海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ
やっと得た二人目の我が子には、生まれながらにして父子の名乗りは許されなかった。これほどの大きな罰があるだろうか。
悠理が図らずも実里を愛してしまったことを眞矢歌は知らない。しかし、聡明な眞矢歌は悠理の辿った心の軌跡と真実を正確に見抜いているようであった。
「―悠理さんは、もう十分苦しんだでしょう」
その何げないひと言は悠理の心に大きな波紋を投げかけ、深く深く奥底へと沈んでいった。
「あなたは自分が犯した罪によって、より厳しい報いを受けた。だから、もう過去に囚われてちゃいけないわ。すべてを忘れてと言っても、それが無理なことは同じような体験をした私自身がよく知っている。だから、忘れてとは言わないけれど、これからはもう過去は振り返らずに前だけを見つめて生きなきゃ」
その瞬間、悠理は眞矢歌の静謐な瞳の中に様々な感情を見た。彼女の澄んだ瞳には、軽蔑でもなく、同情でもなく、ただ共感めいた感情が浮かんでいるだけだ。
それは他人の痛みを理解できる心の美しさであった。眞矢歌自身も数々の辛い体験を経てきたからこそ、悠理の心情により寄り添って考えられるのだろう。
悠理の眼に熱いものが滲んだ。
「もう、忘れても良いのかな、考えなくても良いんだろうか、俺」
悠理の頬を熱い滴が流れ落ちる。
俺、本当は忘れたかったんだ。亡くした妻子のこと、恨みに凝り固まった醜い心で汚してしまった実里、実里の生んだ、たった一人の我が子。
子どもに逢いたいと願いながらも、どうせ逢えぬと決まっているさだめであれば、いっそのこと忘れてしまいたい、この記憶から消し去ってしまいたいとすら願った。
だからこそ、今の場所ではない、ここではない遠いどこかへ行きたいと、現実から逃れたいとひたすらあがいていたのではなかったのか。
「忘れたいのなら、忘れれば良いのよ」
涙の幕で曇った眼の向こうで、眞矢歌が微笑んでいる。悠理には、眞矢歌が今、発している言葉があたかも天に還った早妃のもののようにも思えた。
―もう、私たちのことは忘れて、悠理クン。悠理クンは悠理クンの幸せを見つけて、今度こそ新しい家族を作ってね。これからは前を向いて生きて、自分のことだけ考えて。
大の男がみっともないと思いながらも、悠理は涙を抑えられなかった。
「泣きたければ泣けば良いのよ。悠理さんが昨日、私に言ってくれたばかりでしょ。泣きたいだけ泣いたら、きっとまた前を向いて生きていけるようになるから。涙と一緒に余計なものはすべて流し尽くしてしまうの」
眞矢歌の手が悠理の背に回った。
悠理は眞矢歌のやわらかな胸に顔を埋めて、すすり泣いた。
早妃、俺はお前たちのことを忘れたりはしない。でも、もう、幾ら悔やんでも取り返せない過去ばかりに縋って生きるのは止めるよ。これからは前だけを見つめて生きてみる。お前はもう遠くにいて、俺が守ってやることはできないから、お前の代わりに側にいて守ってやる俺だけの女神を見つけるから。
なあ、早妃、それで良いか? こんな俺を許してくれるか?
心でそっと呼びかけると、瞼に浮かぶ彼だけの女神がひっそりと微笑んだように思えた。
夏の眩しい陽射しが舗道を白々と照らしている。数日前からこの町でも鳴き始めた蝉が遠くの林で鳴いていた。
作品名:海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】 Ⅱ 作家名:東 めぐみ