コスモス
コスモス
桜の蕾が紅く膨らみ始めた頃である。珍しく母が電話をしてきた。
「・・こないだ、弟が亡くなったんよ。長いこと連絡が取れなんだけど、一人娘のユキちゃん、知ってるかな?あの子が連絡してくれた。弟は嫁さんと別れたとかで、ユキちゃんが喪主を務めた。」
昔会ったことがあると思うが、Kは叔父さんもユキちゃんもよく覚えていない。
「葬式言うてもな・・無宗教とかで、位牌はないし、坊さんはおらんし、念仏もあらへん。・・花と棺があるだけで、弟が好きやった洋楽が流れ、夕焼けのスライドが映された。散骨するとかで、それが弟の希望らしいんやが、あんな侘びしい、けったいな葬式は初めてや。」
叔父さんが亡くなって、母は田舎の墓を思い出すのであろう。
「弟が実家を処分した時、墓も永代供養した言うてたけど、母ちゃんは長いこと墓参りしてへん。こないだも、爺ちゃんが夢に出てきた。・・参りたいんやけど、知ってのとおり、死んだ父ちゃんが田舎に迷惑かけとるやろ、母ちゃんは帰れんのや。」
「・・その点、お前のことは誰も知らん。孫のお前が墓参りしてくれたら、爺ちゃん、婆ちゃんも喜ぶと思うんや。母ちゃんの代わりに墓参りしたってえな、頼むわ。」
頼み事をした母は喜ばそうと思ったのだろう。
「そやそや、弟の形見に上等のカメラをもろうて来たで。写真好きのお前の役にたつかも知れん。送るから、使うなり、売るなり、好きにしてくれたらエエ。」
しばらくして、頑丈なカメラケースが届き、名機と称される一眼レフが入っていた。早速カメラは愛用したが、母の頼みは放置していた。盆過ぎに母から電話があり、Kは日本海に面するS町の母の実家の墓参りに出かけたのである。
一
実家の菩提寺は分かったものの、墓参りはよく似た墓名が多く手間取った。
墓参りを済ませると、Kはせっかくだからと砂丘まで足を伸ばした。遺品の一眼レフで砂丘を撮ろうと思ったのだが、駐車場でうたた寝してしまった。
どれくらい眠っただろうか。夏が終わったとはいえ、九月の陽射しはまぶしい。差し込む西日に眼を覚まし、しばらくボンヤリしていた。
前方の砂丘で何やら白く揺らめいている。誰かが手を振っているようであり、クルクル舞っているようでもある。今頃、何をしているのだろう?
Kはおもむろに一眼レフを取り上げた。ズッシリした重み、たしかな手応え、クールなシャター音、何もかも気に入っている。焦点を合わせてズームを絞ると、日傘を差す女が現れた。顔は傘に隠れて分からないが、白いスカ-トがリズミカルに揺れている。真っ直ぐ伸びる脚、華奢なつま先、砂の感触を楽しむように歩いている。バレリーナを思わせる優雅なステップである。
傾きかけた太陽、陰影を強める砂丘、稜線の明暗をなぞる女・・絵になる!Kはシャターを押そうとした。その瞬間??女が視界から消えてしまった。
狐に摘まれるK。・・何のことはない、女が急斜面に転落したのである。
しばらくして、傘を杖に仁王立ちの女がレンズに映った。暗い斜面を背景に、白いワンピースが鮮やかである。アップの顔は細面で、口をへの字に結んでいる。怒っているようであり、思案しているようでもある。いけるぞ!Kはシャッターを押した。
その時、女は斜面を上がったものか、降りたものか、迷っていたのである。突然、バスセンターから大音量の放送が流れた。
「最終バスが出発します。お客様はお急ぎ下さい。」
平日で観光客もなく、予定より早い終バスである。これを耳にするや、女は急斜面を下りだした。最初は足を取られていたが、そのうち広げた傘を巧みに使って、パラシュートで滑降するようにフワッ、フワッと降りていく。バランス感覚が良いのだろう。それは闇夜にヒラヒラ舞う蝶、羽根を広げて舞い降りる鶴のようである。Kは立て続けにシャッターを押した。
あっと言う間に、女は暗いすり鉢状の底に降りたった。眼前に砂山が立ちはだかっている。どうするかと思いきや、女は深呼吸をすると傘をピッケル代わりに、猛然と登りだしたのである。髪を振り乱し、息を切らし、全身でアタックする様は雪山を駆け上る白豹を思わせた。
どれくらい砂山と格闘していただろう。女が頂上に立ったときである。何と!『蛍の光り』が終わりバスが走り出した。何やら大声で叫ぶ女、無情にも遠のくバス。地団駄踏み、傘を振り廻す女は、優雅に砂丘をたどっていた女と別人のようである。面白い!Kは慌てて車を発進させた。
西日が真っ直ぐ女の後ろ姿を照らしていた。
