アーク2-2
「そう。陽極、魔力炉も併設されているな。陽極というのは、魔力が循環する際の陽、流れ出る側のことだ。平たく言えば魔力が湧き出る泉のようなものだな。世界樹が生成した魔力は、この地球の内部に蓄えられて、ある地点から地表に放出される。それが陽極だ。もちろん陰極もある。魔力は陰極を通って世界樹に戻ると考えられているんだが、安定した大きな陰極はまだ発見されていないんだ」
「陰極……」
「採取された魔力は、併設されているあの魔力炉で」アークの丸っこい手が件の塔を指す。「鉱物などに付加されて、魔石やオリハルコンといった加工物、神器を生産しているんだ」
「ま、魔石ねぇ」
「魔石はまあ、魔力の電池みたいなものだな。魔力を蓄えておけるし、石に術を刻めば特定の形でエネルギーを放出することも出来る。魔法少女のホーキだって、飛行魔石を使って飛んでいるんだぞ」
「ひこうませき、ね……」
聞きなれない言葉に、ベルは間抜けのように鸚鵡返しするしか出来なかった。
ポン、とアークが手を打った。
「ああ、なるほど。この隅っこの四角があの第五陽極を指しているのか」
「分かったの?」
「ああ、うーん、いや……」アークは地図を苦い顔をしてにらんでいたが、「とりあえず現在地が分かったんだから、このまま進めば目的のポイントも自ずと分かるだろう」
そう言って、また先へ飛んで行った。
ベルは、陽極の方を見つめたまま、滞空していた。
ベルが来ないことに気付いたアークが、振り返った。
「おい、何してんだ。早く行こうぜ」
「あの陽極っていうやつ。魔力が湧いてきてるんでしょ?」
「そうだけど?」
「つまりあそこには、魔力があふれているわけでしょう?」
「まあ、そうなるな」
アークはぽかんとしていた。
「あそこからちょっと拝借すれば、一気にノルマ終了じゃない!」
「はあっ?」
アークは驚いて大声を上げた。
「今日は早く寝たいし、ちょっとあそこからいただいちゃおう」
悪いのは、昨日寝床を用意しなかったユノであることだし。
「テメッ、なんでっ、そーいうこと思いつくかなぁ?」アークは顔を真っ赤にして怒った。「それじゃなんの意味もないだろうが! それにお前そういうの、窃盗っていうんだぞ!」
「バレやしないわよ」
「バカ言うな!」
「よっし、行くわよ!」
言うが早いか、ベルは陽極へ進路を向けた。
「やめろバカ、陽極は作業員以外、天使だって立ち入り禁止なんだぞ!」
後ろでアークが怒鳴るが、ベルは気にせず全速力で飛んだ
景色が激流のように流れて行く。
陽極は見た目よりも遠かった。視界の中にあるというのに、ソージキの全速でも「ひとっとび」とはいかない。想像した以上に巨大だということだ。
土色の平原の中に忽然と鉛色の地面が広がった。その上に同じく鉛色の、妙に角ばった建物の群れが現れる。陽極の敷地内に入ったのだ。
鉛色の広がりは、ざっと見ただけでも今朝の街と同じか、それ以上はあるだろう。碁盤目状に整然と並ぶモノクロの街並みは、完全な美しさを備えてはいたが、逆に積み木で出来た街のように生活感が無かった。広大な空間の中で、しかし生き物の気配は全くしない。鳥の一羽も飛ばない空、人の影すらない道路、淡々と続く白黒の街。まるで誰かの白昼夢の中にに迷い込んでしまったかのよう。
無数の建物の中に、一際大きく伸びる巨大な塔があった。空から見てもまだ見上げるほどの大きさだ。その突端からは時折蒸気が吹き出ている。塔の途中にまとわり付く白いもやは、おそらく雲だろう。つまり、この塔は雲よりも高いのだ。旧世代にあったという、伝説の「バベルの塔」を彷彿とさせる。これがアークの言っていた、魔力炉なのかもしれない。
巨大な塔の程近く、この四角い森の中で唯一丸みを持つドームがあった。塔には及ばないものの巨大で、やはり鉛色をしていた。表面に幾重にも継ぎ目が走っているのが見える。そして、ドームの表面には、このモノクロの街で唯一、ケバケバしい赤色で、大きく文字が書かれていた。「第五陽極」と。
「バカやろう! 見つかったら懲罰どころじゃすまないぞ!」
ようやくアークが追いついてきた。見習い天使では、ソージキの最高速度に敵わないらしい。
「なんなの、この不気味な場所は」
「だから言ったろう、陽極だ」アークは首を捻った。「……おかしいな。警備の天使はどうしたんだ?」
「警備って言ったって、誰かいるような雰囲気じゃないわよ。 誰もいないんじゃないの?」
ゴーストタウンとしか思えないような様相であるが。
「そんなバカな。陽極に魔獣でも侵入したら、それこそ一大事なんだぞ」
アークは辺りを見回した。
そのとき、地の底から、うなり声が響いた。
「アアアアアィィィィ……アアアアアァァァァスゥ……」
低くかすれたそのうなり声は、大気を震わせ、鉛の街を震わせる。鉛色の塔が音叉のように振動し始め、四角い森の木々が共鳴して、音を乱反射させる。街全体が一つの生き物であるかのように。
「何なの、この音は!」
不安に駆られて、ベルはソージキのホースにしがみついた。
「アアアアアアアァァィィィィ……アアアアァァァァ……」
街のあちこちから音が発せられているようにも聞こえる。振動がソージキにも伝わり、ホースを握る手まで震えた。
「あれか!」
アークが彼方を指差した。
示す先。鉛色の街のはずれに、大きな黒い塊が見えた。
それは四肢を持ち、四つんばいで、上向きの鼻と2対の牙を持っていた。黒色の体毛が風になびき、黒い炎が揺らめいているようにも見える。それは突然走り出すと、山の陰の中へと消えていった。走り方からして、猪の類のようだが、それにしては巨大すぎた。距離がありすぎて正確な大きさはわからいが、乗り合い馬車くらいの大きさはありそうだった。
魔物の影が見えなくなると、潮が引くように、うなり声もかすれ消えた。
「奴を狩る!」
アークは蒼い雷光を身に纏いながら言った。
「ちょっ、正気?」
「警備の天使がいないんだ、俺たちがやるしかない!」
「あんたちゃんと脳みそ入ってんの? あんなのと戦ってたら命がいくつあっても足りないって!」
「陽極に魔物を近づけるわけにはいかない!」
ベルの制止も聞かず、アークは弾丸のように飛び出していった。
「でも、あれは……」
言いかけて、ベルは止めた。言おうとしたことが、ありえない事の様に思えたからだ。頭を振ると、アークの後を追って飛んだ。
ベルは、地を震わせたあの声が、女のそれであるような気がしていたのだ。