江ノ島ガール
その日ミチルは僕が来た時にはすでにつぶれていて、いつものように自分のダメなところ、というか女のダメなところを10個くらい呟きながらマスターに絡んでいた。僕が何飲んだの?と耳打ちすると、マスターは赤ワイン5杯と焼酎2杯と梅酒3杯と僕の知らないカクテル数杯の名前をうんざりした顔で僕に告げた。僕が隣の席に座るとミチルは死にかけの目と呂律で「あたし今日みちるに会いにきたの」と言った。ややこしいが僕の名前はみちる、彼女の名前もミチルと言う。会いにきたって、日本語おかしいだろ。僕今来たばっかだけど、と言うと、ミチルは「違うの、会いたかったの」と言った。
「僕は別に会いたくなかった」
と僕が言うと、ミチルは泣きそうな顔でこっちを一瞬見たあと、インターナショナルクラインブルーとかいう変な名前のカクテルをマスターへ注文、マスターは何か言いたげに僕に目配せしたあと黙ってそのカクテルを作り始めた。
「あたし今日ね、みちるに話があるの」
「なんだよ」
「あのさあ、結婚しようよ」
「はあ?」としか言いようがない文脈の滅裂さだ。「何言ってんのお前。馬鹿なんじゃないの」とできるだけ冷たい声色で言うと、ミチルはメイクの崩れかけている顔面をさらに醜く歪めた。
「だってもうそれしかないじゃん。ないと思う。みちるだってこの先結婚もしないで一人で年老いて孤独に死んでくのって怖くないの?」 酔っ払った時のミチルの日本語は素面の時とはかけ離れて乱れる。
「別に。ていうか年老いてまで生きるかどうかわかんないし」
「あたしだってわかんないよそんなの。わかんないけど、何かの間違いでだよ?死なないでずっと生き延びるかもしんないじゃん。あたしはそれが怖いの。なんか死にたい時に死ねなかったらどうしようって。生きたいのに死んじゃうよりそれってつらくない?」
「生きたいのに死んじゃうほうがつらいだろ、絶対」
「なんで?だって死んだらつらくないんだよ。死にたいのになんとなく生き続けなきゃいけないほうが、絶対つらいよ。しんどいよ」
「お前はさ、なんでいっつも死ぬとか生きるとかしんどいとかそういう辛気臭い話ばっかなわけ?他に考えることないのかよ」
「だから結婚しようって言ってんの。別にセックスしなくてもいいから」
「いっぺん死ね。馬鹿女」
「あはははあ」とミチルが気色の悪い笑い方をした。「みちるにそれ言われると、すごい死にたくなっちゃう。いい意味で」
いいも悪いもあるかクソ女。と言いかけたところにマスターがゴトッと変な名前のカクテルを置いた。水色と薄紫の二層で毒みたいな色だった。恍惚の表情でミチルがそれを飲み干した。完全にアル中だと僕は思った。店ではち合わすタイミングも前は一ヶ月に一回くらいだったのに今では三日に一回だ。僕がいない間も、マスターはじめ誰かれかまわずこうやってくだを巻いているのだということは想像に容易い。
「でもさあ、自殺できないんだよねえ」 それはそれは本当に残念そうにミチルが呟く。「自殺すると生まれ変われないんだって。知ってた?」
「生まれ変わりたいの?お前」
「うん」
「死にたいくせに?」
「うん」
「僕さ、生まれ変わりとか信じてる人ってほんとすげえなって思うんだよね」
「えー?なんでー?」
「だってめちゃくちゃポジティブじゃん。死んでまた生まれ変われるとか思ってんだよ?どんだけ貪欲なんだよっつーか。自分とは違う人種だなって」
「みちるは生まれ変わりたくないの?」
「別に生まれ変わりたくない。もう打ち止めでいいよ、僕は」
そう言うと、ふふふふふふふ。とみちるが嬉しそうに笑った。
「あのねえ、人ってねえ、自分がこうなりたいって思う自分になれるまで、ずーっと生まれ変わり続けるらしいよ」
「ふうん。じゃあ僕は前の僕がなりたかった自分ってこと?」
「そゆこと。いいなあ、みちるは」
いいのか?それに馬鹿馬鹿しい、と思う。僕が生まれ変わりたくないと思う理由は今の自分に満足しているからなどではなく、ただもう面倒くさいからだ。生きるのは面倒くさい。それなのに生まれたら生きなきゃいけないのが面倒くさい。しかもいつか死ななきゃいけないのも面倒くさい。そんなの負のループでしかない。自分の意思でそれを止められるなら止めたい。それだけだ。
