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殿上人よこんにちは

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時は平安。十分に文化が発達していない世である。
その為この頃は未だ人々の間に妖怪や幽霊、そのほか化生の者たちの摩訶不思議な存在が信じられていた。


「破!」

『キシャアアアアア……』

「何事だ!なんで家から出たとたんにこう妖怪にばかり襲われなきゃなんねえんだ!!」


烏帽子を被ってぶつくさ言いながら歩いている一人の青年、吉昌は懐の札を確認した。
残りはまだ十分にある。そして浄化されもう形は残っていないモノが居たところへ目をやった。

吉昌は姓を安倍といい、あの有名な安倍晴明の息子である。吉昌は父親の能力を十分に受け継ぎ、勤め先の陰陽寮でも頭角を現している。
今のように、低級妖怪なら言霊の一つであっという間に塵芥に変えてしまうことすら造作もないのである。

吉昌の住む京は、朝昼は人間の世界だが、逢魔が時を境に夜は妖怪の世界になる。
ここ最近になって異形のものどもは一気に増えてきた。
人は皆、藤原氏が政治の実権を握り、農民を圧迫し私腹を肥やしているために人心が乱れているせいだと言う。
妖怪とは皆、人間の心の闇が作り出したモノだと考えられているのだ。

そんな妖怪を言葉を使って退治する陰陽師、有名なのが吉昌の父晴明を筆頭とする安倍家。そして晴明の好敵手とも言える道満率いる芦屋家だ。
陰陽師といえば聞こえはいいし、民衆からの人望も厚いが朝廷の仕事としては実はそれほど身分が高くない。
陰陽寮を取りまとめる陰陽頭でさえ、律令官制では殿上人の中の最下位の従五位下になる。


「おい、吉昌」

「あ?なんだ親父」

「お前ももう若くないんだからもっとちゃんとせんか…。はあ。良いか吉昌、お前明日から陰陽頭やれ」

「……は?陰陽頭?俺が?兄貴がいるじゃねえかよ。ていうか俺まだ20歳だからな。若いからな。」

「吉平は主計頭やらすから無理」

「いや俺も無理だよ!俺今天文博士もやってんだぞ!死ぬわ!」

「人間そう簡単に死にゃあせんわい!わしが若い頃は天文博士も陰陽頭も主頭もやっとったぞ!いいからとっとと行け!」


これが1か月ほど前の安倍家の食卓の様子である。いつもならだいたい同じ時間に起きて一緒に卓を囲む兄の吉平は早起きして仕事に行ってしまっていた。
因みにこんなやりとりではあるがこのあと本当に正式に吉昌に陰陽頭の任が命ぜられた。


それからである。吉昌が外出する度に妖怪に襲われ始めたのは。


「臨!兵!闘!者!」

『キシャアアアアアア』

「なんだ?陰陽頭になったってだけでこんなに襲われるようになるのか?」


結んだ印を解いた吉昌は苦々しくつぶやいた。そんな吉昌の頭で何かが蠢いた。


「(なんだ!?)」


だがしかし、文字通り頭の上であるので吉昌にはなす術もない。
とっさに印を結びなおすも蠢いているモノは止まらない。そしてついに、反動をつけたような衝撃を感じ、頭の上から気配が消えた。


「やあ」

「………」

「俺飯綱。いきなり落とすなんてひどいねえ」

「い…づな…?」


吉昌はしばし言葉を失った。飯綱といえば管狐とも呼ばれる憑き物で、呪いや占術に使われる式神の一種ではなかったか。
式神の中では低級で、扱いやすく、かけだしの陰陽師が式神としてしばしば使うのを見たことはあるが…。

吉昌は頭をフル回転させながら目の前の妖狐を見た。
憑き物として扱われることが多い為普通の飯綱は手に乗るほど小さいのだが、この狐は飯綱にしては大きい方であると思う。
黄色い毛並みのいい体に、体より長い尻尾がぱたぱたと揺れている。


