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冷たい刃

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「違うね。殺害時の記憶とともに、僕に関するあらゆる記憶も抽出しておくんだよ。わざわざ殺して大事にする必要はない。まあ、周囲の人間の記憶や物的証拠に僕の存在は残ることになるが、それでも殺すよりはマシだろう。実質ターゲットには何の被害も出ないわけだからね」
「なるほど……そんな上手いやり口があったとは、恐れ入りましたよ。……ということは、先程の……カナエさん、でしたかな。彼女も今は元気でやっているというわけですか」
「いや、それが、カナエの時は装置に異常があったらしくてさ、彼女は生まれてからのすべての記憶をいっぺんに失ってしまったんだよ。事故とはいえ悪いことをしちゃったね」
「本当に悪いと思っていらっしゃるので?」
「……そんなわけはないだろう」
 それから、僕と店主は顔を見合わせ大声で笑った。
「――さて、用も済んだし、僕はそろそろ行くとするよ」
「お気をつけて。次回からも、宜しくお願いしますよ」
「ああ」と答えて、僕はコートのポケットに忍ばせたそれをちらつかせる。
「それはもしや……」
「そう、僕の相棒さ」
 右手によく馴染む、滑らかな木製の柄の手触りを味わいながら、僕は外へ出た。
 ずっと暗がりにいたせいか、ネオンの光すら眩しい。
 なんだってあの店はあんなに暗くしてあるんだろう。
 そう思い改めて背後の看板を見上げる。
 バニーズ・クラブ。
 一見ただの酒場だが、その本当の姿は、知る人ぞ知る、裏の世界の名店だ。
 通称「闇記憶屋」。
 刺激に満ちた犯罪者たちの違法記憶を数多く取り揃えており、一部のマニアの間では神格化され、莫大な会員料金を取られるにも関わらず予約は数カ月先までいっぱいだそうだ。
 僕が今日、ずっと探し求めていた記憶を難なく閲覧できたことからも、その評判に狂いはないらしい。
 ……ああ、それにしても――

「姉さん」

 ――やっぱり姉さんは、あんな目に遭っても最後まで姉さんのままだったんだな。
 もっと怖がって悲しんで、自分のことで頭がいっぱいになってもいいはずなのに。
 父さんや母さんや僕や――そしてあいつにまで、姉さんはずっと愛を叫んでいた。
 在りし日の姉さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。
 僕は改めて決意した。
 絶対にあいつを殺す。復讐してやる。仇を討ってやる。
 ――記憶を消された姉さんは、僕のことを覚えていなかった。
 それどころか未だにろくに言葉を話すこともできない。
 姉さんは姉さんでなくなってしまったのだ。
 父さんはそんな彼女に何も言わず、黙って仕事に打ち込んでいる。
 母さんは毎日病室に向かっている。時々陰で泣いてはいるけれど、やっぱり母さんは強い。姉さんの言った通りだ。
 二人とも自分のやるべきことを精一杯やっている。
 だから僕もやるべきことをやることにしたのだ。
 あいつがこれまで記憶屋に高額で売り払ってきた、哀れな被害者たちの記憶は、もう全部見た。もちろん馬鹿正直にお金を払ったわけではない。あいつが経歴を詐称して被害者たちに近づいたように、僕はあいつになりすまし、ビジネスを持ちかける風を装って記憶屋に近づいた。
 記憶は姉さんの分で最後だった。それ以外はいくら調べても見つからなかった。
 ――後悔、しているのだろうか。
 姉さん以外の被害者の記憶は、ひとつの例外もなく、恐怖と悲しみと絶望ではちきれんばかりだった。当然だと思う。僕が彼女たちと同じ立場に立たされたら、きっと同じように感じると思う。
 ところが姉さんは違った。
 ありがとう。
 そう姉さんは言ったのだ。
 あの時――あの時、あいつの顔に浮かんだあの表情は、もしかしたら後悔だったのかもしれない。あいつはあの時、おそらく生まれて初めて、罪悪感という言葉を知ったのだ。姉さんの後に被害者が出ていないという事実は、そのことを裏付けているかのようだ。
 ……だが、もちろん許しはしない。心を改めたくらいで許してもらえると思うな。お前を許してくれるのは姉さんだけだったんだ。僕は最初からお前が嫌いだった。僕とよく似たお前が大嫌いだった。絶対に、婚約なんてさせるつもりはなかった。
 許さない。 
 殺してやる。
 ――姉さんを、返せよ。
「……あ」
 ふと顔を上げた僕が目にしたのは、横断歩道で信号待ちをしている、一人の男の姿だった。
 どうやら神様は僕に味方してくれているらしい。
 ……どうせなら、姉さんに味方してほしかったけれど。
 僕は早足で男に近づく。
 カツ、カツ、カツ、とアスファルトを踏みしめる革靴の音に、男が振り返る。
「……き、君は、カナエの……」
 驚いた顔を僕に向ける。
 本当に僕とよく似ている。ああ、いまいましい!
「……覚くん、か……なあ、僕は……僕は……」
 その先は言わせない。
 どうしてだ。どうせ似ているんだったら、僕でもよかったじゃないか。どうしてこいつなんだよ、姉さん――
「僕は……」
「――言うなって、言ってるだろうがあああああ!!」
 それを大きく振りかざした、僕の影の下で、男は言った。
「……僕は、カナエを愛していたんだ」

 逆転する。反転する。
 ああ、姉さん、僕を許してくれ……。
 ――月明かりに、冷たい刃が閃いた。
作品名:冷たい刃 作家名:遠野葯