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やさしい犬の飼い方(仮)

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 結局、大学を出て駅前で買い物をした後、井上の家に行くことした。井上の部屋に上がり込むのはもう何度目かになる。井上が遊びに来ないかと誘ってくれて、俺がお言葉に甘えて転がり込む。これを好機にと課題を持ち込むと、井上が最初から最後まで付きっきりで教えてくれる。俺が高得点を取った課題はほとんどもれなく、井上に手伝って貰ったものだ。

「お腹空きました? 何か作りますよ俺」
「え、だったら手伝うよ」
「ダメ。先輩はお客さんなんですから座っててください」

 井上は笑顔でそう言ってくれた。ホントは俺がお礼する予定だったのに、今日も結局井上に寄り掛かりっぱなしだ。井上は優しい。何でもやってくれるし、気遣いも上手い。しかもかっこいいし、さぞかし女の子にモテるだろう。そういや井上って彼女いないのかな。俺なんかに構ってていいんだろうか。その辺に置いてあった雑誌に手を伸ばし、読むでもなくただ捲ってみる。

「井上って彼女いないんだっけー?」

 開けっ放しのドアの向こう、台所にいる井上に呼びかける。冷蔵庫を覗き込んだまま井上がぴたりと制止した。

「……居ないですよ」


 井上は苦笑いを返すと、再度冷蔵庫の中を物色し始めた。

「そうなの? 井上友達多いし居そうな気したんだけどな」
 意外に思いながらも、俺は再度雑誌に視線を落とす。
「別に……友達多いのと彼女とは関係ないでしょ」
「うーん、でも俺が女で、井上が友達にいたらきっと惚れてるな」

 バタン、という音と共に、冷蔵庫が閉められた。空調の音。換気扇の音。それらの音ばかりで井上の声は聞こえない。不思議に思って雑誌から顔を挙げると、井上はいつの間にか目の前まで来ていて、無表情で俺を見下ろしていた。

「い……井上?」

 また怖い顔。俺は何か間違えたらしい。嫌な汗が出てきた。井上は俺の手から雑誌を取り上げるとその辺に放り、俺の前に膝を着いた。

「だったら先輩はどうして絆されてくれないんですか?」

 視線を、反らせない。反らしたいけど反らしてしまったらダメだと思った。何となく直感だけどそう思った。

「え……」

 手が伸びてきて俺の肩を掴む。ギリと指が食い込む。痛い。

「優しくして一緒にいてあげて、それでまだなんか足りないの? いきなり横から出てきたワケ分かんない奴に取られんのなんか、許せないんだけど」


 何を言われているのかよく分からない。理解できないけど責められていることだけは分かった。戸惑う俺を他所に井上は捕まえた肩を乱暴に押した。背中が床に打ち付けられる。痛い。井上は尚も俺の肩を床に縫い付けた。視界には天井と井上の顔。

「それとも強引なのが好きだったりする?」

 ニヤリと井上が笑った。ゾクリと背中が粟立つ。

「せっかく大事にしてきたのに……」
 ぐちゃぐちゃに泣かしたくなる。井上は耳元で、確かにそう言った。クラクラした。ショックで脳が揺れる。口の中が急速に渇いていく。気持ちが悪い。悲しんでるような憎んでるような楽しんでるような顔で俺の顔を覗き込む井上。

「な……なんで……」
 漸く声を絞り出すと、それを聞いた井上は、は、と自嘲するみたいに声を漏らした。
「何で、ね……何でだろうな」
 井上は辛そうな顔をして言葉を紡ぐ。初めて見る表情。井上ってこんな顔するんだ。何だか痛そうだな、と頭の隅でぼんやり思った。

「大事にしたいのに時々ぶっ壊したくなるのは、本当は死ぬほど嫌いだからなのかな」

 まっすぐ向けられる井上の言葉は俺に痛みをもたらすものばかりで、嫌われてるんだか愛されてるんだか憎まれてるんだか分からない。そして多分井上自身もよく分かっていないんだろう。どこか上の空で、独り言みたいに呟いた。

「井上……痛い」
 さっきから押さえ付けられている肩も、井上の剃刀みたいな言葉も、痛い。

「痛くしてるんです」
 ねぇ先輩。井上はまた耳元で囁く。
「……男だし、ちょっと乱暴にしたって壊れないよね」

 そのまま井上は俺の首筋に噛みついた。肌に食い込む硬い歯の感触。じわりと広がる鈍い痛み。片方の手は俺のシャツを捲り上げていた。今から酷いことをされるんだと予想はついた、けれど俺が考えていたのは逃げ出すことや抵抗することではなくて、もっと他のことだった。

 俺を責めているはずの井上が、何でこんなに痛そうな顔をしてるんだろう。



「……何で抵抗しないんですか」
 井上は項垂れて、俺の肩に額を擦り付けて呟く。
「……お前がそんな顔してるから」
 その言葉にがば、と顔を上げた。目を見開いて俺の顔をじっと見ている。数秒後顔を反らした井上は、はは、と乾いた笑いを漏らした。

「……俺、最低ですね」
 ぽつりと呟くと、ゆっくりと俺の上から退く。俺に背を向けて座り込むと、頭を抱えた。

「ごめんなさい、今日は、帰って」
 泣いてるのかもしれないと思った。だけど俺は声すらかけられなくて、黙って部屋を出た。外に出ると夜風が冷たかった。剥き出しの肌に痛い。噛まれた首筋にまだ歯の感触が残っている。その部分がじんわりと熱を持っている気がした。帰ろう。帰らなきゃ。でも、そんな気分じゃない。一人になりたい。

 井上の思い通りにならないなら、多分俺が悪いんだと思った。