「…お前、何?」

「はあ?だから飯綱だって…」

「いやそうじゃなくてだな、なんで俺の頭の上に居たんだ?」

「覚えてねえの?こないだお前家を出たら俺が妖怪に襲われたの見て助けただろ?」

「ああ、そういえばそんなこともあったな」


確か陰陽頭に命ぜられた朝だった。家の門を出た目の前の通りで犬のようなモノが低級妖怪に襲われていたのだ。
思い返してみれば、あの日を境によく妖怪に襲われるようになったような気がする。


「その時お前が、俺に向かって『動くな!』って言ったじゃん。俺今まで言霊に縛られて動けなかったんだよね」

「もしかして、俺が動くなと言った時にお前は俺の頭上に居たってのか?」

「いやあ、安倍の次男坊と言えどこんな短期間で言霊の効果が薄れるようじゃまだまだだよなあ」

「はああ?ていうかお前何者だよ!なんで俺の事知ってんだ!」

「だから言ったじゃん、飯綱だって」

「そうじゃねえよ!なんでいち妖狐のお前が俺の事を知ってんだって聞いてんだよ!」


おおそういうことか、自らを飯綱と名乗ったその妖狐は吉昌の目の前でそう言いながらまるで人間であるかのように腰に手を当てた。
なかなか態度がでかいな、こいつ。吉昌は思った。


「お前なあ、安倍晴明って言ったら人間どころか妖怪ですら知らねえやつは居ないんだよ。それはわかる?」

「お、おう」

「そいつに息子が生まれたなんてな、妖怪どもに言わせてみりゃ晴明が分身したのと同じなんだよ。つまり、陰陽師になったお前とお前の兄貴は晴明に並ぶ脅威なんだよ」

「それは・・・俺がいうのもなんだが言い過ぎなんじゃ・・・」

「でも他の同じ歳の陰陽師よりは遥かに実力は上だろ?そういうこと。血筋と実力照らし合わせたら今お前ら兄弟って結構危険なわけ。
だから、お前らが歳食ってもっと実力つける前にさっさと殺しちまおうって連中がいるのさ」

「冗談じゃねえよ」

「まあ冗談ではないわな」

「・・・・・・はあ。だから最近やけに雑魚が群れてるのか・・・。俺はてっきりお前が俺にずっとくっついてたからお前に釣られて雑魚がよってきたのかと思ったぜ」

「逆だよ、逆。雑魚がよってきそうだったから親切な俺は教えてやろうと思ってたっていうこと」

「その割にお前危なかっただろ」

「・・・吉昌、お前、仕事は?」

「お前今明らかに話逸したよな?いや仕事は行くけども!」



それから飯綱は吉昌の近くにいつも居るようだった。ただ、陰陽師でも妖怪を見ることができる者とできない者とが居て、飯綱は普段はそのどちらからも見えないようにしているようだった。
相当な実力者にはその姿が見えてしまうようだが。だがしかし、今陰陽頭を勤めているのが吉昌なので、陰陽寮に吉昌以上の実力を持つ者は通常では考えられない。

あんまり誰にも見つからないものだから、もしかしたら自分は狐に化かされているのではないか。
心配した吉昌は仕事で書架の整理をしている時にこっそり確認してみたのだ。


「おい、居るんだろ。出てこい」


吉昌は誰も居ない空間に小声で呼びかけた。


「あ?」


するり、音もなく飯綱は現れた。現れ方と返事が微妙に合っていない。吉昌はため息をついた。


「お前・・・もっとまともな返事できねえのかよ・・・俺だってもっとまともな返事してると思うぞ・・・」

「いや、お前いつもこんなん」

「まじか」

「ところでなんの用?寂しくなった?」

「いや、お前いつもどこにいるのかなって。姿見えねえじゃん」
作品名:殿上人よこんにちは 作家名:中川環