われてもすえに…
【07】 出仕
「え!?あのお方、若様だったの!?」
家族で夕餉をとりながら小太郎がその日起こった出来事を母に告げるや否や、
こう驚いた返事が返ってきた。
「うん。磐城《いわき》政信だって」
「確かに殿の名は磐城さま……。あぁ、畏れ多いことを!」
口に、おかずを運びながらうろたえる母を見た。
「母上、何にも無礼なことしてないでしょ?」
「……大丈夫かしら?」
「御飯おいしかったってさ。特に、この芋の煮っ転がし」
そこへ、下男の吉右衛門がいそいそとやってきた。
普段は決して食事中にはやって来なかったが、急用らしかった。
「若、やっと思い出しました。あの若様はお殿様に似ておられます」
「へぇ。やっぱりそうなんだ」
「吉右衛門、そのとおりよ。若様とこの子は遊びまわってたの」
「ほう。そうでしたか。良いお友達のわけですね」
吉右衛門は安心した様子だったが、初音は違った。
「……それで、小太郎、もう遊ばないでしょうね?ご迷惑をおかけしたらただじゃ済まされないわ」
「ううん。小姓の仕事することになった」
「え!?受けたの!?」
黙って聞いていた絢女だったが、驚いた声をあげた。
「うん。何か悪いことでもあった?」
母は顔色を変え、うろたえ始めた。
「あぁ……。大変なことに……。今からでもお断りできないかしら?」
「ですよね。この子まだ子どもだし……」
小太郎はまたも子ども扱いする姉にむかっとした。
「子どもじゃない!」
すると姉は真面目に諭し始めた。
「真面目な話よ。あなたまだ十年しか生きてないでしょう?
学問も武術も、武士の礼儀もわきまえていない。無理よ。わかるでしょ?」
「……」
言われてみればそうだ。
まだ全然身に付いていない。
大人の話し方だって満足にできない。
しかし、一人吉右衛門は違うことを考えていた。
「奥様、大丈夫です。良武様も御殿様の小姓をしておりましたので、できるはずです。
若を信じてみては?それに……」
「……なに?」
子どもに聞かれては不味いと思ったのか、こそっと、
「……将来出世の足掛かりにもなりましょう」
真剣なまなざしでそう言った。
「……そうかしら?」
「……はい。間違いないかと。旦那様の例がございます」
瀬川家当主の良武は家老職目前の出世を遂げていた。
まだ若いせいで、格上げは先のことだったが、殿様のお気に入りの上、有能かつ人柄も際立っていたせいで、他の家来を抜いていた。
「……そうね。言われてみれば。でも……」
主人の不安げな表情に気づいた下男は、言葉を変えた。
「……では、権力抗争の駒でなく、修行ということではいかがでしょう?」
「修行?」
「はい」
このまま小太郎を普通に育てても、世襲が常なので出仕すれば重職にはつけるはず。
しかし、真面目な小太郎の父母は甘やかすことはしてこなかった。
一個人として、皆から尊敬を集め、信頼される人間に育てたいと常日頃思っていた。
それが、できるかもしれない。
いざとなれば夫に助けを請う。
そう決心した初音は、息子に告げた。
「小太郎、受けなさい。またとない機会だし」
「良いんですか!?母上?」
やっと母に認めてもらえた小太郎はうれしくてたまらなくなった。
「えぇ、がんばりなさい」
「はい!」
「……本当に大丈夫?」
絢女はいまだ不安を感じていた。
いくら見た目が十八でも中身が子ども。
仕事ができるような歳ではない。
しかし、弟は楽観視していた。
「頑張るから姉上は心配しないで!」
「……そう?」
次の日、小太郎宛に城の政信から文が来た。
中身の要点を手短に把握すると、小太郎は母に知らせた。
「母上、昼からお城の人が挨拶に来るって」
「え!?早くしたくしないと!」
いきなり焦り始めた母に、申し訳なさそうに声をかけた。
「俺は何すればいい?」
「とにかく着替えを。……綺麗じゃないとダメよね。そう、父上の裃借りなさい。いいわね?」
「はい。……裃だ!」
小太郎は浮かれ始めた。
元服したとき、一度だけ着た。
姉に似合わないとけなされたが、今の姿なら似合うかもしれない。
見返すいい機会だった。
その様子を稽古に行く支度途中の姉に見られた。
「なにうかれてるの?変な子」
「姉上、しっかり見なよ。俺の裃姿!」
自慢げに言う彼を鼻で笑った。
「なにが面白いのかしらねぇ?」
大急ぎで、下女に掃除や出迎えの支度の指示を出していた初音は、やっと一息落ち着いた様子で、娘にも指示を出した。
「ちょうど良いわ。絢女、その子の着替え手伝って練習しなさいね」
「え?……はい」
しぶしぶ従った姉に疑問を感じた。
なんでも練習。
髭剃り、縫物、掃除、料理。
毎日毎日練習ばかり。
何のためか全く分からなかった。
「なんで練習するの?」
「しょうがないでしょ?早く着替えなさい。そんなお古じゃなくて新しいの着るのよ」
部屋に向い、おろしたばかりの着物に着替えることとなった。
いそいそと、着替えの準備をする姉に小太郎は申し訳なさそうに言った。
「……姉上、あっち向いてて」
どうしても裸を見せたくはなかったからだ。
「なんで?あ、お姉ちゃんに見られるの恥ずかしいの?」
「……そうじゃないけど。姉上、驚くと思うから」
「なんで?」
「普段と、全然違うから……」
その変わり様には、初めて見たとき小太郎も驚いた。
背が伸びたのはもちろんだが、今まで持てなかった重い荷物が軽々と持てる。
長時間木刀で素振りしても疲れない。
薪割りの手伝いも楽々。
しかし、恥ずかしくて姉にも母にも言ってはいなかった。
もちろん、見せても。
そんなことお構いなしの姉は、普段のノリで弟を脱がせにかかった。
脇をくすぐり、帯をほどいた。
普段の姉と弟の光景なら、かわいいじゃれあいだが、今はどう見ても男女の危ない光景に近かった。
「なに言ってるの。脱ぎなさい!」
「やめて!くすぐったい!」
「普段と違うって食べ過ぎて太ったの?ほら、見せ……」
もみ合っているうちに、小太郎の着ていた着物がぱらっと床に落ち、
上半身裸になっていた。
「あ……」
「……うそ」
絢女は驚愕した。
弟の言葉通り、本当に普段とは違った。
ついこの前くすぐりあって遊んだ、子どもの細くて柔らかい身体とは程遠い、
贅肉がない締まった、細身だが筋肉質な肉体に変貌していた。
「驚いた?でも、言った通りでしょ?全然違うって」
姉の驚きようは生半可ではなかった。
同年代の男の裸体は、免疫がほとんどない絢女には目の毒だった。
黙ったまま、立ち尽くしていた。
「あ、顔が赤くなった!変なの」
弟がからかう言葉で我に帰った絢女は、叫びながら小太郎から逃げた。
心配した小太郎は姉を追ったが、それが事態を悪化させた。
絢女は母の部屋まで逃げて行った。
「母上!無理です!イヤです!」
部屋に逃げ込み、身支度をしていた母に縋りついた。
「イヤってどうしたの?着替えは?」
「あ、母上、まだです」
「イヤ!イヤ!」