数式使いの解答~第一章 砂の王都~
《第四幕》銀狼
それからの彼らの動きは、迅速の一言に尽きる。
まず宿へと戻り、荷物をまとめる。あらかたの荷物を持つと、あっという間にチェックアウト。そのまま商店街で買い物を済ませ、街から外に出た。
だが、
「お二人さん、そない急いでどこに行かれますん?」
怪しげな言葉使いの男に引き止められる。
銀髪糸目の男だ。背は高いが威圧感はなく、飄々とした雰囲気を持っている。ローブを身に着けてはいないが、装備を見る限り旅をしているようだ。
「お前は?」
ローレンツが訝しげに訊いた。
「いややなぁ。ボクみたいなバリッバリの村人Aに名をたずねるなんて。名乗るほどのもんやありませんよ?」
ただでさえ細い目を一層細くして言う。
それに対してミリアが、
「うーん、少なくとも村人Aではないよね?」
そう言った。
「なんでそんな風に思うんや?」
間髪いれずに糸目がたずねてくる。
「だってあなた、――どう見ても旅人Aじゃない!」
盛大にズッこけた。
「な、なんやそら! そんくらいのちぃさい差、無視してくれたってええやろ!」
「だって気になったんだもの。で、旅人Aさんが何の御用ですか?」
ミリアが訊く。
糸目は一瞬沈黙し、
「……あんたがた、ロピタルの邪魔、しようとしてるらしいやないですか? それ、やめてくれへん?」
単刀直入の一言だった。
糸目から、わずかに威圧を感じる。いや、威嚇と言った方がより正しい。
それを前にしてローレンツの口から出たのは、
「断る」
という拒否の言葉だった。
対する糸目の反応は、失笑だった。
嘲笑でも、嗤笑(ししょう)でもなく、失笑だった。
「あんさん、そらあきまへんわ。思わず笑うてしもうたやん。――笑わせてくれたお礼に、死んでーな?」
糸目が言った瞬間、どこからともなく盗賊たちが襲ってきた。
その数二十。
見れば、先日ミリアを襲った顔もある。
それぞれが己の武器を取り出し、いつ襲い掛かってやろうかとウズウズしているようだ。
その様子を見た糸目が、
「――なにをボーっとつっ立っとるんや? 木偶とちゃうんや、はよ襲い」
と言ったの合図に、二十の盗賊は得物を振りかざして迫る。
「ローレンツ君、しゃがんで!」
いつの間にやらローレンツの後ろに回っていたミリアが鋭く言った。
その言葉に反応し、ローレンツが身を低くする。
それと同時、ミリアは手に持った三枚の数式符を一気に破りながら叫んだ。
「"ミリバル"ッ!!」
ミリアの手元に生まれたのは、目ではっきりと見えるほどの空気の砲丸。
ローレンツが決闘の際に作った物とは、ケタが違う。
ミリアはそれを、射撃した。
轟音。
風が、空気が、大気が渦を巻き、盗賊たちに向かって進む。
回転と進行がともに行われるとき、それは螺旋へと名を変える。
まるで空間を捻じ切るような音が数瞬続き、ふっと音が消えた。
同時、風切音が鳴る。
刃風が、盗賊たちを貫いた。
「ぐあぁあ!?」
何が起こったかわからないと言った様子で、全身にできた切り傷を押さえ、呻く。
よく考えれば簡単なことだ。
"ミリバル"は大気を固め、空気の弾丸を作り発射する数式だ。
ミリアはそれを三枚同時に発動した。
これにより、一枚のときよりも当然だが弾丸の気圧は高まる。すると、大気の量がほんの一瞬薄くなる。
三枚分の弾丸を作成するには大気が足らないが、維持の時間に限界がくれば、自動的に弾丸は発射される。発射された弾丸は不足分の空気を求めながら、標的に向けて前進。風を巻き込みながら徐々に速度を上げる。
そして、進行の速度が巻き込む速度を超えた瞬間、弾丸は大量の空気に触れることとなる。
結果、一瞬で速度が上昇。真空の螺旋を作りながら、弾は標的を貫通すると言うわけだ。
もしこれを一瞬で考え付いたのなら、天才的な頭脳だと言えたし、日ごろよく使うのであれば、それはそれで素晴らしい戦闘の才能を持っていると言えた。
ローレンツは驚きこそすれ、そこに恐怖はなかった。ただただ、
(……頼もしい)
そう感じていた。
それと同時に、自分も動かねば、という思いが高ぶり、剣にジュールの数式が書かれたプレートを挿し込む。そして、この状況にピッタリのブレークをホルスターから破り取った。
――数式名、
「"マッハ"」
そのとき、戦場に一陣の風が吹く。風とともに、ローレンツの姿が見えなくなった。
次の瞬間、盗賊たちの得物が、次々と切断されていく。
「な、どういうこった?!」
金属同士が衝突する重厚な音だけが、断続的に響く。その音が十ほど続き、ローレンツがふっと現れた。
額には薄く汗がにじんでおり、息も少しばかり乱れている。
マッハの数式の副作用だ。
マッハの効果は、音速の突破である。
音速の突破と言っても、実際に音速を超えるわけではない。音速を超えると、衝撃波というものが発生するのだが、人間の身体ではそれでバラバラになってしまうからだ。
だからその代わりに、反応速度など音速を超えて問題のないもののみ、音速を超越するのだ。
もちろん、肉体の速度も音速に限りなく近い速度が出るようにしておく。
これによって、人間では対応できない音の世界へと入るのだ。
だが、いくら数式で補助をしているとはいえ、人間の限界を超えた動きなのは間違いない。
その代償が『肉体の疲労』という副作用として、使用者の身体にフィードバックするのだ。
普段ならローレンツは、このような数式を使わない。
たとえ盗賊を撃退したとしても、自分の身体が動かなければ一人旅を続けられないからだ。
(……だが、今はミリアがいる。)
そのことを考え、彼は一昨日に買ってきてもらった数式符に、思わず書き込んでいたのだった。
これほど早く必要になるとは考えていなかったし、そもそもミリアと共に街を出ると言うことすら、ほとんど考えていなかった。しかし、今は違う。ローレンツはミリアがいることを信じ、そしてミリアがいるからこそできる戦法を取る。
戦闘を傍観していた糸目が、
「不甲斐無いなぁ。まぁいうても所詮は盗賊か。だからと言って容赦はせーへんけどな。おい馬鹿ども、金の分はしっかり働きーよ?」
殺気を感じるほどの笑みで凄む。
戦場に底冷えするような冷気が流れ、背筋に悪寒が走った。
怯えた盗賊たちが、わが身の危険を感じて気合を入れる。
「あ、あああぁああ!」
お世辞にも気勢とは呼べない悲鳴で、ローレンツたちに斬りかかる。
ローレンツが一度に五人を相手にする。が、その間に狙われたのはミリアだった。
(……しまった。ミリアが危ない!)
そう気づいたときにはすでに遅かった。
盗賊のうちの一人が、ミリアに向けて剣を振りかぶっていたのだ。
ミリアはローレンツの持っているようなホルスターを身につけていない。彼女は自分の状況に合わせ、その場で数式を書くタイプの数式使いなのだ。
だが、この状況においてそれは間に合わない。
避けろ! そうローレンツが叫ぼうとしたとき、ミリアの瞳が光った。
比喩ではない。左の金色より右の緋色が輝いているのだ。
作品名:数式使いの解答~第一章 砂の王都~ 作家名:空言縁