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京都七景【第六章】

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 【第六章 墓を探す(2)】

『清水坂を下から上がって来た若い女性がすっと三年坂に折れる姿が、ぼくの目に入った。普段なら、よくあることと気にも止めないところだが、そのときは妙に強い印象が残ってね。というのも、左手にガイドブック、右肩にやや大きめのハンドバッグといった格好が、いかにも観光客だと告げてはいるものの、清水寺に向かわずに、迷わず三年坂に曲がる、そのさっそうとした足取りに妙なすがすがしさを覚えたからだ。

 ところが後ろから見ていると(といってもつけていったわけじゃないぜ。なにせ同じ方角に歩いて行くんだ、どうしたって目に入るわけさ)、この足取りにどうも不協和音がある。なるほど、さっそうとはしている。が、しかし、右足をやや引きずって歩きにくそうなところが妙に気になった。どうしたんだろう、と思って、よくよく目を凝らすと、足首に白い包帯が巻いてあるじゃないか。しかもやや赤く染まったところもあって、妙に痛々しい。人事ながら心配になって、いよいよ目が離せなくなった。よし、かくなる上は、しばらく後ろについて、まさかのときには手を貸してあげなくちゃな、と考え、着かず離れずぶらぶらと歩いて行った。ついでに、その時間を利用して、足もとだけじゃなく女性の格好を一通りよく見直してみたよ。

 オレンジのローヒール、やや長めのライトグリーンのスカート、白い半そでのブラウス、背にかかる長い髪、季節にはやや早い、つば広の麦藁帽子。それが包むほっそりとして形のよいシルエット。ぼくの願いが天に通じた瞬間だった。三年坂を、やや右足を引いているとはいえ、さっそうと降ってゆく女性に心惹かれるのが、ぼくの年来の夢だったんだ。これはもう運命と言うしかない。ぼくはこの先に待ち受けている幸運を勝手に思い描いて、胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。顔は、ちらりと見たきりだったが、瞬時に心に刻まれた。それほど端正で知的な顔立ちだった。ここは、どうにかして話しかけたいものだ、とぼくは思った。だが、まあ、それはさておき、話を続けることにしようか。

 そのまま後ろを歩いて行くうちに、女性は突然石段を踏み外して右側に倒れた。

「きゃっ」と鋭い声が三年坂に響いた。

 幸い、石段が低かったのと、倒れた方向がよかった。腰から座るように倒れて右手を突いただけですんだ。ところが被っていた麦藁帽子が脱げて、下から上がってくる風にあおられ、くるくるとぼくのほうまで上がって来た。ぼくはとっさに片手を差し伸べたが届かない。風もそこまでで力が尽きてしまった。今度は下に向かってくるくると回って二年坂の先のほうまで飛んで行って道端に落ちた。ぼくは帽子を捕まえようと坂を懸命に駆け降りた。途中で、痛そうに手を押さえているその女性の横を

「大丈夫ですか?」と声をかけて通り過ぎ、そのあとあわてて「帽子とって来ますから」と付け加えた。

 人通りはいつもほど多くはなかったが、それでもかなり歩いていて、誰かに先に拾われても仕方がないと覚悟はしていたが、坂から猛然と駆け降りてくるぼくの迫力にあるいは恐れをなしたのかもしれない。誰も帽子を拾おうとしない。それどころか、帽子を遠巻きにして迷惑そうに避けて通ってゆく。こいつは運がいい。わたしは帽子を拾うと、急いで女性が倒れた場所に引き返した。

 女性は、倒れた場所に座りなおして右の足首をさすっていた。包帯に赤く見えたのは、やはり血がにじんだあとである。わたしは一瞬ためらったが、声をかけた。

「大丈夫ですか、・・・あの、これ、帽子ですけど」

 女性は、はっとして顔を上げた。足の痛みと声をかけられた緊張に、一瞬、輪郭が引き締って、それがやや攻撃的な表情を作っているように見えた。いやあ、ひるんだぜ。なにか悪いことでもしたのかなってね。でも、その張り詰めた表情の美しさに、うかつにも、ついつい見とれてしまった。

「ありがとう・・・ございます、ひろっていただいて」

 彼女は頭を下げた。微笑みが目からから口もとに広がって輝いた。

 彼女は差し出した麦藁帽子を丁寧に受け取ると、そっと頭に載せ、ゆっくり立ち上がって、歩けるかどうか調べるように恐る恐る右足に力をかけた。

「あの、ほんとうに大丈夫ですか、足取りがちょっと、あぶなそうに見えたものだから」
「ええ、もう大丈夫、ちゃんと歩けそうですから。でも、そんなにあぶなそうに見えました?」
「あ、ええ。危ないというか、痛そうというか」
「まあ、痛いことは確かね。わたし、そそっかしいものだから、いつもあわてて怪我ばかりしていて、今日だって、自分の車のドアで足を挟んじゃったの。そんなこと、ふつうあり得ないでしょう?まったくいやになっちゃう」
「はあ」
「でも、もう大丈夫。ゆっくり歩いて行きますから。助けてくださってどうもありがとう」

 彼女は深く礼をして、にっこりと笑った。

 この流れから判断して、もはやぼくはここにとどまるべきじゃないと感じた。いかに理想のタイプだとはいえ、これ以上ここにとどまって相手につきまとうのは、ぼくのこれまでの恋愛経験からして相手に嫌われるだけのことで得策ではないし、何よりぼくのポリシーとプライドが許さなくてね。

「いえ、たいしたことはしてません。でも、大丈夫でよかった。では、お気をつけて」

 そう言ってぼくは先に歩き出した。もちろん、心は泣いていたけれどね。ところが十歩ほど行くと、後ろから声がかかった。

「あのう・・・」彼女の声だ。何か話すことがあるのだろうか。もしかしたら・・・。ぼくは、これから起こるであろう、ロマンチックな告白シーンを夢想した。

「おはか・・・お墓、知ってますか?」

 ぼくの夢想は無残にも消し飛んだ。ぼくはぎくりとして肩をすくめた。どうしてぼくが彼女の探している墓を知っていることがあるだろうか。初対面の人間に聞く質問にしては少しおかしくはないか。心惹かれているがゆえにこんなことは言いたくはないが、やはり自分の足を車のドアで挟んでしまう人である、すこうし、頭がおかしいんとちがうか、と思ったぼくは肩をすくめたまま、恐る恐る振り返った。

「あの、お墓です・・・坂本龍馬の」
「あ、あああ、あの、さ、ささ、さかもと、りょ、りょうま、のね?」

 わたしの予想は無残にも、また砕け散った。

「知りませんか?坂本龍馬のお墓?この近くらしいんですけど、どこなのかよく分からなくて。こんなこと聴いて失礼かもしれないけれど、こちらの、ガクセイさんでしょ?そうじゃありません?」
「まあ、それらしきものではありますけど」
「まあ、よかった。それなら、もしかして坂本龍馬のお墓、知りません?」
「幸い、知ってはいますけど」
「ああ、よかった。けがはしたけど、まだ運に見放されてはいなかったわ。あの、すみませんが、その場所、おしえていただけませんか?」
「かまいませんけど、その足では無理だと思うな」
「どうして?そんなに遠いんですか?」
「遠くはないですけど、この坂よりずっと急な坂道を登らなくちゃならないし、それに似たような志士の墓ばかりあって、見つけるのに思いのほか時間がかかりますよ」
作品名:京都七景【第六章】 作家名:折口学