いつでもどこでも生まれ変わり談義はキラキラしくて、うっとおしくて、馬鹿馬鹿しい。でも「こうありたい」というのはそれこそ生きたいという欲望で、僕にはそれが無い。ある意味ミチルよりずっと人間としてどうしようもない。
「あたしはね、生まれ変わったら美少年になりたいの」
と、ミチルは思春期の少女のようなことを言った。僕はミチルの美しい横顔を見つめた。ミチルはどんなに醜く酔いつぶれても横顔だけは美しいといつも思う。
「美少年で、ゲイなの。そんで男とやりたいだけやりまくって、三十くらいでエイズで死ぬの」
「なにそれ。退廃的すぎない?」
「なんで?美少年でゲイで若いうちにエイズで死ねるなんて完璧じゃん。それ以上に幸福な人生なんてないって、絶対」
「なんか、お前がなんで幸せになれないかわかったかも。なんとなく」
「え、なになに?言って」
「ようするに手に入らないものが欲しいんだろ?お前が最初から持ってるものには何の興味もないんだろ?美少年でゲイでエイズになったら絶対どこにでもいるような普通の女の子になりたいって思うよ、お前は」
「……違うもん」
「幸せを不幸だと思ってて、不幸を幸せだと思ってんだよ。不幸な人間が羨ましくてしょうがないんだよ。だから不幸なふりすんだろ。平凡な人生なんて何も無いのと同じだもんな?お前にとっては」
「……違うよ」
「100回でも千回でも一万回でもずーっと生まれ変わり続けてろよ、お前みたいな奴は」
駄目押しでそう言うとミチルは音もなくテーブルに突っ伏した。そして小さく「死にたい」と言った。わかってるよわかってるもんあたしなにもないのなにもないのもうくそみたいなじんせいだよそんなのわかってるよあたしだって。と、か細い声でぐずった。泣き真似をする子供みたいだった。大丈夫、君はまだ若いし綺麗だしヘテロだし未来はいくらだってあるよもっと自分に自信を持ちなよと肩をさすってやっていたのは会って最初の二三回で、それ以降は何度今と同じ応酬を繰り返したかわからない。そういうわけで顔色ひとつ変えないマスターに僕は平然とジンライムを注文した。
「だってみちるは子供とか産まなくてもいいでしょ」 突っ伏していたミチルも平然と復活する。「みちるにはわかんないよ」
「お前だって別に子供産まなくてもいいだろ」
「だってあたしは産まなかったら産まなかったんだって思われるもん。結婚しなかったら結婚しなかったんだって思われるもん。女は女だからできることは絶対しなきゃいけないんだよ。そう決まってるの」
「誰が決めたんだよそんなの」
「僕は別に会いたくなかった」
と僕が言うと、ミチルは泣きそうな顔でこっちを一瞬見たあと、インターナショナルクラインブルーとかいう変な名前のカクテルをマスターへ注文、マスターは何か言いたげに僕に目配せしたあと黙ってそのカクテルを作り始めた。
「あたし今日ね、みちるに話があるの」
「なんだよ」
「あのさあ、結婚しようよ」
「はあ?」としか言いようがない文脈の滅裂さだ。「何言ってんのお前。馬鹿なんじゃないの」とできるだけ冷たい声色で言うと、ミチルはメイクの崩れかけている顔面をさらに醜く歪めた。
「だってもうそれしかないじゃん。ないと思う。みちるだってこの先結婚もしないで一人で年老いて孤独に死んでくのって怖くないの?」 酔っ払った時のミチルの日本語は素面の時とはかけ離れて乱れる。
「別に。ていうか年老いてまで生きるかどうかわかんないし」
「あたしだってわかんないよそんなの。わかんないけど、何かの間違いでだよ?死なないでずっと生き延びるかもしんないじゃん。あたしはそれが怖いの。なんか死にたい時に死ねなかったらどうしようって。生きたいのに死んじゃうよりそれってつらくない?」
「生きたいのに死んじゃうほうがつらいだろ、絶対」
「なんで?だって死んだらつらくないんだよ。死にたいのになんとなく生き続けなきゃいけないほうが、絶対つらいよ。しんどいよ」
「お前はさ、なんでいっつも死ぬとか生きるとかしんどいとかそういう辛気臭い話ばっかなわけ?他に考えることないのかよ」
「だから結婚しようって言ってんの。別にセックスしなくてもいいから」
「いっぺん死ね。馬鹿女」
「あはははあ」とミチルが気色の悪い笑い方をした。「みちるにそれ言われると、すごい死にたくなっちゃう。いい意味で」
