私を殺しに来る男
私は恐怖と痛み、そして身を守らなければならないという本能から叫び声を上げた。半ばパニック状態になりながらも、私は逃げずに応戦した。ギリギリわずかに残った理性が私に訴えかける。もしもここで自分が逃げたら、残された妻は、娘は、息子はどうなる。家族を守るのだ、なんとしても。私はリビングにあるテーブルを思い切り男の方へ押し倒し、男が怯んだと見て次は、これまたリビングにあるイスを男に向かって振り回した。
「おおおおおお!」
私は再び叫ぶと、家族に危害を加えさせてたまるものか!と、イスを振り回した。イスがリビングの中の色々なものに当たり、飾りの小物や本などが部屋に散乱した。その時、キッチンから妻と娘が現れた。
「逃げろ!異常者だ!見ろ!刃物を持ってるぞ!早く逃げろ!」
声の限りに私が叫ぶと、妻は言った。
「まあ、あなた、お客様がいらしてるのにこんなに散らかして」
「違う!見ろ!おれの手を!この血を!これはこの男にナイフで刺されたんだ!」
すると妻は男に向かって言った。
「すいませんねこんなに散らかっていて・・・あぁ、そちらにおかけになってて下さいね。今お茶をお出ししますから」
男に向かってニコニコと愛想笑いしながら言うと、私の方に向き直って続ける。
「あなた、私はお茶をお出ししますから、あなたは少しこの部屋を片付けて下さいね。ほら、裕子、あなたもママのお手伝いしなさい」
「はーい、ママ」
娘は素直に従った。
「おい良美!裕子!この状況を見ろ!こいつは客なんかじゃないんだ!」
私は必死で叫んだが、妻と娘はそのままキッチンへと行ってしまった。一体何が起きているんだ。本当にこの状況を理解できないのか?私は唖然として、こんな危機的状況にも関わらず一瞬ぼーっとしてしまった。それがまずかった。その一瞬の油断で、男は私の手に持っているイスを奪い取り、遠くに投げた。唯一の武器を、私は失ってしまったのだった。男は私に向けて刃物を突いてくる。手で防御したところで、サクサクと私の手に刃物の切り傷がついていくだけだった。生まれてから一度も体験したことのないような恐怖だった。しかし、それは奇跡と言っていいだろう、私はついに男の刃物を持つ手をつかむことに成功したのだった。男は私の手を振り解こうとするが、刃物を持つ手をつかんでいることこそが私の生命線なのだ、当然私も離してなるものかと必死だ。その体勢で男を振り回したり、蹴りを入れたり、必死で抵抗した。こうして男ともみ合っているうちに、しかしついに私は男に組み敷かれてしまった。20代~30代と思しき男は、40代の私よりも体力で上回っていた。そして男は私に馬乗りになると、無表情に私を見下ろした。絶望が心をよぎった。
「助けてくれ!助けてくれ!」
必死で叫んだ。男に懇願しているわけではない、妻と娘、息子に向かって、必死で叫んでいたのだ。その時、ついに希望が訪れた。リビングのドアが開くと、息子が入ってきたのだった。
「もう、テスト勉強しているのに、なんだよどたばたと」
私が組み敷かれているのを見ているのに、のんびりと息子は言った。
「助けてくれ隆志!助けてくれ!」
声の限りに私は叫んだ。
「もう、分かったよ父さん」
助かった!ギリギリだったが助かった!高校生の息子と私の二人がかりであれば、この状況もなんとかなるだろう!息子を危険にさらすことへの罪悪感もあるが、今まさに殺されようとしている状況で、助かりたい気持ちの方がより強かった。すると息子は何を思ったか、散らかっている部屋を片付けはじめた。
「おい!何をしてるんだ隆志!助けてくれ!」
私は叫ぶ。
「何してるんだって、部屋の片付けを手伝っているんじゃないか」
「そういうことじゃないんだ!この男をなんとかしてくれと・・・」
私がそこまで言うと、男がついに刃物を私に向かって振り下ろした。ザクリ。深々と刃物が私の胸部に刺さる。急所はわざと外したのか、外れたのか、ともかく私はまだ生きていた。
「隆志見ろ!刃物で刺してきている!助けてくれ隆志!」
男は相変わらず無表情に、しとめることを止めるでもなく焦るでもなく、次はどこに刺そうかと選んでいるようだった。隆志はのんびりと答えた。
「もう、父さんこそ片付けるの手伝ってくれよ、お客さんいるのにこんなに散らかってるんだから・・・」
隆志は男との格闘によりリビングに散乱しているゴミや小物などをせかせかと片付けている。そこへ妻と娘が現れた。
「お待たせしました。お茶が入りましたのでよろしければ・・・ほら隆志、裕子、テーブルを起こして」
「はーいママ」
男はザクザクと私に刃物を突きたてる。一回、二回、三回・・・ザクザクザク。
「助けてくれ良美・・隆志・・・殺される・・・ころされ・・」
いそいそと部屋を片付ける息子、テーブルにお茶とお茶菓子を運んでくる妻と娘。
「すいませんね何もお構いできずに・・・さあさ、お座りになって下さいなお客様」
男は無表情なまま、リズミカルに私をめった刺しにしていた。ザクザクザク。ザクザクザク。
完