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母から私 私から娘へと ~悲しみの連鎖~ (続)

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 結婚した翌年には女の子が生まれた。私の命から連なる二つ目の命。もし私があの時やその時に死んでいたら、到底巡り会えない命である。
 その子を妊娠中に、徹さんの会社の社宅が空いたとの連絡を受け、私たちは半年暮らしたアパートを出て横浜市内の山の上にある社宅に引っ越した。以前、初めて横須賀に住んだ時も、街中にトンネルがあることがかなりな驚きだったけど、こちらに来て、山の上にこんなに住宅が建ち並んでいることも、またびっくりだった。私が生まれ育った所は瀬戸内海を臨む平野だったから、トンネルを抜けるのは市を跨ぐ時ぐらいだし、高い所に建つ家と言っても、精々丘止まりだったから。

 さて、その社宅に入って初めての夏が間近に迫って来てるのを感じさせる、暖かい五月の下旬に、体重三八四〇g、身長五十一センチで生まれて来たその子は、徹さんにそっくりで色白な綺麗な顔をしていた。
 その頃の菜緒は小学校に入学していて、一年生の生活を満喫していた。入学前は、遊ぶ相手と言ったら社宅の子しかいなかったし、方言があったためなかなか馴染めなかったりもしたけど、小学校に上がってからは徐々に友達も増えていって、私もほっと一安心していた。そして今度は妹ができる。菜緒はとても喜んで、その日を心待ちにしていた。
 私がお産で入院してる間は、徹さんの兄嫁のさよ子さんが来てくれた。私に母がいないばかりに周囲の色んな方にお世話になった。そして出産後無事に退院すると、さよ子義姉さんはその日の内に田舎に帰って行った。働いている会社に無理を言って休みを貰って来てくれたのだから、感謝してもしきれない。
 しかし退院したてで赤ちゃんの世話をしながら、家事一切を今まで通りにこなして行くのは、正直少しきつかった。もう私も三十になる年だったから。
 それを見兼ねたからなのか、菜緒は学校から帰るとその小さい身体におんぶひもをぐるぐる巻きにして、妹をおぶって散歩に連れて歩いた。早生まれで、同い年の子と比べても小さい身体で、「本当におんぶできるのかしら?」と、最初は心配したが、菜緒はさも嬉しそうに、「どうしてもおんぶしたい」と言うのでおんぶさせてみた。
 その日からは、学校から帰るとそれが菜緒の日課のようになった。菜緒がそうしてる間に、私は夕飯の支度やちょっとした片付けができた。菜緒はおんぶだけでなく、オムツ替えも自分から進んでやってくれた。お風呂も、私が入れて洗い終わると、バスタオルを持って受け取りに来てくれた。