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海ほたる~どこか遠くへ~【My Godness完結編】

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「ホウ、男前なのを鼻に掛けた青臭い若造かと思ったら、なかなか言いたいことを言うな。それだけの度胸があるなら、漁師の仕事もやってできんことはなかろうて。心配せんでも良い。仕事は一つ一つ教えてやるし、端から、そんなに難しいことはさせるつもりはない」
「それなら、俺にもできるかな」
 悠理が小首を傾げると、老人は不敵な笑みを浮かべている。
「それだけの良い体格をしとるんだ。力仕事の一つや二つはできるだろう?」
「えっ、まあ、力はそこそこあるとは思いますけど」
 悠理は頷いた。ホストは力仕事なんてする必要は全くなかったが、自分が特に体力不足だと思ったことはない。何とかなるだろうと楽観的に考える。
「よし、それじゃあ、話は決まりだな」
 老人は顔をほころばせた。笑うと、いかつい印象が随分とやわらぎ、むしろ人懐っこい雰囲気が全面に出てくる。
 悠理は気づいてはいないが、この老人の雰囲気は実は、彼自身ととてもよく似通っていた。一見、人を寄せ付けないようでいて、実は見かけほど人嫌いでもなく無愛想でもない。人が嫌いというよりは、自分の感情をどうやって表現したら良いか判らない。
 そのせいで、普段から随分と損をしている。
 悠理がこの老人に親近感を抱いたのも、二人の共通点ゆえでもあったのである。話すだけ話すと、老人はもう用事は済んだとばかりに背を向け、また黙々と自分の仕事に戻っていく。
 悠理は一人、その場に取り残され、途方に暮れたように老人の屈強な後ろ姿を眺めた。よもや、この初めて訪れた港町で偶然出逢ったこの老人が自分の中に何を見たかまでは想像だにつかなかった。
 長年、漁ひと筋に生きてきたこの老人は、悠理の中に儚さを見たのだ。彼がかいま見たものは、指でつついただけで一瞬で崩れさってしまいそうな脆さに他ならなかった。
 悠理について全く何も知らないこの男が、図らずも悠理のそのときの状態を正確に読み取ったのだ。

 夜になった。悠理は与えられた部屋で薄い夜具に寝転がりながら、ぼんやりと天井を見上げていた。
 あの後、悠理は仕事を終えた老人に連れられ、彼の住まいだという家に行った。老人の名は坂崎(さかざき)晃三(こうぞう)。この切別町で数代前から続く網元をしている。網元といっても、それほど規模の大きなものではなく、十数人の漁夫を抱えて細々とやっている―と、これは親方自身が語ったものだ。
 確かに家もさほど大きくはなく、ごく普通の二階建ての民家だった。最初に網元と聞いたときには、何か大邸宅に暮らしているような想像を勝手にしてしまったのだ。
 悠理にあてがわれたのは、二階の奥まった一室だった。いつもは急な客用のために空けてあるのだと言われ恐縮したものの、それも実際に部屋を見るまでのことだった。客用とは名ばかりで、広さは五畳あるかないかの狭さで、余計なものは何一つない。畳も陽に灼けて色褪せているし、客間というよりは、どう見ても納戸か物置代わりに使用した方がふさわしいように思える。
 それでも、宿泊賃がただにして貰えるのは何より、ありがたい。銀行に預けてある分は別として、それほど多く持ち合わせがあるわけではなかった。実里が子どもを生んでからというもの、たとえ父子の名乗りはできなくても、子どもに恥じない生き方をしたい。そう思って、ホスト稼業とはきっぱり決別した。
 そこまでは良かったが、高校中退で更に五年もの間、水商売をしていた男にろくな就職先があるはずもなかった。結局はコンビニ、ガソリンスタンドと以前のようにバイトを掛け持ちするだけで、日は過ぎていった。
 ネットで求人を調べ、これはと思う仕事を見つけて問い合わせてみると、初対面では大抵の人間は好印象を持ってくれる。しかし、いざ正式な履歴書を出す段となると、相手側の態度が硬化した。
 一度などは、面と向かって言われた。
―うちの会社は信用を第一にしているんだよ。高校中退はまだ眼を瞑れるとしても、幾ら何でも、君ねえ、ホストなんかしてた人に任せられるわけないでしょ。建設会社の営業は君、ちゃらちゃらして女の気を惹くのとは訳が違うんだよ? それなりの専門知識も必要だしね。大体、あんた、ちゃんと働くって、どんなものか判ってるのかい?
 どこに行っても、その繰り返し、求人側の対応も似たり寄ったりだった。
 しまいには悠理自身も職探しをするのに嫌気がさして、やる気も失せてしまったというのが実情だったのだ。
 そんな有様で、纏まった金が手許にあるはずもない。だから、網元の仕事を手伝う代わりに、住み込みで働かせて貰えるというのは正直、助かる。
 悠理はふと思いついて、起き上がった。部屋の片隅に置いてある唯一の家具らしいカラーボックスを振り返る。それは三段で、優しいクリームイエローだ。長い年月であちこち塗装が剝げているが、どこかが壊れているというようなことはない。悠理は背負ってきたナップサックを無造作に放り込んでおいたのだ。
 ナップサックを引っ張り出す時、カラーボックスの上に置かれているガラスの一輪挿しがふと視界に入った。
「浜木綿(はまゆう)?」
 呟き、意外なものに気づいたとでもいうように眼を見開く。どう見ても百円ショップの一輪挿しにしか見えないけれど、活けられた浜ゆうは純白で美しく、殺風景になりがちな空間を和ませるのにひと役買っている。
 網元の家は浜辺からもほど近いし、浜ゆうは海辺に自生するとも聞くから、誰かが摘んできて活けたのだろうか。それとも庭にでも植わっているのか。
 いずれにせよ、この家の人が活けたものには相違ない。だが、あの無骨な網元が浜ゆうを摘んで活けたとは到底考えられなかった。
 そういえば、と、悠理は首を傾げた。
 網元は自分の名前を名乗っただけで、他のことは何も触れなかった。あの歳であれば常識的に考えれば、家族がいて当然なのだ。奥さんや子どももいるはずなのに、そういった話―ごくプライベートな話は何も聞かされてはいなかった。
 自分が特に詮索好きだとは思わないが、やはり、これからしばらくここに居候して働くからには、同じ屋根の下に住む人たちが誰であるかくらいは知っておきたい。明日の朝、網元に直接訊いてみようと、悠理は一旦、その考えを頭から追い出した。
 緑色のナップサックはディスカウントストアの千円均一セールで買ったもので、まだ早妃が元気だった頃から使っている。我ながら随分と物持ちの良いものだと呆れるくらい愛用している。
 ホスト時代、仲間たちはこぞってブランド物を身につけていた。悠理もまた店に出て客の相手をするときは、それなりに持ち物にも気を遣ようには心がけてはいたものの、他のホストたちのようにブランド物でこれでもかというように身を飾り立てるのは性に合わなかった。
 また馴染客からブランド物の時計やハンカチ、スカーフ、ブレスレットなどを贈られることもある。そういう場合は特に気を遣い、その客に対応する際は必ず身につけるようにしていた。が、基本的にブランド物には興味もなく、ましてや好きでもない悠理は家に帰れば、そんな煩わしいものは一切外していた。