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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】Ⅲ

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毎日、真夏日が続いている。悠理が網元の家で暮らすようになってから、はや数日が経った。
 その日の朝、網元の家前は騒然とした。悠理は毎日、網元について漁に出ている。その日も丁度、漁の後ですぐに競り市場へ向かい、漸くひと段落ついて戻ってきたばかりのところだった。
 日曜日なので、眞矢歌も仕事は休みである。漁を終えた後、漁師たちは自宅に戻って仮眠を取るのが倣いであったから、悠理もまた二階へ上がり、布団に横になった。そこへ眞矢歌が戸惑い気味に顔を覗かせる。
 暑いので、部屋の窓も出入り口の引き戸も開けっ放しにしていた。
「悠理さん、ちょっと良いかしら」
 良いも何も、相手が眞矢歌なら、いつでも大歓迎だ。―とは流石に言えず、悠理は笑顔で頷いた。
「構わないよ。何か用?」
 本当は少しでも眠りたかったのだが、惚れた女相手に悪い顔は見せたくない。
「お寝みのところ、ごめんなさいね。でも、表にどうしても悠理さんに逢いたいって人たちが来てて」
 と、眞矢歌も少しばかり困った表情だ。
「俺に客なの?」
「ええ、それがそのう―」
 と、いつになく歯切れの悪い物言いである。控えめではあるけれど、基本、眞矢歌は言いたいことははっきりと言う性格だ。
 これは何かあると、悠理は本能的に悟った。何か背中の辺りに寒気がする―。
 仕方なく眞矢歌について階下に降りていくと、その予感は不幸にも的中してしまった。
 悠理が表に出た途端、あちこちで閃光が光った。悠理は眩しさに眼を射貫かれ、思わず額に手をかざす。
 一体、これは何の騒ぎなんだ?
 慌てて周囲を見回すも、眞矢歌の姿はない。これは逃げられたなと思ったものの、今更、引き返せもせず、悠理は茫然とその場に立ち尽くした。
「向井くーん」
「理クンだぁ」
 あちこちで歓声が上がり、悠理は信じられない想いで眼前の光景を見つめた。
 四十歳ほどから小学生までの十数人の女性たちが今、自分を取り込んでいる。最前列で眼をキラキラさせている幼い少女二人の顔には確かに見憶えがあった。例のコンビニ前で悠理を俳優の向井理と間違えた小学生たちだ。
「あ、あの、これは何の騒ぎですか?」
 戸惑い気味に訊ねると、またどこかでキャーと歓声が上がった。
 女性ばかりの集団の中から、十七歳くらいの少女が進み出る。
「私たち、今度、向井さんのファンクラブを作ったんです。会報誌も不定期だけど、発行しようと思ってます。それで、記念すべき創刊号に向井さんの写真とインタビュー記事を是非入れさせて頂きたくて」
 と、横から例のお下げ髪の小学生が悠理を見上げた。
「私のお姉ちゃん。この間、お兄さんのサインを貰って帰ったら、もう失神するくらい歓んだのよ」
 悠理はガクリときて、お下げ髪の女の子と傍らの女子高生を代わる代わる見つめた。姉と紹介された女子高生は頬を紅潮させ、熱っぽいまなざしで悠理を見つめている。
「折角だけど、俺、そういうのは好きじゃないっていうか、あんまりやって欲しくない―」
 ぼそぼそと言いかけると、また、どこかで悲鳴のような声が聞こえた。
「向井クンが喋った」
「本当に、そっくりさんなの?」
「声まで似てるぅー」
 〝そっくりさん〟と判っていながら、何故、彼女たちが自分を〝向井クン〟と呼ぶのか今ひとつ理解できない悠理である。
「向井くーん」
「素敵、サインして~」
「私も!」
 女たちは口々に勝手なことを言い合って盛り上がっているようだ。その合間には携帯を手にした少女たちが近寄ってきて、無遠慮に悠理の写真を撮っている。
「いや、だから、俺は向井さんじゃなくて溝口―」
 そこで悠理の声は途切れた。興奮しまくった少女たちがついに群れて突進してきたからだ。

 そのきっかり一時間後。悠理は集まった女性たち―自称〝向井理のそっくりさんを応援する会〟の女性たちに揉みくちゃにされ、さんざんな眼に遭った後、漸く解放された。 
 来週の土曜には、〝向井理そっくりさんを囲むファンの集い〟なるものが町の公民館で開かれ、否応なく出席させられる約束まですることになった。
 悠理は憮然として厨房に向かう。冷蔵庫は好きなときに開けて、中のものは飲んで良いと言われている。よく冷えた作り置きの麦茶があったので、コップに注いで一気に飲んだ。
 冷たい感触が喉元をすべり落ちてゆくと、幾分生き返ったような心地になる。
「ごめんなさいね、悠理さん」
 後ろで眞矢歌の声がして、悠理は首だけねし曲げて振り返る。
「別に、眞矢歌さんのせいじゃないから。でも、もうできるなら勘弁して欲しいな。俺、何が何だかさっぱり判らない中に、揉みくちゃにされたよ。やれサインしろだとか、一緒に写真撮ろうだとか」
 確かにホスト時代は女性客に愛想を振りまいていたが、今はもうホストなどではない。別に好きでもない女たちに良い顔する必要もないし、機嫌を取ることもないのだが。
 哀しいかな、ホスト時代に滲み込んだ習癖はなかなか直せないらしい。気がつけば、ファンクラブだとかいう女性たち相手に、爽やかな笑顔を振りまいていた。
 中には
―すっごい。向井クンって、物凄いエスコート上手。
 などと言われ、やはり馴染んだホストの習性がどこまでもついて回る事実を突きつけられたようで、ショックを受けていた。
「何しろ、小さな町でしょう。特に大きな事件も話題もなかったから、あなたが来て皆、舞い上がってるみたい」
「何で俺なんかが来て、騒ぎになるのか皆目見当もつかないけど」
 好きな女の子に熱っぽく見つめられるのは男として大歓迎だけれど、別にその他大勢に騒がれたとしても何の意味もない。
 悠理が仏頂面で言うのに、眞矢歌が済まなさそうに言った。
「それで申し訳ないんだけど、これもついでにお願いできるかしら」
 眼の前に差し出された色紙を投げやりに見る。
「何ですか、それ」
 態度が多少粗暴になったのは、この場合、致し方ないかもしれない。
「保育園の後輩に頼まれたの」
 言いにくそうに続ける。 
「その子、向井理の大ファンらしくてね。どうしてもサインが欲しいだって」
「眞矢歌さんまで、そんなこと言うんだ? 俺は溝口悠理で向井理じゃないんだよ? タレントや俳優なら愛想良くサインするんだろうけど、何で一般人の俺がいちいちサインなんてしなきゃならないわけ?」
「その子―保育士の後輩だけど、今年新卒で入ったばかりで、まだ若いのよ。うちの園は去年も新採用はなかったし、他の先生は皆、三十代以上ばかりなんだけど」
 と、懸命に言い訳にもならないような言い訳をしている。そんな眞矢歌が可哀想になり、悠理は溜息をついた。
「仕方ないな。もう本当に、これ一度きりにしてよ」
「判ったわ」
 眞矢歌がホッとしたような表情になった。
 悠理は渡されたサインにサインペンで大きく〝Yuri☆〟と書いた。ついでに空白に今日の日付と西暦を書き込む。
「適当だけど、これで良い?」
「もちろんよ、ありがとう。助かったわ」
 眞矢歌は大切そうに色紙を受け取った。