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「神田川」の頃

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 ガードに近づいてきていて、電車が徐行しながら通り過ぎて行く。
 「アーケード通って帰ろうか」とヒロシが言うとヒロコは「うん」」と言って繋いでいた手を大きく振った。
 「さあ、ここにあるだけ安くするよー、もう店じまいだからねえ」
 果物屋では店主が、半分片付けが済んで、店先のスイカと桃などを売り切ろうとしてい た。
 「ねえ、スイカ買って行こうか」ヒロコが言った。ヒロシもそう思ったが、冷たくないのに気づいた。
 「これ、いくらにするの」とヒロコが聞いている。
 「ああ、200円でいいよ。あまいよお」と店主がいう。
 「でも、冷えてないとねえ。すぐ食べたいし」とヒロシが言った。
 「冷えたのがいいのかい、冷えたのもあるよ」と店主が奥の冷蔵ケースを指さす。ヒロコは、奥まで行って「ねえ、これ同じ値段にしてよ」と言った。
 「それは無理だねえ。産地が違うしねえ甘さが違うんだよ」と少し嗄れた声で店主が言った。
 「でも、そっちも甘いよおってさっき言ったでしょ。同じじゃない」とヒロコも粘る。
 「じゃあ、おねえさん、可愛いからその半分にしてあるやつ300円だけど、200円にするよ」と店主が言った。
 「じゃあ決まりね。ね、いいでしょ」とヒロコはヒロシを見て言った。ヒロシはお金を取り出して店主に渡した。
 「毎度どうも」という声を背に歩き出して、ヒロシはスイカをヒロコが持っているのに気づいた。
 「俺持つよ」と言うと「いいわよ」とヒロコは戦利品を渡してなるものかというように、手を離さないヒロコの横顔を見て可笑しくなった。
 「可愛いからって言ったね」とヒロコが嬉しそうに言った。
 「でも、おねえさんって言ったよ。俺の姉だと思ったんだ」とヒロシが言うと「ええー、姉弟には見えないよ」とヒロコが反論する。もし恋人どうしに見られなくて姉弟にみられたというなら、俺は子供っぽいのかなと、ヒロシは複雑な思いにとらわれる。
 「ああ、今すぐ食べたい」とヒロコがスイカを持ち上げて、顔まであげる。その顔は本当にその場で食べてしまいそうで、「おいおい」とヒロシがたしなめる。ヒロコはスイカを降ろすと、「持って」と差し出した。ヒロシが受け取ると、「ああ、重かった」とヒロコは腕を軽く振った。
 アパートに戻ると、ヒロコはさっそくスイカを切り分けた。スイカ半分をとりあえず半分に切るのかと思ったら、それは明らかに半分ではなく、ずれていた。「あ、ずれちゃった」とヒロコは言ったが、わざとに違いない。そして「わたしがこっちね」と嬉しそうに大きい方を指さした。その笑顔を見てヒロシは何も言えずにうなずいた。まあ、言われる前にそうしようとは思っていたのだった。
 「あ、そうそうスプーンある?」と聞いた。ヒロシが「1本だけね」と言って、あ、すくって食べるのかと気づいて持ってくると「ありがとう」とヒロコは一瞬ヒロシのほうを見たが、すぐにスイカに向かった。ヒロシは自分のスイカを小さく切り分けた。
 「本当はねえ、半分のまま丼のような形のままスプーンですくって食べたかったんだけどね」と頬張りながら言った。
 「ほぼ丼じゃない」とヒロシがからかうと「うそっ、半分にしたよう、少しずれたけどね」と本気で反論した。
 「ほら、口からスイカが飛んでくる」ヒロシと言うと、ヒロコは恥ずかしそうに笑った。
 それからヒロシの子供時代の写真を見たいとヒロコが言って、アルバムを見ながらしばらくの間あれこれと話をした。ヒロコの『武勇伝』を聞いて笑ったり、ヒロシの『ぶざま伝』 も話しをすることになってしまった。
 銭湯で出しきった汗が吹き出してきたが、しだいに納まってきた。ステレオからから流れる映画音楽を聞きながら、ヒロコはヒロシの腕枕で寝ている。扇風機から送り出される風も、少しずつ涼しく感じられるようになってきた。ヒロコの小さく整った寝顔を見ながら、ヒロシは自分の未来がまるで見えていない青二才であることに気づいた。

作品名:「神田川」の頃 作家名:伊達梁川