乱れたショートカット、墨絵風のモダンなワンピース、なで肩にショルダーバックが食い込んでいる。バスに乗り遅れてどこへ行くのだろう。Kはスピードを落として声をかけた。
「どこへ行かれるんですか?・・終バスは出ましたよ。」
女は傘を引き摺り、肩を落として歩いている。
「良かったら、最寄りの駅まで送りますよ。」
黙々と歩く女は振り向きもしない。
「こんな所、タクシーも通らないし、暗くなると危険ですよ。」
チラッとKを見やった。お前こそ危険だろうと言いたげな目付きである。Kはめげずに声をかけた。
「そろそろ日没で、夕焼けはサイコーですよ。」
突然、女が立ち止まった。Kも慌てて車を止めた。西日が眩しいのだろう、女は目を細めている。切れ長の眼に睫毛が濃い。
「天国みたいな夕焼け、見えるかしら?」
天国みたい?不思議に思ったが、即座に応えた。
「今日の夕焼けはサイコーですよ。あそこまで行けば天国のような夕陽が拝めますよ。」
突き出た夕焼け岬を差しながら、Kは当てずっぽに言った。腕組みした女は寝そべったトドのような岬を眺めている。
「間に合うかしら・・」
「大丈夫ですよ!どうぞ!」
満面の笑みでKは助手席を開けたが、女は黙って後部座席に乗り込んだ。
二
ミラーに映る女はどことなく物憂げであった。
疲れているのか、想いに沈んでいるのか、それとも警戒しているのか。話しに乗ってくる素振りを見せない。後部座席に身を沈めたまま、暮れなずむ車窓をジッと見ている。会話を諦めたKは、日没に間に会うように車を急がせた。
夕焼け岬に人影はなかった。
広大な空と海が魚眼レンズ状に広がっている。湾曲する水平線に金色の太陽が沈もうとしていた。放射する夕陽がたなびく雲を、ある部分を白光させ、ある部分を影らせている。暮れなずむ海原を真っ直ぐ黄金の光道が走っている。消し炭のような漁船が光道の海を横切っていく。今まさに、無窮の空と海を舞台に壮大な落日のドラマが始まろうとしていた。
夕陽に染まった女の影が深い。Kは満足げに呟いた。
「夕陽ですよ。・・巨大な夕陽の葬送ですよ。」
葬送?女は怪訝な表情をみせた。
「・・見てきます。」
桜の蕾が紅く膨らみ始めた頃である。珍しく母が電話をしてきた。
「・・こないだ、弟が亡くなったんよ。長いこと連絡が取れなんだけど、一人娘のユキちゃん、知ってるかな?あの子が連絡してくれた。弟は嫁さんと別れたとかで、ユキちゃんが喪主を務めた。」
昔会ったことがあると思うが、Kは叔父さんもユキちゃんもよく覚えていない。
「葬式言うてもな・・無宗教とかで、位牌はないし、坊さんはおらんし、念仏もあらへん。・・花と棺があるだけで、弟が好きやった洋楽が流れ、夕焼けのスライドが映された。散骨するとかで、それが弟の希望らしいんやが、あんな侘びしい、けったいな葬式は初めてや。」
叔父さんが亡くなって、母は田舎の墓を思い出すのであろう。
「弟が実家を処分した時、墓も永代供養した言うてたけど、母ちゃんは長いこと墓参りしてへん。こないだも、爺ちゃんが夢に出てきた。・・参りたいんやけど、知ってのとおり、死んだ父ちゃんが田舎に迷惑かけとるやろ、母ちゃんは帰れんのや。」
「・・その点、お前のことは誰も知らん。孫のお前が墓参りしてくれたら、爺ちゃん、婆ちゃんも喜ぶと思うんや。母ちゃんの代わりに墓参りしたってえな、頼むわ。」
頼み事をした母は喜ばそうと思ったのだろう。
「そやそや、弟の形見に上等のカメラをもろうて来たで。写真好きのお前の役にたつかも知れん。送るから、使うなり、売るなり、好きにしてくれたらエエ。」
しばらくして、頑丈なカメラケースが届き、名機と称される一眼レフが入っていた。早速カメラは愛用したが、母の頼みは放置していた。盆過ぎに母から電話があり、Kは日本海に面するS町の母の実家の墓参りに出かけたのである。
一
実家の菩提寺は分かったものの、墓参りはよく似た墓名が多く手間取った。
墓参りを済ませると、Kはせっかくだからと砂丘まで足を伸ばした。遺品の一眼レフで砂丘を撮ろうと思ったのだが、駐車場でうたた寝してしまった。
どれくらい眠っただろうか。夏が終わったとはいえ、九月の陽射しはまぶしい。差し込む西日に眼を覚まし、しばらくボンヤリしていた。
前方の砂丘で何やら白く揺らめいている。誰かが手を振っているようであり、クルクル舞っているようでもある。今頃、何をしているのだろう?
