。ねっ!」
「うん。そうか、おばあちゃんもいっしょにだね。――あ、おじいちゃんがうれしいっていってるよ~」
「お父さん、いつもありがとう」
智実は声には出さずにそう言った。