さよなら、僕の世界
僕との関係が廃れていくほど、彼女は現実を拒否するようになり、本の世界へと没頭していった。まるで僕から逃げるように。
僕は彼女の傍に居る事さえ許されない。まあ、自業自得だけど。
それでも、願わずにはいられなかった。
こんな科白、なにかの本で読んだな。
愛とか恋とか、好きとか嫌いとか、もっと昔はもっと上手く感じ取れたのに。性別の感覚を失って、僕は彼女を傷つけた。たぶん。
ぐるぐると後悔が僕の脳味噌で蠢きまわる。
自転車を降りて、駅まで項垂れて歩いた。前を向いたって、希望も絶望もあったものではない。
目の前で電車の扉がぷしゃーっと閉まる。余計に気分は沈むばかり。
次の電車が二十分後なのを確認した僕は、泣きたくなった。そして彼女に会いたくなった。隣にいるだけでいいなんて嘘を吐くつもりはないけど、彼女に触れたいなんてわがままを言うつもりもない。板挟みの感情の中で、どうしようもない感傷を携え、ぐっと涙をこらえる。
まもなく一番線に、通過電車が参ります。黄色い線の内側まで……。
今の僕が縋るものは、汚く日焼けした両腕に残る傷跡。
それと、本に食い入る彼女の姿。
現実だったものが、風に吹かれ扉に弾かれ、幻想となる。
こんな僕じゃ、彼女に嫌われるのも納得がいくというものだ。
ふらりと立ち上がり、ゆっくり左足で地面を蹴飛ばす。大きく重心が傾いで、右足の着地点を見誤った。蝉の声が、まるで怨念のように耳にまとわりついて、視界を霞ませていく。でも僕はその時確かに、彼女の声を聴いたんだ。
僕の、僕の名前を、呼んでいた。
屈託のない笑顔を惜しみなく僕に向けて、風に揺らぐ花のような声で、この僕のことを、僕だけのことを、呼んでいた。
「我慢しないでいいんだよ、泣いていいんだよ」
そう言って、笑って、おいでって、僕の名前を呼んで。
たとえ夢でもいい、飛び込みたい。
「ごめんね、僕、ずっとずっと君のこと傷つけて、ごめんね」
わなわなと震える覚束ない唇で紡がれていく「ごめんね」は、彼女に伝わっただろうか? 本に囲まれて、僕の名を呼んで、優しく微笑む彼女に、ちゃんと伝わっただろうか?
「ほら、早くしないと置いてっちゃうよ」
悪戯にころころと笑う。この笑顔に揺らめかない人などいないはずだ。彼女は可愛いし美しい。まるで本の妖精みたいに、僕をあの図書室へと誘う。
足を滑らせるように、彼女の胸へと飛び込んだ。
そして僕の見ゆる君とゆう未来は永久に光る。