現代異景【プレ版】
堀美由紀の場合
『肉の塊』
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「最近変なもの見るんだよね」
従妹の由紀ちゃんがそんなことを言い出したのは、お盆に親戚同士の集まりがあった料理屋でのことだった。うちはちょっと親戚同士の付き合いが良すぎるぐらいの家で、そのときも二十人ぐらいが集まってお酒を飲んだりしていた。由紀ちゃんはぼくより何歳か年下で、受験も推薦でほとんど確定していて暇だからという理由でこの集まりに参加していたらしい。
かくいうぼくはと言えば、正直あまり乗り気ではなかったのだ──大学の仲間とちょっと羽目を外し過ぎて、色々問題を起こした直後のことだったから。まあバレてはいないし、相手の方にも問題があったんだから、気にしすぎるのも馬鹿らしいんだけど、だからって全部忘れられる程簡単なことでもない。詳細を言うのも憚られるけれど、まあ暴力事件みたいなものだ。勿論相手に非があるんだけど、正当防衛だろうが何だろうが、こちら側からも暴力を振るったことは事実だから負い目がある。
ああでもないこうでもない、と頭の中でぐるぐる色んなことが回転している感じ。
──帰りたいな。
創作和食っぽい料理を箸でつつきながら、従妹の話に相槌を打つ。
同年代の子がぼくだけで、あとはみんな凄く年上か、物凄く年下の子供しかいなかったので、他に話し相手もいなかったからなんだろう。さっきから熱心に話を振ってきてくれる。今はお刺身を食べながら、由紀ちゃんの言う『変なもの』の説明をしていた。
「最初はさ、幻覚だと思ってたのね。見たの今年の初めだったし。推薦の話も確定じゃなかったから、ああーこれが受験ノイローゼってやつかーって思ってたんだけどさ」
推薦が決定し、受験のストレスから解放されてからも、それはずっと由紀ちゃんの視界の端に見えていたのだと言う。
「最初はさ、お母さんだと思ったの」
それは由紀ちゃんの母親によく似た顔をしていたのだそうだ。
でも、お母さんとは似ても似つかない、化け物だった。
まず、顔が似ているというだけで、その顔がとてつもなく大きい。普通の人間の顔なんて比べ物にもならない。四十二型の液晶テレビと同じぐらいだった、と由紀ちゃんは表現していた。確かに彼女の言う通りだとしたら、それは人間の顔としては巨大過ぎる。
「顔の造りはお母さんそっくりで、見るたびに怒った顔をしててね」
──体は、生肉の塊みたいだった。
三頭身ぐらいの大きさで、ぶよぶよした肉の塊みたいな質感の体。
手は異常に細くて長い。だらんと垂らした指先が床にべったりとつくぐらい。
その代わり、両足は物凄く短い。ほとんど見えないぐらい。肉の塊からいきなり足の指が生えているような感じ。
そんな怪物が──ちょこちょこと、見えるのだという。
もっともそれが何か手出しをしてくるとか、危害を加えてくるとかいったことはないそうで、ただじっと黙って由紀ちゃんを睨んでいるだけとのことだった。
場所も時間も関係なく、見えるときは見える、見えないときは見えない。
幻覚だ、と思ったそうだ。
受験のストレスか何かは知らないが、自分は精神的に病んでいるのではないか、と。
お医者さんに行った方がいいのでは、と告げるぼくに、由紀ちゃんはそれも一時期考えたんだけどね、と前置きしてから、
──お母さんに心配かけると思って。
ちら、と。
今は親戚のおばさん達に混じって、楽しそうにお話ししている由紀ちゃんのお母さんに視線を向けて。
由紀ちゃんはジュースを飲みながら、辿々しく語ってくれた。
「私の志望大学ね、昔お母さんが行きたかったところなんだ」
──成績は問題なかったんだけど。
──色々家族のこととか、お金のこととかね。事情があったんだって。
──泣く泣く諦めたんだってさ。
「何となくそれ聞いてさ。だったら私が代わりにってわけじゃないけど、入学したいなって思ったんだ。お母さんがやりたかったこと、勉強したかったこととか、色々……私も追いかけてみようかなって」
──絶対お母さんには内緒だよ。
──恥ずかしいから。
照れたような顔で言う由紀ちゃんに、ぼくはただにこにこしながら頷いただけだった。
じぃじぃと、お店の外では蝉がうるさいぐらいに鳴いている。夏の陽射しは強くて、きっと今頃外は噎せ返るような熱気に包まれているのだろう。最近はずっと雨が降っていなかったけど、天気予報だと夕立になるかもしれないと言っていた。ふと窓の外を見ると、遠くの空に重い灰色の雲が垂れ込めているのが見える。
──雷とか。
大雨が降るかもしれない。
早く帰らないと──と思った。
お店の中は大賑わいだ。久しぶりに会う人達も多いから、みんな話が弾んでいる。ぼくの両親も珍しくお酒を飲んで、見たこともないおじさんやおばさんと談笑していた。小さいお店だったからほとんど貸し切りの状態で、お座敷は沢山の人で溢れかえっている。
足の踏み場もないぐらい。
足の踏み場もないはずの、由紀ちゃんのすぐ真後ろに。
顔の造りは由紀ちゃんのお母さんそっくりで、
三頭身ぐらいの大きさで、
ぶよぶよした肉の塊みたいな質感の体で、
細くて長い手をだらんと床に垂らして、
短い足を小刻みに動かして、
物凄く怒った顔の──怪物にしか見えないものが、じっと。
由紀ちゃんを、睨み付けていた。
ぼくは黙ってジュースに口を付ける。
いたたまれなくなって、ふっと視線を逸らした。
一瞬──あの怪物とまるっきり同じ顔をした、本物の由紀ちゃんのお母さんが、由紀ちゃんを睨み付けているような気がしたけれど。
ぼくにはきっと、関係ない話のはずだ。
──ああ、
帰りたいな。
今日の夜には友人達と出かける予定があるんだ。
友達の一人がとびきりの心霊スポットを教えてくれたから、そこにみんなで突撃する。
確か──呪いの森とか何とか、言ってたっけ。
現実逃避しながら、味のしない料理を喉の奥に詰め込んでいく。
店の外は蝉の合唱。
雨雲が、また少し近付いた気がした。