京都七景【第五章】
【第五章 墓を探す(1)】
「それで、話す中身だけど、いったい何を話せばいいんだ?」と露野が切り出した。
「それについては、おれに一つ提案があるんだが、言ってもいいかい?」と堀井が受けた。
みんなは、いつも何を言い出すやら分からない堀井を前に、息を呑んだが、好奇心に駆られて、つい、うなづいてしまった。
「やはり後悔と言う以上は、失敗した体験であるべきだろうな。しかも解決がついていないことが肝心だ。つまり、それは、思い出したくはないが今なお心に生きていて、思い出すたびに、ひとりでに恥ずかしさで顔が赤くなってしまい、いつまでも自分を苦しめている体験、しかも人知れずに早く葬り去りたいと願っている体験、ということになる。この条件に合う話で、酒の座興にふさわしいものといったら、ほら、もう決まってくるじゃないか」
「それって、もしかして失恋話か」と、恐る恐るわたしが尋ねる。
「さすが野上、察しがいい」
「察したくなかったよ、まったく。つまらないことを考えやがって、誰が自分の失恋話なんか人前で話したがるんだ。却下だ、却下」
「話したがらないからこそ、大文字の火で供養するにふさわしいんじゃないか。おまえのそのうろたえているところが、すでに、その失恋からまだ解放されていないことを明らかにしている、供養できていれば過去の事実として落ち着いて話せるはずだ。なあ、こんないい機会はまたとないぜ。人前で言葉にしてみることで、物事の客観性が深まり、逆に自分に納得の行く答えが見つかるかもしれない。ま、一種の精神分析的手法ではあるな。それにみんなが話すんだ、公平さは欠かないと思うが」
「なるほど、その意見にも一理はあるな。おれも失恋話を考えていたわけじゃないが、考えていなかったわけでもない。確かに、言いにくいことこそ今夜の供養にはふさわしいと思う。おれも自分の失恋談は恥ずかしいが、この機会に、ちょっと人のも聞いてみたい気がする。よし、堀井に賛成する。下世話ですまん、今回は許されよ」と大山が応じた。大山は五人の中で最も物事を大局的に見ることのできる人物である。しかも率直、正直であるから、みなの信頼も厚く、おのずと大人の風格を備えている。その大山が賛成したのだから座の空気が、賛成に流れるのもまた、いたし方なかった(はあ、残念)。とそのとき、
「失恋話がないときはどうするんだ」と神岡が食い下がった。
「ない、と言うのはどういう意味だい?」と堀井。
「もちろん、失恋したことがない、という意味さ」
「恋をしたことがない、と言う意味じゃないのかい?」と露野。
「ぼくにそういうことを言うのは、百年早いぜ」と神岡がむきになる。神岡はむきになるとなぜか自分を『ぼく』と丁寧に呼ぶ癖がある。
「そんなにいつも恋が成就しているのかい」とわたしが念を押す。
「自分から、というのは、まずないね。いつも告白されるほうばかりさ、えへん」
「うらやましい限りだけど、それってやっぱり、恋をしたことがないってことじゃないかな」と露野が分析する。
「やはり恋は自分から行くものだろう」
「なるほど、たしかに露野には自分から行ったふしがあるものな」と堀井が、わけ知り顔に言う。
「おい、ちょっと、それは・・・」と露野が堀井を恨めしそうににらむ。
「まあ、まあ。それで、神岡は一度もふられたことがないのかい」と大山が調整に入る。
「まず、たいていは」
「本当かなあ、気づいてないだけじゃないのか」とわたし。
「あほか、振られて気づかない人間がいたらその方が問題だろう、だがな、かく言うぼくにも一度だけ切ない思い出がある」
「そうだろう、そうだろう、いかに強運の持ち主とはいえ一度くらいは振られてもらわんとな」そう言うと、堀井の顔は急に、うれしそうに輝きだした。
「そう早合点してもらっちゃ困るぜ。ぼくは切ない思い出があると言っただけで、振られたと言ったわけじゃない。」
「じゃあ、その切ない思い出って、どういうものか、ひとつ説明してもらいたいな」と理論派の露野がたずねた。
「さりげなく面倒なことを聴くね。でも、まあ仕方あるまい。ぼくの数ある恋愛経験の中で今日の趣旨に会いそうなのは残念ながらこれしかないから、特別に話すことにするよ」
「いやあ、さすが神岡君、見苦しさを通り越して逆にさわやかささえ漂うそのやせ我慢、まさにお見事」とわたしがひざを打つ。
「だから、何度も言ってるだろ、ぼくは振られたことがないんだ。あの時は時間が間に合わなかっただけのことさ。時間さえ間に合えば、あの時だって恋が成就していたことに間違いなしだ」
「恋には時間が問題なのかい」と露野が、どうも納得できないといったように首をひねった。
「もちろんさ、そんなの当たり前じゃないか。なるほど、目と目が合った瞬間に成就する恋もあるだろう。だが、ぼくはそんな恋は取らない。恋が成就するにはどうしてもある程度の時間の持続が必要だ。ぼくの経験からして、たとえ目と目が合って恋に落ちても、その後二度と会えなかったらその恋が持続できるとは、とうてい思えない。もちろん運命の恋というものはあるだろう。だがその運命の恋にせよ、最初から運命の恋だったわけじゃない。時間をかけて運命の恋に育ちあがったから、あとから見て運命の恋になったに過ぎない。だとすれば、どれだけの時間の持続があれば恋は成就するのか。それについては、ぼくにいささか持論がある。どうだい、聴きたいかい?」
「おお、おお、ぜひ聴かせてくれ」と大山がめずらしく身を乗り出した。
「おれも」
「おれも」
「おれも入れといてくれ」
「こういう話になると、妙に乗り気だな。まあ、いいや。興味あるのが当然だものな、じゃあ、言うぜ。おれの持論はこうさ」そう言って神岡は語りだした。
「名づけて、『出会い三回論』。つまりこういうことさ。大恋愛にしろ、小恋愛にしろ、同じ相手に3回、出会う機会がなければ恋に発展しない、というのが、ぼくの論の趣旨だ」
「でもどうして、三回なんだ。妥当な数字か、疑わしいな」と露野が切り込む。