われてもすえに…
しかし、大事な二人目の小姓を守るために命じた。
「離せ。そいつは俺の小姓だ。そいつに暴力振るうやつは、即刻首だ」
その言葉に驚いた男たちは蜘蛛の子を散らすように小太郎から離れた。
残っていたのは揉みくちゃにされ、着物も髪も乱れた小太郎だった。
かすり傷から血がにじんでいたが、泣いてはいなかった。
歯を食いしばり、近寄ってくる政信を見ていた。
そんな彼を政信は手を差し伸べ、助け起こした。
「よう。埃だらけじゃないか。どうした?」
しかし、一方の小太郎は政信を睨んでいた。
「……どうした? どこか打ったか? 痛かったか?」
しかし、そんなことで小太郎は政信を睨んでいるのではなかった。
大きく息を吸い込むと、大声で言った。
「どうして私に黙って行かれるのですか!?」
政信は溜息をついた。
「……父上に聞いたのか?」
すると、小太郎は周囲の侍たちと同じように地面に正座し、手をついた。
「はい! 私も殿の小姓です! 本来なら、お供をするのが筋!」
「そうだな」
曖昧な返事をする主に小太郎は続けた。
「一言、ほんの一言でよかったんです。教えてくださっても良かったのでは!?」
政信はその言葉に笑みを浮かべて答えた。
「そう怒るな。知らせたくなかったんだ」
突然笑みを浮かべた主に、小太郎はムッとして怒鳴った。
「どうしてですか!?」
しかし、その返事はすぐには返ってこなかった。
政信はしゃがんだ後、小太郎の頭に手を載せた。
そして、そのままぼそっと言った。
「それはな、お前がな、泣くからだ……」
「えっ?」
突然、目の前の政信の顔がゆがんだと思うと、彼の眼から涙がこぼれていた。
初めて見る主の涙に、小太郎は驚いた。
何を言っていいかわからず黙っていると、政信が泣きながら言った。
「お前と、別れたくない……。お前と当分会えなくなるの、辛い……。三人で……」
その涙につられ、小太郎も泣きだした。
「私も、殿と別れたくはありません……」
「小太郎……」
気付くと、政信は自分の袴が汚れることも構わず、地面に膝をつけ座りこんでいた。
そして、小太郎を抱きしめていた。
力強く抱きしめた後、政信は小太郎の眼を見て言った。
久しぶりに、小太郎の目の前に彼の眼があった。
『良鷹』だった時、目線は一緒だった。
泣いた後の赤い眼だったが、政信はじっと小太郎を見ていた。
そして、言った。
「小太郎、今日から八年たったら、お互いどこにいようと、会おう。それまで絶対に俺のこと、忘れないでくれ」
「必ず、忘れません」
「約束だぞ。信じてるからな」
「はい」
すると、再び政信は小太郎を抱きしめた。
耳元で、彼は礼を言っていた。
「……お前が俺の初めての友達だ。お前のおかげで、喜一朗とも友達になれた。ありがとな」
「どういたしまして」
「……俺には、お前と喜一朗、どちらも必要なんだ。絶対に、また三人一緒になろう。一緒に仕事も遊びもいっぱいしよう」
「はい」
別れを惜しむ二人だったが、刻限が来た。
喜一朗が代表で二人にそれを告げた。
「殿、行きましょう。私が八年間小太郎の分まで頑張りますので」
「あぁ。すまんな」
眼を擦りながら、政信は喜一朗に笑いかけた。
それに彼は答えた後、義弟に声をかけた。
「小太郎、月が変わったら帰ってくる。それまで絢女を頼む」
「はい」
「学問も、武芸もしっかりしろよ」
「はい」
三人で顔を見合わせた後、政信が提案した。
「よし、誓いの印だ」
三人は腰の小太刀を手にし、鯉口を切った。
そして三人同時に刀を納めた。
「じゃあな、良鷹。行こう、喜一朗」
「はい。良鷹! 身体に気をつけるんだぞ!」
「政信、元気でね! 喜一朗殿! お仕事頑張ってください!」
互いに出会った頃の呼び名で別れた。
涙は消え、笑顔の晴れやかな別れとなった。
政信が江戸に出発した日の夜遅く、江戸の藩邸の奥の奥では若い女が二人寝付かれずに話していた。
蛍子と侍女の真菜だった。
蛍子は不安で胸が詰まり、毎晩なかなか眠れなかった。
それを、真菜がなだめていた。
毎回真菜が蛍子から不安が何なのかを聞き出そうとしていたが、彼女が語ることはなかった。
しかし、その日の晩は違った。
蛍子は膝に猫のお藤を乗せ、窓の外を眺めながら侍女の名を呼んだ。
「真菜……」
「はい。なんでございますか?」
蛍子は視線を変えず、背後の侍女にそっと聞いた。
「……夫とは、どういうものか」
「夫、でございますか?」
「そうじゃ」
意外な質問だったが、真菜は即座に答えた。
「……簡単に言えば、『最もお慕いする殿方』といったところでしょうか?」
すると、蛍子は何かを一人考えた後、お藤を膝から下ろし、身体の向きを変え真菜を見た。
「……聞いても良いか?」
「はい。なんなりと」
少し待つと、真菜に蛍子はこう聞いた。
「そなたの夫は、どのような男だった?」
この日初めて真菜は主から亡き夫について聞かれた。
しかし、隠さずありのままを話すことに決めた。
「わたくしの夫は、無口な男でした。笑わず、かといって怒りもしない。良く分からない男でした」
「真菜は、その夫を好いておったのか?」
ドキッとするようなことを聞いた蛍子に、真菜は驚いたが話を続けた。
「最初は、嫌いでした。しかし、変わりました」
「……理由を、聞いても良いか?」
「はい。夫のいい笑顔を見て、惚れました。といっても、笑ったのはたった二度でしたが」
妙な話に興味がわいた蛍子は続きが聞きたくなった。
「二度だけ?」
「はい。一度目はわたくしが子を産んだ時です。ただ一言『よくやった。』としか言いませんでしたが、本当にいい顔で言ってくれました」
本当にいい思い出だったかのように語る彼女の顔は、笑顔だった。
蛍子は続きを促した。
「もう一度は?」
すると、真菜は少し遠くを見る目つきになった。
「逝く直前です。突然、手を握って夫は言いました。普段ぜんぜんしなかったのにですよ。
それで、『俺は幸せだった。お前はいい女房だった。』と。本当に変わった男でした」
そんな話を笑顔でする彼女を見た蛍子は考えた。
夫と子どもを亡くした悲しい過去を笑って語れる彼女の本心が聞いてみたくなった。
こんな女ばかりの奥深くで自分に仕えるのではなく、新たな男と一緒になり、家庭を築きたいと思っているのではと、ふと思った。
そして真菜に言った。
「……もう一度他の男と一緒になる気はないのか?」
真菜はその言葉に即答した。
「はい。わたくしの夫はただ一人。両夫に見えずを貫くつもりでございます」
強い意思がこもった瞳で見つめられたが、蛍子は続けた。
「妾の側に居るより、新たに嫁ぎ子を作って可愛がる方が良いのではないか?」
真菜はその言葉を即却下した。
そして決意を告げた。
「いいえ。わたくしは、死ぬまで姫さまにお仕え致します。ひいては姫さまと姫さまのお子を守り抜く所存にございます」