Kはおもむろに一眼レフを取り上げた。ズッシリした重み、たしかな手応え、クールなシャター音、何もかも気に入っている。焦点を合わせてズームを絞ると、日傘を差す女が現れた。顔は傘に隠れて分からないが、白いスカ-トがリズミカルに揺れている。真っ直ぐ伸びる脚、華奢なつま先、砂の感触を楽しむように歩いている。バレリーナを思わせる優雅なステップである。
傾きかけた太陽、陰影を強める砂丘、稜線の明暗をなぞる女・・絵になる!Kはシャターを押そうとした。その瞬間??女が視界から消えてしまった。
狐に摘まれるK。・・何のことはない、女が急斜面に転落したのである。
しばらくして、傘を杖に仁王立ちの女がレンズに映った。暗い斜面を背景に、白いワンピースが鮮やかである。アップの顔は細面で、口をへの字に結んでいる。怒っているようであり、思案しているようでもある。いけるぞ!Kはシャッターを押した。
その時、女は斜面を上がったものか、降りたものか、迷っていたのである。突然、バスセンターから大音量の放送が流れた。
「最終バスが出発します。お客様はお急ぎ下さい。」
平日で観光客もなく、予定より早い終バスである。これを耳にするや、女は急斜面を下りだした。最初は足を取られていたが、そのうち広げた傘を巧みに使って、パラシュートで滑降するようにフワッ、フワッと降りていく。バランス感覚が良いのだろう。それは闇夜にヒラヒラ舞う蝶、羽根を広げて舞い降りる鶴のようである。Kは立て続けにシャッターを押した。
あっと言う間に、女は暗いすり鉢状の底に降りたった。眼前に砂山が立ちはだかっている。どうするかと思いきや、女は深呼吸をすると傘をピッケル代わりに、猛然と登りだしたのである。髪を振り乱し、息を切らし、全身でアタックする様は雪山を駆け上る白豹を思わせた。
どれくらい砂山と格闘していただろう。女が頂上に立ったときである。何と!『蛍の光り』が終わりバスが走り出した。何やら大声で叫ぶ女、無情にも遠のくバス。地団駄踏み、傘を振り廻す女は、優雅に砂丘をたどっていた女と別人のようである。面白い!Kは慌てて車を発進させた。
西日が真っ直ぐ女の後ろ姿を照らしていた。
乱れたショートカット、墨絵風のモダンなワンピース、なで肩にショルダーバックが食い込んでいる。バスに乗り遅れてどこへ行くのだろう。Kはスピードを落として声をかけた。
「どこへ行かれるんですか?・・終バスは出ましたよ。」
女は傘を引き摺り、肩を落として歩いている。
「良かったら、最寄りの駅まで送りますよ。」
黙々と歩く女は振り向きもしない。
「こんな所、タクシーも通らないし、暗くなると危険ですよ。」
チラッとKを見やった。お前こそ危険だろうと言いたげな目付きである。Kはめげずに声をかけた。
「そろそろ日没で、夕焼けはサイコーですよ。」
突然、女が立ち止まった。Kも慌てて車を止めた。西日が眩しいのだろう、女は目を細めている。切れ長の眼に睫毛が濃い。
「天国みたいな夕焼け、見えるかしら?」
天国みたい?不思議に思ったが、即座に応えた。
「今日の夕焼けはサイコーですよ。あそこまで行けば天国のような夕陽が拝めますよ。」
突き出た夕焼け岬を差しながら、Kは当てずっぽに言った。腕組みした女は寝そべったトドのような岬を眺めている。
「間に合うかしら・・」
「大丈夫ですよ!どうぞ!」
満面の笑みでKは助手席を開けたが、女は黙って後部座席に乗り込んだ。
二
ミラーに映る女はどことなく物憂げであった。
疲れているのか、想いに沈んでいるのか、それとも警戒しているのか。話しに乗ってくる素振りを見せない。後部座席に身を沈めたまま、暮れなずむ車窓をジッと見ている。会話を諦めたKは、日没に間に会うように車を急がせた。
夕焼け岬に人影はなかった。
広大な空と海が魚眼レンズ状に広がっている。湾曲する水平線に金色の太陽が沈もうとしていた。放射する夕陽がたなびく雲を、ある部分を白光させ、ある部分を影らせている。暮れなずむ海原を真っ直ぐ黄金の光道が走っている。消し炭のような漁船が光道の海を横切っていく。今まさに、無窮の空と海を舞台に壮大な落日のドラマが始まろうとしていた。
夕陽に染まった女の影が深い。Kは満足げに呟いた。
「夕陽ですよ。・・巨大な夕陽の葬送ですよ。」
葬送?女は怪訝な表情をみせた。
「・・見てきます。」