嵯峨野の女
嵯峨野の女
嵯峨野は竹藪が多い。
女は農家が竹藪の一隅に建てたアパートに住んでいた。竹藪が海のように押し寄せる女の部屋は竹の気配に充ちていた。竹は微かな風にも揺らいだから葉擦れの音が絶えず、風が強まると幹のぶつかる乾いた音が響いた。窓からは緑に染まった竹の精気が流れ込んだ。部屋はいつも竹藪のざわめきと匂いがした。
丹後の海で育った女は、竹藪に惹かれてこの部屋を選んだと言い、
「竹藪は海のようね、光と風で表情が変わるの・・見飽きないわ」と呟いた。竹藪は刻々と変化する光と風を反映して同じ光景にとどまらない。女はジャズを聴きながら日がな竹藪を眺めていた。
女に出会ったのは僕が一九歳の冬で、別れたのは翌年の春、桜の散る頃であった。正味四ヶ月に満たない付き合いで、部屋を訪れたのも数えるほどである。
女の名前や顔は忘れたが、嵯峨野の竹藪とジャズと白い身体は覚えている。今も、哀切な苦しい思いとともに当時のことを思い出す。
一
当時、僕は学費が安いことで有名な京都の私立大学の一年生だった。
僕の家は母子家庭で妹もいたから、国立大学の受験に失敗した僕は、力試しで私立大学に合格していたものの就職するしかなかった。母も就職を望んでいたが、母の兄がそれは惜しいと学費を工面してくれた。学費は将来返す約束で入学したが、大学寮の抽選に漏れ、やむを得ず新聞販売店に住み込んだ。六畳一間二人の新聞寮は勉強する環境でなく、やがて独り暮らしを始めたが、独り暮らしは生活費のやり繰りが大変で、奨学金とコンビニのバイトを中心に、W運送の引っ越し手伝いなどで凌いでいたのである。
師走の夜更け、僕はコンビニ祇園店の深夜勤務を命ぜられ四条大橋を急いでいた。冬の京都は観光客も少なく、ネオンの落ちるのも早い。一〇時を過ぎると人通りが途絶え、夜の帳(とばり)が京の街を包む。鴨川を吹き抜ける比叡降ろしが冷たい。僕はダウンジャケットの襟をたてると、周りの景色を一瞥(いちべつ)した。
夜空に雪雲が重くたれ込め、四囲の山々が黒々と迫ってくる。雪を被った比叡の山々が闇夜に白く光り、鴨川が銀色に蛇行している。市街地のビルや家屋や寺院が軒端を接し、冷え込む夜の底で身を寄せ合っている。四条大橋からは千年の古都、京都の市街地が一望できた。
祇園店は花見小路の北側にあって、界隈は老舗の置屋や料亭だけでなく、クラブやスナック、裏通りには居酒屋やラブホテルも進出していた。店は明け方まで酔客や水商売の女たちで賑わうと聞かされていた。
その夜、午前0時を過ぎた頃、豪華な黒毛皮を羽織った女が入ってきた。明らかに水商売風で、毛皮帽を目深に被った女は黙って品物を差し出した。陶器のような白い指にエメラルドの指輪が光っていた。
レジの僕は何気なく毛皮帽の小さな顔を見つめた。アッと驚く声がして見つめ直すと、毛皮帽の女は、眼鏡こそ掛けていないが、バイト先のW運送の女主任であった。会社では無造作に髪を束ね、化粧気もなく、運転手達から『鉄の女』と揶揄(やゆ)されているキャリアウーマンである。
女は明らかに狼狽していた。勘定を済ます時、黙って人指し指を唇に当てた。傍らに脂ぎった中年男がいて男女の気配があった。
女が去った後、僕はしばし呆然としていた。毛皮帽の下の白い瓜実顔、切れ長の目にシャドウーを入れ、唇に艶(あで)やかな紅をさし、W運送の『鉄の女』は妖艶な夜の女に変身していたのである。
W運送は京都市郊外の国道沿いにある古びた配送会社であった。
社長は叩き上げの浪花節親父だったが、これを継いだ元銀行マンの長男がやり手で、手作業の物流をコンピュータでシステム化しようとしていた。そのために中途採用したのが女主任で、彼女は自社の物流を全国ネットに繋いで空荷や無駄走りを激減させた。
営業や配車は社長の同輩が牛耳っていたから、コンピュータ処理する女主任は衝突したと思うが、僕が入った頃は逆らう者はいなかった。それどころか、荒くれ運転手達はイギリスの女首相に譬えて、『W運送のサッチャー』、『鉄の女』と称し、業績を躍進させた女を畏敬していた。
長身でスラリとした女は三〇前でなかったろうか。
無造作に髪を束ね、眼鏡越しにコンピュータを睨み、配送をテキパキ指示する女はキャリアウーマンの先駆であった。いつも地味な黒パンツ姿で、化粧気のない女は、瓜実顔の造作は悪くないのだが、メイクもせず、紅も引かず、女性の色気や媚びが皆無であった。
