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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】Ⅲ

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 またしばらく無言が続く。今度も先に口を開いたのは悠理であった。
「さっきの話だけど」
「え?」
 眞矢歌が眼を見開く。
「何の話だったかしら」
「だから、俺たちの結婚式の話だよ」
 その刹那、眞矢歌が黙り込んだ。
 彼女が何も言わないので、悠理は焦れた。
「どうして何も言わないんだ?」
 眞矢歌は何か言おうとして、ふいに口をつぐんだ。
「私に同情なんて、しなくても良いのよ」
 ふいに落ちた呟きに、悠理はハッとした。
 眞矢歌の瞳が濡れている。
「どうして、そんな風に考えるんだ?」
「前にも話したように、私は悠理さんの子どもを生むことはできないわ」
「でも、昨日は俺の想いをちゃんと受け容れてくれたじゃないか」
 悠理が憤慨したように叫ぶと、眞矢歌は淋しげに笑った。いつもよく見せるあの儚げな微笑みだ。
「付き合うことは承知したけれど、プロポーズまで受けたわけじゃないでしょ」
 悠理は顔をしかめた。
 生まれ育った環境がこれほど違うにも拘わらず、早妃と眞矢歌には、何と多くの共通点があることか。優しさ、風雨にさえすぐに折れてしまいそうなほど儚げで脆いのに、存外に内に秘めているしなかやな強さにしても、そうだ。
 早妃は義父に幾度も乱暴され、風俗嬢に身を堕としながらも、最後の最後まで運命に屈することなく生き抜いた。そして、奇しくも熱心なクリスチャンであったことさえも。
 悠理はつくづく運命の不思議を感じずにはいられない。
「子どもなら、眞矢歌さんにはたくさんいるんだろ。ウサギ組の二十五人の子どもたちが皆、我が子だって言ったばかりじゃないか」
 悠理の言葉に、眞矢歌の瞳が揺れる。
「それにさ、いつか身寄りのない子を養子にして引き取っても良いしさ。眞矢歌さんが望むのなら、その代理母出産ってヤツをやったって俺は良いんだよ。君が選ぶ道なら、俺もできるだけ協力するから」
 だから、家族を作ろう。
 悠理は眞矢歌の眼を見つめながら、力強く言った。
「俺と眞矢歌さんと網元と。初めは三人で良いよ。もし縁とチャンスがあるなら、どういう形でかはまだ判らないけど、俺たちにも子どもを持てるチャンスはあるはずだ。それにもし、子どもを持てなかったとしても、俺は眞矢歌さんさえ、側にいてくれれば良いんだ」
「本当に私で良いの?」
 眞矢歌の眼から大粒の涙が流れ落ちる。
 悠理は優しい笑みを浮かべ、眞矢歌の涙を親指でぬぐった。
「俺だって、他人に自慢できるような過去を持ってない。眞矢歌さんこそ、俺で良いのか?」
 既にホストをしていたことも眞矢歌には話してある。悠理は眞矢歌を見つめた。
 眞矢歌の桜色の唇がかすかに戦慄いた。
 息をつめて、応えを待つ。
 やがて、いつ果てるとも知れないほどの沈黙の後、眞矢歌の唇から吐息と共に呟きが零れた。
「―私なんかで良かったら、悠理さんのお嫁さんにして」
「ありがとう」
 悠理のひろげた腕の中に、眞矢歌は素直に飛び込んできた。逞しい腕の中に眞矢歌を閉じ込め、もう離さないとばかりに強く抱きしめる。
 このやわらかな身体、髪の毛、温かなぬくもり、すべてが悠理にとっては愛おしかった。眞矢歌の髪に頬を押し当て、悠理は込み上げてくる涙を堪えた。
 今、俺は新たに守るべき存在を得た。これからは眞矢歌が俺の女神になるだろう。
 俺だけの、女神に。


 小さな港町は、背後を小高い山々に囲まれている。季節がうつろい、この町にも秋がめぐってきた。
 町を抱くようにそびえる山々が透明な大気にくっきりと立ち上がって見える季節がやってきたのだ。そんなある日の朝、悠理の居候する網元の家に一通の手紙が届いた。
 その日の朝、漁に出て競り市場から戻ってきた悠理は、ポストから郵便物の束を取り出した。
 数通ある手紙は三通が網元宛のもの、二通が眞矢歌宛て、最後の一通が悠理宛てになっていた。
「俺に手紙なんて来るわけないのにな」
 悠理は首をひねりながら、何げなく縦長の白い封筒を裏返す。差出人の名を見た瞬間、彼の端正な顔が強ばった。〝片岡柊路〟と記憶にある几帳面な字が並んでいた。
 悠理は家の中に入り、二階の自室に駆け上がった。封を切るのももどかしい。手が震えてなかなか開けられず、何度か失敗して漸く開けることができた。
 私信らしいものは何も入っていない。
「畜生、あいつ、ふざけてんのか?」
 毒づきながら封筒を逆さにして振っている中に、中から、はらりと何かが落ちてきた。
「―?」
 悠理は落ちてきた紙を拾う。それは写真らしかった。裏返しになった写真を表に向けた瞬間、彼は息を呑んだ。
 L判の大きさの写真の中では、赤ん坊が笑っていた。色の白い、眼の大きな女の子だ。片隅に〝理乃 生後十ヶ月〟と記してある。
 眼許辺りは実里に似ているような気もしたし、自分に似ているような気もした。
「あ―」
 悠理は声にならない声を上げ、写真を頬に押し当てた。
 せめて、ひとめで良いから我が子の顔を見たい。そう願い続けていた自分の心を、柊路は判っていたとでもいうのだろうか。
 八月の終わり、悠理は一度、故郷のM町に帰った。それまで暮らしていたアパートを引き払い、数少ない荷物を処分するためだった。
 その際、大家に挨拶に行き、念のためにと次の落ち着き先として網元の家の住所を告げておいたのだ。だから、本来は悠理の居場所を知るはずのない柊路が知ったに違いない。
 郵便局にも転居届けを出しておいたが、転送されてきたのなら、ここの住所が最初から表書きに記されているのはおかしい。
 悠理はもう一度、写真を見た。赤ん坊の名は理乃というのだろう。誰がつけたのかまでは判らないけれど、紛れもなく悠理の血を分けた娘に、悠理の名の一字が入っていることに悠理は気づいていた。
 実里ではなく、恐らく柊路がつけたのだろうことは容易に想像がつく。ホスト時代から悠理が無二の友とも兄貴とも思った柊路は、義理の娘に実の父親の片諱を与えたのだ。それが、生涯父子の名乗りをできない縁薄い父と娘への、せめてもの心遣いだったのだろう。
 丸々とよく太って、いかにも健康そうだ。柊路は約束どおり、実里と子どもを大切にしてくれている。
 様々な感情が押し寄せてきて、悠理はしばらく写真を握りしめたまま座り込んでいた。
 赤ん坊の写真を見つめる悠理の眼から涙が流れ頬をつたう。
 眞矢歌との結婚式を三日後に控えた、十月初めのある朝の出来事であった―。

                                (了)