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帯に短し、襷に流し

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どこの回し者か!? --七五三の着付け--


 11月15日は、七五三です。
 半年前ほどから、七五三の引き合いが多くなります。
 そろそろ、口が酸っぱくなりそうな具合ですが、着物は、日本の民族衣装である以前に、普段着なのです。普段着。
 普段着とは。
 今で言う、Tシャツやブラウス、ジーンズ、スカートなどなど、苦もなく普通に着られる衣服のことです。
 つまり、着物は、苦もなく着られる衣服なので、だからこそ、普段着だったわけです。
 今でこそ、着方を忘れた人たち、多くは、レトロに憧れる女性たちですが、四苦八苦しながら大枚をはたいて「着付け」なるものを習うのですが、昔のように着慣れていれば、その必要はないわけです。
 その際たるものが、子どもの着物です。
 とにかく理屈を解さない子どもは、泣く! 喚く! 動き回る!!
 着付けなんか、そのまま直立不動で待っとけ。と、言って、待てる相手ではないのです。相手は、動物です。犬か猫ぐらいの気持ちで、こちらは、調教師だと思って鞭を持って臨むぐらいの気迫が必要なのです。
 昔の人は上手くしたもので、子どもの大きさに合わせて、着る身丈を調節しておき、手の長さをつまみ上げ、紐をつけて、ジャストフィットに合わせておくわけです。
 着せるときは、がつっと捕まえて、がばっと被せ、ささっと両手を通して、くるっと紐を巻いてきゅっと結ぶ。その後に、兵児帯という柔らかい帯をしめて出来上がりである。
 洋服なんかを着せるより、よほど、簡単。ボタンなど、一個一個、ぱちっ、ぱちっ、と止めているときのあの苛立たしさ。子どもは動きたいし、こちらは縛り上げてでも止めておきたい。
 その攻防戦がヒートアップしてくると一発殴りたい衝動に駆られるが、ここで手が出ると、虐待といわれるのです。親は、「忍」の一字。じっと我慢の子です
 それが、ハレの七五三とて同じこと。
 ものが、木綿の普段着か、正絹の晴れ着かの違いです。
 寸法合わせて、がつっと捕まえて、バサッと着せて、くるっと巻けばいいだけのこと。なのに、それをプロに任せろとおっしゃる方がいらっしゃる。
 親、あるいは誰にでも出来ることを、なぜ他人に任せなければならないのか。
 どうして?
 今も昔も、人それぞれ、得手不得手というのがありますから、得意な人に任せるのも一つの手ではあるけれど、そんな子どもの着付けまでやってもらうほど、ハレの日のお母さんは忙しいですか?
 と、思ったら。
 そうじゃないんです。
 今頃は、3歳であっても、身丈の調節にする腰上げをしないらしい。
 しないでどうするのかと思ったら、大人のように、紐で大人で言うところの「オハシヨリ」を作るようだ。
 大人でも四苦八苦して、どんなに練習しても上手く行かないものは上手くいかない紐での「オハシヨリ」作成を、子どもにやろうなんざ、正気の沙汰ではない。
 ・・・・・・と、思っていたら、今は、それがプロの技らしい。
 ・・・・・・それ、必要な技ですか?

 お母さんが、ニコニコ笑いながら、「かわいいね」「今日はお祝いなんだよ~」「おじいちゃんたちは喜んでくれるかな~?」「今日はいい子だね~」なんて声をかけながら身支度をして、これから始まるであろうハレの日をわくわくして待つということは、今は昔のことなのでしょうか。
 身の丈にあったサイズ直しをしてあれば、よほどのことがない限り着崩れたりはしません。

 子どもに着付けのナンタルカが分かって堪るか。
 要は、裾やお袖を踏んづけないで、ニコニコ笑ってればそれでいいのです。
 秋の空を遠く見上げ、乾いた風にトンボを見ながら思う、今日この頃でした。

 だってね。
 ワンピース着るのに、人の手は借りんでしょ?
 ・・・・・・背中のチャックが届かないこともあるか・・・・・・。

 お子さんの健やかなる成長をお喜び申し上げるとともに、今後の健康とご多幸をご祈念いたします。

 2012.10.21 秋晴れ
 2014.9.10 そういえば今日も秋晴れ 一部訂正語尾書き直し
作品名:帯に短し、襷に流し 作家名:紅絹