運転手達は、「ありゃ女やないわ、男は眼中にないもんね、レズやないか」などと陰口をたたいたが、仕事を差配する女には有無を言わせない強さがあった。
仕事中は脇目もふらず集中し、時間が来るとサッサと退社する女は、大卒と言うこともあって、会社の誰からも敬遠されていた。彼女も誰かと懇意になることはなく、女のプライベートな生活は誰も知らなかった。割り切ったクールな態度はいつトラバーユしてもおかしくなかった。
二
祇園店の出来事から暫くして、女から留守電が入っていた。
電話番号を会社で調べたのだろう、事務的に用件を伝えるものであった。
「先だってはどうも・・一寸話があります。金曜の夜七時、河原町のジャズバーKで待っています。無理ならお店に電話を入れてください。よろしく・・」
僕は女の変身に興味があったから、週末で忙しかったが都合を付けて駆けつけた。
Kは有名なジャズハウスですぐに分かった。
高瀬川に面した雑居ビルの地階にあって、階段を下りると年代物の外扉があり、それを開けると玄関スペースに演奏が漏れてくる。ガラス張りの内扉を開けると、ジャズが洪水のように迸る(ほとばしる)。
僕は一瞬馴れない光景に戸惑ったが、カウンターで談笑していた女が目敏く僕を見つけてくれた。女はいつもの通勤着、黒パンツ姿で、ボトル片手に奧のボックス席に案内した。 女は手際よく水割りを作り、僕らは乾杯した。
「邪魔じゃなかった?・・乾杯!」
「君はこんな所好き?」、「ジャズを聴いたりする?」
僕は「初めてです。勉強になります。好みはジャズよりパンクかな・・」
「そうね、最近のジャズは紳士だものね、若者はもっとハングリーで、ガンガンした音がいいかも・・」、「ジャズも本当はハングリーのなのよ、パンクの様に病んではいないけどね・・」
グラスの氷を転がしながら、女はジャズについて蘊(うん)蓄(ちく)した。
「ジャズって、元々奴隷の音楽でしょ。一年に一回、収穫祭かな、クリスマスかな、奴隷が自由になれる日があって、その時、黒人はあり合わせの道具、棒や鍋やドラム缶を叩いて、一挙に自由を取り戻そうとしたの」
「三六五日奪われた自由を一日で取り戻そうなんて凄いと思わない。全てを奪われた者が、全てを一気に取り戻そうとして爆発する、それがジャズなのよ・・」
嵯峨野は竹藪が多い。
女は農家が竹藪の一隅に建てたアパートに住んでいた。竹藪が海のように押し寄せる女の部屋は竹の気配に充ちていた。竹は微かな風にも揺らいだから葉擦れの音が絶えず、風が強まると幹のぶつかる乾いた音が響いた。窓からは緑に染まった竹の精気が流れ込んだ。部屋はいつも竹藪のざわめきと匂いがした。
丹後の海で育った女は、竹藪に惹かれてこの部屋を選んだと言い、
「竹藪は海のようね、光と風で表情が変わるの・・見飽きないわ」と呟いた。竹藪は刻々と変化する光と風を反映して同じ光景にとどまらない。女はジャズを聴きながら日がな竹藪を眺めていた。
女に出会ったのは僕が一九歳の冬で、別れたのは翌年の春、桜の散る頃であった。正味四ヶ月に満たない付き合いで、部屋を訪れたのも数えるほどである。
女の名前や顔は忘れたが、嵯峨野の竹藪とジャズと白い身体は覚えている。今も、哀切な苦しい思いとともに当時のことを思い出す。
一
当時、僕は学費が安いことで有名な京都の私立大学の一年生だった。
僕の家は母子家庭で妹もいたから、国立大学の受験に失敗した僕は、力試しで私立大学に合格していたものの就職するしかなかった。母も就職を望んでいたが、母の兄がそれは惜しいと学費を工面してくれた。学費は将来返す約束で入学したが、大学寮の抽選に漏れ、やむを得ず新聞販売店に住み込んだ。六畳一間二人の新聞寮は勉強する環境でなく、やがて独り暮らしを始めたが、独り暮らしは生活費のやり繰りが大変で、奨学金とコンビニのバイトを中心に、W運送の引っ越し手伝いなどで凌いでいたのである。
師走の夜更け、僕はコンビニ祇園店の深夜勤務を命ぜられ四条大橋を急いでいた。冬の京都は観光客も少なく、ネオンの落ちるのも早い。一〇時を過ぎると人通りが途絶え、夜の帳(とばり)が京の街を包む。鴨川を吹き抜ける比叡降ろしが冷たい。僕はダウンジャケットの襟をたてると、周りの景色を一瞥(いちべつ)した。
夜空に雪雲が重くたれ込め、四囲の山々が黒々と迫ってくる。雪を被った比叡の山々が闇夜に白く光り、鴨川が銀色に蛇行している。市街地のビルや家屋や寺院が軒端を接し、冷え込む夜の底で身を寄せ合っている。四条大橋からは千年の古都、京都の市街地が一望できた。