いいも悪いもあるかクソ女。と言いかけたところにマスターがゴトッと変な名前のカクテルを置いた。水色と薄紫の二層で毒みたいな色だった。恍惚の表情でミチルがそれを飲み干した。完全にアル中だと僕は思った。店ではち合わすタイミングも前は一ヶ月に一回くらいだったのに今では三日に一回だ。僕がいない間も、マスターはじめ誰かれかまわずこうやってくだを巻いているのだということは想像に容易い。
「でもさあ、自殺できないんだよねえ」 それはそれは本当に残念そうにミチルが呟く。「自殺すると生まれ変われないんだって。知ってた?」
「生まれ変わりたいの?お前」
「うん」
「死にたいくせに?」
「うん」
「僕さ、生まれ変わりとか信じてる人ってほんとすげえなって思うんだよね」
「えー?なんでー?」
「だってめちゃくちゃポジティブじゃん。死んでまた生まれ変われるとか思ってんだよ?どんだけ貪欲なんだよっつーか。自分とは違う人種だなって」
「みちるは生まれ変わりたくないの?」
「別に生まれ変わりたくない。もう打ち止めでいいよ、僕は」
そう言うと、ふふふふふふふ。とみちるが嬉しそうに笑った。
「あのねえ、人ってねえ、自分がこうなりたいって思う自分になれるまで、ずーっと生まれ変わり続けるらしいよ」
「ふうん。じゃあ僕は前の僕がなりたかった自分ってこと?」
「そゆこと。いいなあ、みちるは」
いいのか?それに馬鹿馬鹿しい、と思う。僕が生まれ変わりたくないと思う理由は今の自分に満足しているからなどではなく、ただもう面倒くさいからだ。生きるのは面倒くさい。それなのに生まれたら生きなきゃいけないのが面倒くさい。しかもいつか死ななきゃいけないのも面倒くさい。そんなの負のループでしかない。自分の意思でそれを止められるなら止めたい。それだけだ。
いつでもどこでも生まれ変わり談義はキラキラしくて、うっとおしくて、馬鹿馬鹿しい。でも「こうありたい」というのはそれこそ生きたいという欲望で、僕にはそれが無い。ある意味ミチルよりずっと人間としてどうしようもない。
「あたしはね、生まれ変わったら美少年になりたいの」
と、ミチルは思春期の少女のようなことを言った。僕はミチルの美しい横顔を見つめた。ミチルはどんなに醜く酔いつぶれても横顔だけは美しいといつも思う。
「美少年で、ゲイなの。そんで男とやりたいだけやりまくって、三十くらいでエイズで死ぬの」
「なにそれ。退廃的すぎない?」
「なんで?美少年でゲイで若いうちにエイズで死ねるなんて完璧じゃん。それ以上に幸福な人生なんてないって、絶対」
「なんか、お前がなんで幸せになれないかわかったかも。なんとなく」
「え、なになに?言って」
「ようするに手に入らないものが欲しいんだろ?お前が最初から持ってるものには何の興味もないんだろ?美少年でゲイでエイズになったら絶対どこにでもいるような普通の女の子になりたいって思うよ、お前は」
「……違うもん」
「幸せを不幸だと思ってて、不幸を幸せだと思ってんだよ。不幸な人間が羨ましくてしょうがないんだよ。だから不幸なふりすんだろ。平凡な人生なんて何も無いのと同じだもんな?お前にとっては」
「……違うよ」
「100回でも千回でも一万回でもずーっと生まれ変わり続けてろよ、お前みたいな奴は」
駄目押しでそう言うとミチルは音もなくテーブルに突っ伏した。そして小さく「死にたい」と言った。わかってるよわかってるもんあたしなにもないのなにもないのもうくそみたいなじんせいだよそんなのわかってるよあたしだって。と、か細い声でぐずった。泣き真似をする子供みたいだった。大丈夫、君はまだ若いし綺麗だしヘテロだし未来はいくらだってあるよもっと自分に自信を持ちなよと肩をさすってやっていたのは会って最初の二三回で、それ以降は何度今と同じ応酬を繰り返したかわからない。そういうわけで顔色ひとつ変えないマスターに僕は平然とジンライムを注文した。
「だってみちるは子供とか産まなくてもいいでしょ」 突っ伏していたミチルも平然と復活する。「みちるにはわかんないよ」
「お前だって別に子供産まなくてもいいだろ」
「だってあたしは産まなかったら産まなかったんだって思われるもん。結婚しなかったら結婚しなかったんだって思われるもん。女は女だからできることは絶対しなきゃいけないんだよ。そう決まってるの」
「誰が決めたんだよそんなの」