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「神田川」の頃

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ヒロシとヒロコ


 ヒロシは少し早めに駅に向かった。ヒロコが来る、ヒロコがアパートに来る。そう思うと顔がニヤついているのが自覚されて、両手で頬を撫でて顔を引き締めた。改札の前で降りてくる人々からヒロコを探しだそうとする。人の波がとぎれたがヒロコはこなかった。ヒロシは時計で時間を確認する。約束の時間のちょっと前だ。少し待つと次の電車から降りた人々が改札に向かって歩いてくる。人々の波がとぎれ、あれっいないと思った時、後ろから軽く背中を叩かれた。
「ふふっ、あそこからずうっと見てたんだよ。早く着いてしまったからね」
 ヒロシは予想もしていなかったので、しばらくヒロコの顔を見て、それからヒロコがあそこというガードの上を見上げた。そこは土手のようになっていて環状道路に沿った歩道に行くのに近道になっていた。すぐにヒロコの顔を見たが、俺が言葉を探している間にヒロコは何か勘違いをしたのかもしれない。 
「やっぱり変? 友達にデートだと言ったら、化粧されちゃったんだよ。ちょっと待ってて」
 そう言うとヒロコは白っぽいワンピースの後ろ姿の残像残して、あっという間に駅のトイレに駈け込んだ。
 (まだ何も言ってない)と小さくつぶやいてヒロシは、あらためてガードの上を見た。そこからはアーケードから駅までの人々が良く見える筈だ。ヒロコはずうと俺の動作を見ていたのだろう。ヒロシは頬を撫でていたことを思い出して、まああれは見られていてもいいよなと声に出さないでつぶやく。手持ちぶさたに見ている花屋の店先初夏の日差しが花々を鮮やかに見せていた。
「お待たせ」とヒロコの声がしてヒロシは振り返った。
「化粧して、なんだか落ち着かない感じだったのよ。ああすっきりした」
 化粧を落としたその顔は少し上気したような頬の色で、少女のように見えた。その前の化粧をした顔はどんな風だったっけとヒロシは思い出そうとしたが、ほんの短い間だったので思い出せない。

作品名:「神田川」の頃 作家名:伊達梁川