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神さま、あと三日だけ時間をください。~SceneⅡ~

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「あの紅い小さなアザ。ミュウの胸に散った花びらのような斑点は―」
 美海はハッとしてシュンを見た。
 だが、シュンはうつむき加減で話しているため、その表情までは見えない。いつもちゃんと視線を合わせて話をする彼には極めて珍しいことだ。よほど話しにくい内容なのだろう。
 とはいえ、この問いに美海が応えられるはずもない。美海は唇を噛みしめた。
 もしここでシュンの納得できる応えを出さなければ、もう彼と逢うこともないだろう。でも、それは致し方のないことでもある。
 家庭を持ちながら、若い男と〝不倫〟―美海自身はあまりこの言葉を使いたくないが、世間から見れば、そう言われても当然だ―するだなんて、長続きするはずがないのだ。
 美海が静かな覚悟を決めていた時、シュンが突然、言った。
「いや、良いんだ。何を馬鹿なことを言ってるんだろうな、俺」
 事実を明らかにして、これで終わりにするよりは、不透明な部分を残しておいた方がよほど良い。
 その刹那、美海はシュンの声なき声を聞いたような気がした。その気持ちは美海も全く同じであったからだ。

 美海がシュンのアパートを出たのは午後二時を回っていた。
 シュンの車で再び駅まで送って貰う。下りのプラットフォームに立つと、夏の午後の海が蒼く輝いていた。今日も前に逢ったときのように、大きな入道雲が水平線の彼方にひろがっている。まるで巨大な綿菓子が並んでいるようだ。
 ふと振り返った拍子に、背後に立つ駅名を記した看板が眼に入り、美海は眼を見開いた。
 どの駅でも見かける駅名が二人の真後ろに掲げられている。人がやっと数人座れるほどの簡素な木製のベンチがあり、その周囲を囲うように屋根がついている。駅名はベンチの背もたれの真上についていた。
―切別(きりわけ)
 当然ながら、上りと下り方向の次駅の名前も左右に記されていた。
「珍しい名前なのね」
 最初、シュンは美海の言葉をうまく解せなかったようだった。小首を傾げ、それから、彼女の視線を辿って初めて、なるほどというように頷いて見せた。
「ああ、これね。結構珍しいだろ、よく雑誌やテレビ番組の〝全国の珍しい駅名〟特集なんかに取り上げられるんだ」
 やはり自分の暮らす町のせいか、少し誇らしげに言う。
 美海は肩から下げたショルダーバッグを開け、携帯を出した。一枚、写真に撮っておく。
 それからふと思いついた。
「シュンさん、一枚だけ撮りましょう」
 〝切別〟と大きく記された駅名を背景に、二人並んだ。
「良いかい? ワン、ツー、スリー」
 シュンが携帯のレンズを自分たちの方に向け、シャッターを押す。シャッター音がして、小さな画面に撮ったばかりの画像が映った。
「こんな感じで良い?」
 〝切別〟の字もちゃんと判るように入っている。写真の中のシュンと美海は確かに十七歳も歳の差があるようには見えない。自分で言うのも何だけれど、それなりに似合っているカップルのように思えた。
「この地名には何か由来があるとか?」
 興味を引かれて訊ねると、シュンは少しの躊躇いを見せてから、こんな話をしてくれた。
「ここから少し行った先に岬がある。その真下に三つの岩が並んでいて、大きな岩二つが小さな岩をはさむような格好で並んでいる。この辺りでは誰でも知っている伝説だよ」
 話はまだ日本が〝古事記〟に登場するような神話時代にまで遡る。二人の男神(おがみ)が美しい女神を相争った。女神はどちらの雄々しい男神をも愛していて、どちらか一人に決められなかった。
 そんな時、二人の男神が女神に妻問いした。求婚された女神は絶望の果てに、海に身を投げて死んだ。愛する女が自分たちのせいで死んだことを嘆き哀しんだ男神たちもまた恋人の後を追うように身を投げて死んだ。
「その海に消えた三人の神たちが岩となったのだと伝えられているんだ」
 シュンはそう話を締めくくった。
 切別という地名は、そこから来ているらしい。
「哀しい話ね」
 美海は遠い神世の昔、繰り広げられた壮絶な愛の闘いに想いを馳せた。二人の男神のどちらをも選べなかった女神の哀しみ、自分たちの烈しすぎる愛が愛する女神を死なせてしまったのだという男神たちの嘆き。
 胸が切なくなるような話だ。
 美海が黙り込んだのを見、シュンは心配そうに言った。
「この駅名をミュウが気に入っているみたいだったから、俺も話そうかどうか迷ったんだ。やっぱり、言わない方が良かったかも」
 シュンは午後の陽射しを反射する海を眩しげに眺めている。
「実際、切別っていう地名が縁起悪いっていうんで、恋人たちには敬遠されている駅なんだ。M町も遊泳禁止になるほどキレイな海があるんだし、何とか観光地としてもっと集客できないかなと躍起になってるんだけどね。この切別岬の伝説が有名なだけに、かえって邪魔になってるというのが皮肉な現状さ」
 その話は何故か、美海の心に礫(つぶて)のように投げ入れられ、深く深く沈んでいった。
 何故か不吉な予感がしてならなかった。
 シュンと自分もいずれは切別岬の男神と女神たちのように、儚く別れるしかないのだろうか?
 想いに浸っている美海の耳をシュンの声が打つ。
「今度の土曜日、I町に行かないか?」
 美海はふいに飛び込んできた言葉に、現実に引き戻される。
 コンドノドヨウビ、アイマチニイカナイカ?
 まるで、その言葉だけが見知らぬ異国の言葉のように非現実的な響きを伴って聞こえた。
 美海が何か言おうとしたのと、下り線から小豆色の電車がすべり込んできたのはほぼ時を同じくしていた。
 急がなければ、列車はすぐに発車してしまう。これに乗り遅れたら、また一時間待ちぼうけだ。
「突然、押しかけてきたのに、今日は本当にありがとう」
 美海は早口で言い、電車に乗り込んだ。
「またメールするよ」
 シュンは美海が返事しなかったことには触れず、笑顔で手を振った。
 電車が動き出す。シュンはまだ、その場に立ったままだ。列車はあっというまに速度を上げて遠ざかり、プラットフォームに立つシュンの姿は見えなくなった。
 それでも、美海はまだ窓際の席に座ったまま、顔を車窓に押しつけるようにして外を見ていた。
 今度、逢えるのは何時?
 それとも、もう彼とは二度と逢えない?
 様々な想いが交錯していった。
 大好きな男の住む町が遠くなってゆく。
 三両編成の鈍行列車は平日の昼下がりとあってか、殆ど乗客の姿は見られない。美海は窓ガラスに額を押し当て、瞼から消えないシュンの面影だけを見つめていた。