カフェ・サニーディサンデー
1.カフェ・サニーディサンデーへようこそ
よく晴れた、八月五日の日曜日。
カフェ・サニーディサンデーではちりちりちりんとひっきりなしに風鈴の音が鳴り続けていた。カウンター席の斜め上にあるテレビからは金属バットから放たれる特有の硬質な球音、氷を電動かき氷機でがりがりと削る音、そして、何台もの扇風機の盛大なモーター音がそれに混じる。
「……ちょっと、うるさくないですか」
ひなたが呟くと、だって、エアコン壊れたんだから仕方ないじゃんとマスターがややげんなりしながら返した。
「頼んだって納品されるの七日間は待つんだしさ、折角だから節電の夏だしひとまずこれで頑張ってみようかと」
風鈴がずっと揺れ続けているのは扇風機の風に煽られまくっているからで、扇風機が最大出力で回っているのは、この猛暑の中エアコンが壊れてしまったからだ。
「いつからなんです?」
「三日前かな。スイッチ入れたら煙吹いて動かなくなっちゃった」
「あー……まぁ……」
このカフェのエアコンは開店するより前からあるもので、かなり年季が入っている。それゆえに燃費も最新のものと比べ相当悪いのだそうで、ひなたがこの店でバイトを始めた去年にも、マスターが随分と節電に頭を悩ませていた姿を見ている。
寒くなる頃には新しいものを買うつもりではあるようなのだが、夏はまだまだ続く。
「この時期カフェに来るお客さんって、涼みに来るの目的な気がするんですけど」
「うん、やっぱりこれ壊れてからあんまりみんな長居していかないよね。新メニューでかき氷は始めたんだけどなぁ……」
その発想それ自体は当たっていて、今日の客のうち半分以上はかき氷を頼んだ。しかし、食べ終わって暫くすると、みんな帰ってしまう。珈琲を何杯もおかわりしながら何時間もだらだら寛いでいく人が多いこの店では珍しい状況だった。いつもなら常に客が何人かはいるのだが、午後二時を回ろうとしている今、店内にはマスターとひなたの姿しかない。しかし、壊れたエアコンと同じぐらい年代物の、こんなことになったのでマスターの自宅の物置から引っ張り出してきたという古い扇風機が何台も稼働しているせいで、いつもならわりと静かなはずのこの空間は今、盛大にやかましかった。その上店内の空気はぼんやりと生温かい。風鈴を外そうかとも思うが、透明感のある音色は鳴りっぱなしでしつこいとはいえ申し訳程度の気持ちの上での涼しさを演出してくれてはいるので、これがなくなったら暑さは余計に際立ってしまうような気もする。
さすがに少しだるいな、とひなたが思い始めた頃。
「はい、ひなたちゃん。シロップはブルーハワイでいい?」
客に出すものよりも倍近くの量真っ白な氷が盛られた器が、ひなたの前にすっと差し出された。ひなたは首を振り、
「あたしはいちご味がいいです」、と返す。ごめんと一言言うと、冷蔵庫からよく冷えたシロップのボトルを二本取り出し、たっぷりと振りかけた。ひなたの目の前の氷は赤く染まっていき、マスターのものは宇治抹茶だろう、深緑色だった。
大盛りのかき氷を勢い良く食べていると、どうしようもない生温かさはだいぶ解消されたものの、時折ずきんと頭を貫くような痛みが走る。
「……さすがにかき氷まで二人前じゃなくていいんですよ、マスター」
いくら自分が大食らいで、マスターがそれをよく知っているとはいえ、普通の食べ物と違って頭をがんがんに冷やしてくれるかき氷まで二倍にされると、頭痛は三割増しぐらいにはなる。
「ごめんごめん。でもこれで暫くは涼しいでしょ?」
そう言いながら、ひなたよりもゆっくりとしたペースで深緑の氷を口に運ぶ彼も、その一口がちょうど効いたらしく、ぐあっと呻って頭を抱えた。
客がひとりもいない生温い店の中、店員ふたりが共にかき氷を食べながら頭を抱えているのはなかなか残念な光景である。間違っても地元情報誌の記者だとかにこんな姿を見られるわけにはいかない。
このカフェ、サニーディサンデーは、知る人ぞ知る隠れ家的お洒落カフェという扱いを地元情報誌などからは受けている。都心部から電車で三駅、郊外の森林公園に程近い住宅地の中にこの店はあるのだが、両隣が空き地で、店自体の敷地もそこそこ広いため、どこかぽつんと孤立したような、ここだけがどこか異質な印象がある。
建物は木造の二階建てで、ログハウス調の作りをしている。建物の周りは葉の大きな木々に取り囲まれている。店舗部分は吹き抜けになっているが窓が少なく、全体的にかなり濃いこげ茶色の木を使用しているためか、深い森を思わせるどこか落ち着いた薄暗さがある。天井には大きな扇風機のプロペラが取り付けられており、そのレトロさも目を引く。店のバックヤード部分の二階が、マスターの自宅スペースだ。
近くにはとある国立大学の文系学部だけが集まったキャンパスがあり、元は常連客であるひなたをはじめ、大学生の客が多い。さほど広い店ではなく、また、落ち着いた雰囲気から、集団で賑やかにおしゃべりを楽しむような学生よりも、ひとりでやってきて本を持ち込んで珈琲や紅茶を楽しみながら、何時間も読書していくような客が目立つ。小さなノートパソコンを持ったサラリーマン風の客や、なんらかの文筆業に就いているのか、ずっとテーブル席で何かの原稿を書き続けている人などもいる。
珈琲、紅茶はそれぞれ何種類か取り揃えており、珈琲をサイフォンで淹れるのがマスターのこだわりだ。それは味がどうこう言うよりも、珈琲が入るまでの視覚的なあれこれがたまらない、という理由に拠るのだそうだが。飲み物も自家製のケーキやアイスクリームも評判がなかなか評判が良い。
また、一度地元夕方ワイド番組のイケメン店員のいる店のようなふざけた企画で取り上げられたことがある程度には、マスターの見目も良い。ついでに言うと、唯一のバイトであるひなたにしても、女性にしてはやや長身でがっちりした体格ではあるものの、長い艶やかな黒髪をポニーテールにまとめ、てきぱきと働く姿はスポーティで清潔な魅力があると言われている。更にマニアックなファンによると、とにかく食べっぷりが良くてそこがかわいい、餌付けしたくなる、とも。勿論本人の耳にそんなことが入るわけもなく、小柄な男性よりは高い身長は本人にとってはややコンプレックスだったりもして、自分の外見が魅力的だなどとはかけらも思っていないのだが。
そしてその最大の特徴は、店名通り、毎週日曜日しか営業していないということにある。天気については別に晴れの日に限らず、雨でも曇りでも雪でも開店するけれど。常連客の中には平日も開けてほしいと願う者は少なくないけれど、マスターが頷くことはない。
作品名:カフェ・サニーディサンデー 作家名:なつきすい