祇園店は花見小路の北側にあって、界隈は老舗の置屋や料亭だけでなく、クラブやスナック、裏通りには居酒屋やラブホテルも進出していた。店は明け方まで酔客や水商売の女たちで賑わうと聞かされていた。
その夜、午前0時を過ぎた頃、豪華な黒毛皮を羽織った女が入ってきた。明らかに水商売風で、毛皮帽を目深に被った女は黙って品物を差し出した。陶器のような白い指にエメラルドの指輪が光っていた。
レジの僕は何気なく毛皮帽の小さな顔を見つめた。アッと驚く声がして見つめ直すと、毛皮帽の女は、眼鏡こそ掛けていないが、バイト先のW運送の女主任であった。会社では無造作に髪を束ね、化粧気もなく、運転手達から『鉄の女』と揶揄(やゆ)されているキャリアウーマンである。
女は明らかに狼狽していた。勘定を済ます時、黙って人指し指を唇に当てた。傍らに脂ぎった中年男がいて男女の気配があった。
女が去った後、僕はしばし呆然としていた。毛皮帽の下の白い瓜実顔、切れ長の目にシャドウーを入れ、唇に艶(あで)やかな紅をさし、W運送の『鉄の女』は妖艶な夜の女に変身していたのである。
W運送は京都市郊外の国道沿いにある古びた配送会社であった。
社長は叩き上げの浪花節親父だったが、これを継いだ元銀行マンの長男がやり手で、手作業の物流をコンピュータでシステム化しようとしていた。そのために中途採用したのが女主任で、彼女は自社の物流を全国ネットに繋いで空荷や無駄走りを激減させた。
営業や配車は社長の同輩が牛耳っていたから、コンピュータ処理する女主任は衝突したと思うが、僕が入った頃は逆らう者はいなかった。それどころか、荒くれ運転手達はイギリスの女首相に譬えて、『W運送のサッチャー』、『鉄の女』と称し、業績を躍進させた女を畏敬していた。
長身でスラリとした女は三〇前でなかったろうか。
無造作に髪を束ね、眼鏡越しにコンピュータを睨み、配送をテキパキ指示する女はキャリアウーマンの先駆であった。いつも地味な黒パンツ姿で、化粧気のない女は、瓜実顔の造作は悪くないのだが、メイクもせず、紅も引かず、女性の色気や媚びが皆無であった。
運転手達は、「ありゃ女やないわ、男は眼中にないもんね、レズやないか」などと陰口をたたいたが、仕事を差配する女には有無を言わせない強さがあった。
仕事中は脇目もふらず集中し、時間が来るとサッサと退社する女は、大卒と言うこともあって、会社の誰からも敬遠されていた。彼女も誰かと懇意になることはなく、女のプライベートな生活は誰も知らなかった。割り切ったクールな態度はいつトラバーユしてもおかしくなかった。
二
祇園店の出来事から暫くして、女から留守電が入っていた。
電話番号を会社で調べたのだろう、事務的に用件を伝えるものであった。
「先だってはどうも・・一寸話があります。金曜の夜七時、河原町のジャズバーKで待っています。無理ならお店に電話を入れてください。よろしく・・」
僕は女の変身に興味があったから、週末で忙しかったが都合を付けて駆けつけた。
Kは有名なジャズハウスですぐに分かった。
高瀬川に面した雑居ビルの地階にあって、階段を下りると年代物の外扉があり、それを開けると玄関スペースに演奏が漏れてくる。ガラス張りの内扉を開けると、ジャズが洪水のように迸る(ほとばしる)。
僕は一瞬馴れない光景に戸惑ったが、カウンターで談笑していた女が目敏く僕を見つけてくれた。女はいつもの通勤着、黒パンツ姿で、ボトル片手に奧のボックス席に案内した。 女は手際よく水割りを作り、僕らは乾杯した。
「邪魔じゃなかった?・・乾杯!」
「君はこんな所好き?」、「ジャズを聴いたりする?」
僕は「初めてです。勉強になります。好みはジャズよりパンクかな・・」
「そうね、最近のジャズは紳士だものね、若者はもっとハングリーで、ガンガンした音がいいかも・・」、「ジャズも本当はハングリーのなのよ、パンクの様に病んではいないけどね・・」
グラスの氷を転がしながら、女はジャズについて蘊(うん)蓄(ちく)した。
「ジャズって、元々奴隷の音楽でしょ。一年に一回、収穫祭かな、クリスマスかな、奴隷が自由になれる日があって、その時、黒人はあり合わせの道具、棒や鍋やドラム缶を叩いて、一挙に自由を取り戻そうとしたの」
「三六五日奪われた自由を一日で取り戻そうなんて凄いと思わない。全てを奪われた者が、全てを一気に取り戻そうとして爆発する、それがジャズなのよ・・」