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やさしい犬の飼い方(仮)

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 男はモッズコートにパーカーにジーンズにスニーカーという非常にシンプルな恰好で、財布を持ってはいたが中には三十二円しか入っていなかった。身分証やクレジットカードの類いもない。ツタヤのレンタルカードすらない。あるとすれば署名欄のない、どっかの店の会員証っぽいカードが数枚挟まっていただけだった。
 そんな男は今、テーブルの前にちょこんと座り、ニコニコしながらこっちを見ている。テーブルの上には空になったコップが一つ。勝手に転がり込んできた人間にお茶まで出してやった俺、偉い。
 見たところ、年齢は俺と同じくらいに思えた。笑うと何となく年下にも思えるが、そうすると未成年ということになってしまう。未成年があんな深夜の繁華街を一人でウロウロしているなんて……まぁ、あり得ないことではないけれど、あまり健全ではない。
 とりあえず、コミュニケーションを取ってみることにした。
「お前の名前は?」
 初対面の相手に訊ねることといえばこれだろう。男は視線を空中にさ迷わせてうーんと唸った後、変なことを言い出した。
「名前ねー……好きなのつけてよ」
「は?」
「だって俺、ご主人様に拾われたんだし」
 男は笑顔で言った。俺は拾ったつもりなんか全くなくて、むしろ勝手についてこられた感じだったんだけど?つーか、ご、って……。
「……嫌だよ気持ち悪い。何のプレイだ」
 俺は思わず苦い顔をした。
「えー、いいじゃねーか冗談通じねーご主人様だな」
「そのご主人様っての止めろ」
 このまま放っておいたら人前で俺のことをご主人様と呼びかねない。数分前にあったばかりの相手だが、こいつはそういうやつだ。そんなことがあったら変態に見られるのはこいつじゃなくて、自分のことをご主人様と呼ばせている俺なのだ。
 腹が立ったのでとことん犬扱いしてやろうと思った。
「オラ、来いよ。風呂に入れてやる」
「え」
「犬だから一人で入れない、だろ」
 自分から言ったくせに、何馬鹿なこと言ってるんだと途中で思った。恥ずかしくなって顔を背ける。
 しかし男はどうしてか嬉しそうに笑って、
「……わん」
 と返事をしたのだった。真性の変態なのかもしれない。

 湯船に浸かった男の髪を後ろから乱暴に洗う。男はその適度に引き締まった肉体を惜し気もなく披露したけれど、俺は本日初対面の人間と裸の付き合いをする気にはなれず、結局腕捲りをしただけだ。
 男の髪は明るい茶色に染められていて、髪質は硬い。耳にかかる程度の髪をわしゃわしゃ洗っているとき、ふと昔、実家で飼っていた犬を思い出した。耳がぴんと立って、尻尾がくるんと丸まった茶色の犬。名前はすごく安易で、そう……。
「ハチ」
 大人しく頭を洗われていた男が身動ぎをした。
「実家で飼ってた犬に似てる」
 俺が呟くと、男は歌うように言った。
「じゃあ、俺の名前は今日からハチな」

 しかし……貧乏大学生の六畳一間に男が二人。よく考えなくとも無理がある。風呂からあがって気づいたのは、寝る場所がないということだった。ベッドと小さなテーブルと本棚とテレビを置くだけで、ほとんど足の踏み場もない。
「俺、床でいいけど」
 頭をタオルで乱暴に拭いながら男――もといハチが言った。
「何だったら玄関でもいいよ」
 俺、犬だからね。へらりとハチは笑う。
 そんなことを言われて、はいじゃあ玄関で寝てくださいなんて言えるほど俺は鬼畜ではない。
「……狭くてもいいならベッド半分使えば」
 言いながら俺は先にベッドに潜り込んだ。
「ちゃんと電気消せよ」
 相手に背を向けて、シングルベッドの二分の一に何とか収まった。迷っていたのだろうか、数秒の沈黙の後電気が消えた。そして背中側に温もりが滑り込んでくる。
 どうして数時間前に会ったばかりの男と添い寝なんかしているのかと少しだけ虚しくなった、が、その気持ちは一瞬で吹き飛んだ。
 ハチの腕が俺の腰に巻き付いてきたからだ。つまり俺は後ろから抱き締められている。
「何してんだ気持ち悪い」
「俺、犬だから。じゃれてんの」
 ハチが喋る度に首筋に熱い吐息がかかってムズムズする。触れあった背中が熱い。さっき風呂場で見たこいつの裸を思い出した。まじまじ見た訳じゃないけれど、男の俺でも感心してしまうような、適度に筋肉のついた端正な肉体。それに抱き締められていると思うと、何故か恥ずかしくなった。
「ご主人様」
「その呼び方止めろ」
 と言いながら、自分がまだ名前を名乗っていないことを思い出した。
「……花邑翔太」
 ぼそりと呟くと、ハチが聞き耳を立てるように少し頭を上げたのを背後で感じた。
「俺の名前。花邑翔太」
 ハチは俺の言葉を聞き終えると、また俺の背中に擦り寄ってきた。
「はなむら、しょうた」
 噛み締めるように反復すると、また俺に抱きつく。
「綺麗な名前だ」
 女の子に言ったらきっと喜ばれるだろう台詞も、今はシングルベッドの上の、男二人の間で交わされている。変だ。何かがおかしい。けれど今日は三月だというのにやけに冷える夜だから、布団の中が温かいのはそんなに悪くないな、と思った。